第3章 その1 疑惑の強制呪文(スペル)
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アンティグア家のエルナトさんが、我が家に初めて訪れた日。
「わたしはもう少しお邪魔していていいかな」
「もちろんです。どうぞいてください」
「アイリス嬢の魔力栓の症状や、薬を服用することなどについて、話しておきたいからね。ご両親が帰宅するのを待って、挨拶をしてから帰ることにするよ」
というわけで、あたしたちは、居間でお茶をしたり、エルナトさんが紹介してくれるという家庭教師について、お話しを聞いたりしていた。
先に帰ってきたのは、園遊会にお出かけしていたお母さまだった。
「まあまあ! アンティグア家のご令息がおいでだなんて! お構いも致しませんで、申し訳ございません!」
お母さまは、何より先にエルナトさんに留守をしていた詫びを言いに、帰宅したままのドレスを着替えることもしないで駆けつけた。
いろいろあって忘れてたけど、エルナトさんはエルレーン公の従兄弟だった!
公太子さまの身に何かあればエルレーン公国のまつりごとを引き受けることも、あり得ないことではないのだ。
貴賓室もなく来客の準備も整っていない状態の、私邸である我が家に、先触れもせずに『このような貴い御方』を招いたエステリオ叔父さんの対応は、名門ラゼル家の当主の弟としてはいかがなものか。
普段は何事にも鷹揚で優雅に振る舞っておいでのお母さまからは想像もつかなかった勢いで、エステリオ叔父さんに注意をしていた。
雷を落とすとまではいかないけれど。
「すみません義姉上。エルナト殿と日頃親しくさせていただいているからといって、気軽にお連れしてはいけない御方でした。考えが至らず申し訳ありません」
エステリオ叔父さんはお母さまに平謝りに謝っている。あたしのために、エルナトさんを連れてきてくれたのに。
「いつも優しいお母さまが、こんなに厳しいことをおっしゃるなんて思わなかったわ」
あたしは守護精霊たちにだけ届くように、小声でつぶやいた。
それはエルナトさんには聞こえてしまったみたい。
「わたしもうっかりしていた。すまない、アイリス嬢。学院の中にこもって魔法だの学問ばかりに明け暮れていると、この国には明らかな身分制度があったことを失念してしまっていた。申し訳ない」
エルナトさんが、あたしの頭をそっと撫でた。
この人、小さい弟か妹とか、きょうだいが大勢いるのかしら。子どもに接し慣れている感じがする。
「ラゼル夫人。このたびは驚かせてしまって申し訳ない。わたしこそ、こちらのような名家を訪問するのに、先触れも贈り物もなく、礼を失してしまいました。お詫びをしなくてはならないのは、わたしの方です」
超絶美貌のエルナトさんが、お母さまの手をとり、甲に口づけをする。
お母さまのお顔が、ぱあっと輝いた。
さすがだわ! エルナトさん。
「まあ、まあ、そのような。ご学友とはいえ、我が家など、しがない商家ですわ。おそれおおくもエルレーン公に拝謁もかなうものではございませんのに」
「こちらへは、公国立学院での大切な親友に会うためで、公人ではなく個人的な立場で訪問させていただいたもの。どうか、お心安く。わたしのことはエルナト、ただのエルナトとお呼びください。アイリアーナ夫人」
「まあ。ご丁寧に、痛み入ります。エルナト様。たいしたおもてなしもできませんが、どうぞごゆるりとお過ごしくださいますよう」
いくぶん落ち着いた、お母さまは、やっと、あたしの方にやってきてくれた。
「おかあさま~。おかえりなさい」
「ただいま、アイリス。いつも寂しくさせて、ごめんなさいね」
お母さまは、あたしの脇の下に手を入れて持ち上げ(あ、エイリアス女神さまと同じやり方だわ)ぎゅっと抱きしめてくれた。
「おかあさまだいすき」
ふわふわの胸に顔を埋めると、お母さまが顔を頭に寄せて……ぴくっ、と、緊張を走らせ。あたしを抱きしめている腕に、力がこもった。
「アイリス。あなたの髪から、エステリオ叔父様の匂いがするわね」
「まよけの、ろーずまりーのにおい? おかあさまどうかしたの? あたしがさむいっていったら、おじさまが魔法使いのローブをかけてくれたの」
「どうして寒かったの。なぜ叔父様のローブなの? トリアかローサに言えば、すぐに掛けるものを持ってきてくれたでしょう」
「おじさまがちかくにいたから」
「……アイリス」
お母さまの腕に、ぎゅっと、痛いほどに力がこもる。
「言いにくいことだけど。……あなたの中に、叔父様の魔力が入っているわね」
「!?」
あれっ!?
えっと、えっと。なに? なにそれ!?
お母さまの声が震えています。
これってもしかして。危険な兆候?
お母さまが、あたしの後ろ頭を支えて、耳元に口を寄せ、ささやいた。
「本当のことを答えて。だれもあなたを責めないわ」
「??????」
「あなたの中にエステリオ叔父様の魔力が注がれている。アイリス、叔父様は、優しい? むりに、痛いことをされたりしなかった?」
さーっ、と、頭から血の気が引いた。
お母さまは、魔力の質を判別できる人だったんだ。そういえばお父さまよりお母さまの方が魔力が多かったっけ。
これは、危険な質問だ。
なぜなら、呪文だから。魔力を乗せた、強制力のある質問だから。
答えることを許されるのは真実だけ。
だからあたしは「痛いことはされていない」とは返答できない。魔力栓を溶かす治療は、実際にすごく痛かったから。
だけど、そう答えてしまったら。「治療のために必要だったから」という、それに続く言葉は、耳に入れてはもらえないだろう。
お母さまは、エステリオ叔父さんを、疑ってる……!
そうだよね。普通、常識から考えて、魔力を流し込む行為といったら……それは。
叔父さんにされた(魔力栓治療のための)情熱的なキスのことを思い出したら、身体が熱くなって、同時に、背筋が冷えていくのを感じた。
あれはあたしの、生存本能によって発動した『魅了』の魔法のせい。
体内の魔力栓がどんどん育っていって、放置すればまもなく心臓が凍って死ぬ、悲惨な末路を回避するために、必要なことだった。むしろ、エステリオ叔父さんを操って魔力を奪った、注がせたのは、あたし、だ。
だけど、そんなこと言い訳にしか思われない。きっと。
どうしたらいいの?
お母さまは、さらに、呪文を重ねた。
「アイリス。答えて。エステリオ叔父様に、何をされたの?」




