第3章 その4 強制呪文の危険性
4
「かわいいアイリス。あなたは私たちが授かった希望の虹なの。絶対に、どんなことがあっても、誰が相手でも、あなたを守り通すわ」
あたしの髪を優しく撫でて、抱きしめて、囁くお母さま。
「あなたは、幸せ? 私の子どもで、いやじゃない?」
「ううん、いやじゃない。おかあさま、だいすきよ」
怖いくらいに強く、真実しか答えられない『強制呪文』が乗せられている。
もし今の、お母さまの呪文が、さっきみたいな
「エステリオ叔父さんに痛いことをされなかったか」
と問うものだったら、あたしは逆らえずに答えるしかない。「すごく痛かった」と。それにもし「どこか触られたの?」と問われたら、答えは「はい」だ。
それは事実だけれども一部だけだ。
魔力栓を溶かす治療のためなのに、お母さまには、きっと歪めて受け取られてしまう、間違いなく。
あたしは、それが、とても、こわい。
それにお母さまは、これまで、家族に向けて『強制呪文』なんて遣う人ではなかった。
こんなに強力な、強制力のある呪文のためにはものすごく魔力をたくさん消費すると思う。遣いすぎるのはよくないんじゃないかしら。
あたしの、精霊を視る目には、いろんな人の魔力の総量と現在の残量がわかるようになった。そっと、お母さまの魔力を「総量・残量表示バー」で視てみる。
驚いた!
……あり得ないくらい、減ってる。
どれだけ魔力を消費するの、強制呪文!
もともとお母さまの魔力は、魔法使いになれるほどには多くないはず。一般人としてなら多め、の範疇だと思う。
なのに、お母さまはなぜ、魔力をほとんどつぎ込んでまで真実の答えを強制するの?
乳母やのマリアが
「お嬢さまはそろそろ、おねむですね。わたくしがお世話いたします」
と申し出ても、お母さまは聞き入れない。
「アイリスは私の宝物よ。誰にも渡さないわ」
「奥さま? どうかなさいましたか。いつもなら、わたくしどもに、お嬢さまを任せてくださいますのに」
「今日は、私が、ついています。旦那様がお帰りになったら報せてちょうだい。マリアは下がって。トリアとローサ、それからルシアとレンピカは、ここにいて」
マリアはお母さまの前から下がり、執事さんに言われて、ドアのそばに待機した。
他のメイドたちも、お母さまに呼ばれた人の他にも数人、残らせている。
執事さんも、お母さまの様子を危ぶんでいるのかもしれない。
ルシアとレンピカは、お母さま付きのメイドだ。二人は園遊会に同行している。彼女たちから何か聞けないかしら?
このままでは、すごく、まずいことになりそうな予感がする。
何かがおかしい。
危険のシグナルが激しく点滅してる!
……女神さま。スゥエさま。お願い、助けて!
懸命に、あたしは祈った。
神さまなんて知らない。でもあたしは感じている。この世界の、理が、形となった存在があることを。
それが世界、セレナンなのだと思う。そして世界は、女神という端末を通じてアクセスしてくる。女神達は、世界へのリンク深度で、階層で、姿を変える。そこに宿る魂が、違うのだろうか。
世界は同時に、セレナン族という、人間に似た姿形をした種族を地上に遣わした。
地上で生活し、情報を収集、この世界にフィードバックするために。
ヒトとは何か?
生命とは何か?
生まれて老いて病を得て死ぬというだけならば、生きる意味はあるの?
あたしが感じるのは、15歳と11ヶ月で死んだ月宮有栖だったから。数え切れないくらいの、寿命を全うできずに逝った人生があったことを覚えているから。
マンハッタン島に住んでいた人間、イリスだったこともあった。繰り返してきた輪廻の最後は、人類管理システムであり人工生命のイリス。
この世界の意識そのものである存在セレナンが求めるものと、あたしが人工生命イリスとして地球最後の生き残りの人類を管理しながらずっと考え続けていたこととは、通じるものがある気がする。
あたしは、この人生をどう生きたらいいの?
もう、大好きな人たちを誰も失いたくない。
誰かが悪意を向けるなら、あたしは、やり返す!
「答えて。女神さま。スゥエさま。あたし、すごく困ってるの。悩んでるの。お母さまには何が起こったの? どうして、園遊会から帰ってきたら、エステリオ叔父さんのことを、変なふうに思うようになっていたの? 誰かが叔父さんの悪口を言ったの?」
いま、あたしにできることは、お母さまを少しでも安心させることだけ。
お母さまの腕に抱かれて、おいしいお菓子をたくさん、お母さまに食べさせてもらって。まどろみながら、あたしは、夢を見る。
夢の中で、女神さまに会うために。




