第2章 その22 危険な関係かもしれない
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エステリオ叔父さんの温もりの残ったローブにくるまっているうちに、ようやく気持ちが落ち着いてきて。
そうしたらふいに、すっごくイヤだったことを思い出してしまった。
正確には感覚が。よみがえってきたのだ。
昏い獣。エステリオ叔父さんの姿を借りた、セラニス・アレム・ダル。
あの黒髪、黒い目の青年に、キスされたこと。
触れられた唇から、凍気が侵入して、心臓に氷柱が突き刺さったときの激痛が。
「……ううっ!」
くやしい。苦しい。
涙が溢れる。
胸が凍る。
せっかくエステリオ叔父さんが自分の魔力を流して、あたしの心臓に固まっていた魔力の血栓みたいなものを溶かして、流れを整えてくれたのに。
また、イヤな感じの塊が心臓のあたりにできていくのが、わかった。
呪詛だ。
あいつ、こんなもの残していったんだ!
身体が震える。寒気がする。
「イーリス!?」
「アイリス嬢!?」
叔父さんとエルナトさんが慌ててる。二人に魔力の血栓を溶かしてもらったのに、あたしがこんな状態になるはずはないのだから。
「おじさま、おねがい」
あたしは顔を上げて、エステリオ叔父さんを見る。
守護精霊たちは頼りになる存在だけど、この不調はたぶん治せない。
エステリオ叔父さんにしか、頼めない。
エルナトさんは今日はじめて出会った人だから、ちょっと、助けてって言うのは、ためらってしまう。
「すごくこわくて、とってもイヤな夢をみてたの。さむい。また、まりょくのかたまりが、むねにできて……からだが、こおりつくみたいなの」
震える手をのばす。
「だっこして」
視界の端で、トリアさんとローサが驚愕の顔をしてる。
「いけません、はしたない」
と口走ったのはトリアさん。
「お嬢さま、それは、わたくしが」
ローサはあわててこちらに駆けつけてくれようとしている。二人とも扉の近くに居たから、急には来られないのだ。
そして、エステリオ叔父さんの反応は素早かった。
「イーリス!」
トリアさんが部屋の中にいるのに、そんな親しい呼び方で。あたしを、あっという間にローブごと持ち上げて、ぎゅーっと強く抱きしめる。
「冷たい! ほんとに氷みたいだ」
「もっと、ぎゅっとして」
昔、有栖だったとき。インフルエンザで高熱が出たときのことを思い出した。
がたがた震えて、どうしようもなくて。意識がもうろうとして。辛かった。
そのときよりも、何倍も、今は苦しい。寒い。
「どういうことなんだ。魔力栓は溶かしたのに……」
「わたしたちの方法が間違っていたのか?」
自分たちを責めるようなことを言う、叔父さんとエルナトさん。そうじゃないのよ!
『いや違う。エステリオのせいでもエルナトのせいでもない。アイリスは、ずっと前から赤い魔女に目をつけられていたんだ。あの昏い獣は、つけいる隙をねらってた』
『わたしたちも気をつけてたつもりだったのよ』
『まさか、こんなに早く来るなんて』
『甘かったわ。ごめんなさい!』
『これからは、絶対にアイリスを守りぬくわ!』
ジオが、シルルとイルミナが、ディーネが、くやしそうに、あたしを守れなかったと言って怒りをあらわにする。
「もっと、ぎゅっと……して。あたためて……さむい……」
あたしを更にきつく抱きしめるエステリオ叔父さん。体温が伝わってくる。とっても心地よい温もりだけど、まだ、ぜんぜん足りない。心臓は氷になってしまってるみたいな。
「赤い魔女? なんてことだ、知らなかった……いったい何者だ」
エステリオ叔父さんが顔をすりよせる。
「わたしが無知だったから」
すっごく、あったかい。あたためてくれるつもりなの?
『赤い魔女、セレ二ア。またはセラニス・アレム・ダルと呼ばれるもの。あれは生命すべてを呪うモノだ』
ジオ、なんか、くわしいのね。
「聞かせてくれ。それはどういう存在なのだ?」
エルナトさんは険しい声で問いかける。
『まだ人間には教えられない。守護精霊でもセレナンの情報開示には制限があるし。それに、今は、アイリスの生命が最優先だろう?』
「アイリス嬢は、あぶないのか?」
『このままでは。魔力栓が再生してる。溶けなければ、心臓が凍って死ぬ』
「イーリス、すまない。もっと温かくしないと……」
どうしよう。エステリオ叔父さんがどんどん落ち込んでいくわ。
「おじさま、の、せいじゃ、ない……けど、さむい……」
「わたしにしてほしいことはないか? なんでもする!」
……だめなんだから。なんでもするなんて、言っちゃだめなのよ。エステリオ。
「じゃあ、ちゅー、して」
そうすれば身体が早く温まる。
あたしはそんな軽い気持ちで口にしただけなんだけど、「えっ」と、叔父さんは目を見開き、ごくりと喉を鳴らした。一呼吸置いて、思い詰めたように、顔を近づけてくる。
でも、狙いは頬ね。
これは、『小さな姪っ子のほっぺにチューする』コース?
まだ叔父さんはわかってない。頬じゃ意味ないの。熱が直接伝わらない。
あたしはエステリオ叔父さんの首に手をまわして、自分から顔を近づけて。
唇を、押しつけた。
唇と唇の、キス。
その瞬間、エステリオ叔父さんが緊張して、ものすごく驚いたのがわかった。
そうだった、エステリオ叔父さん、前世で彼女いなかったんだよね。ごめんなさい! でも、早く温まらないといけないの。死ぬかもしれない。っていうより、心臓が凍って確実に死ぬ。
だから、助けを求めたの。
叔父さんは、どこか観念したのか、あたしから逃げなかった。
むしろ、覚悟を決めたようで、あたしを更に強く抱いて、唇を……え?
あれ?
ちょっぴり情熱的すぎない? こんな濃厚なキス、恋人同士じゃないとしないよね?
えっ。
それはちょっと……!
エステリオが、舌を入れてきた。
それは熱っぽく湿っていて、荒々しくて。舌そのものが自分の意志を持っているみたいに。あたしの舌にまつわりつき、強く吸って、絡まってくる。
え…これ…なに?
キスなの?
あたしの舌に絡められた、エステリオの舌は、熱くて、魔力が半端なく込められていて。まだ凍っていた感覚を消せないでいた心臓まで、急速に温めてくれる、けれど。
たぶん、急いで大量に魔力を流すために一番効率的なやり方なんだよね!?
でも、待って待って!
ディープキスはちょっと、心の準備ができてないというか、いやいやいやいや、まずいんじゃないかな!?
考えてみたら十五歳と十一ヶ月で死んだ月宮有栖は男の子と交際したことはなかった。当然キスどころか手をつなぐデートもしたことなかったし、アイリスに転生してからも、館にいる人以外の男性を見たのは今日、エルナトさんが初めてで。
キスしたことなんて、なかった!(三歳だし!)
セラニスと呼ばれていた、あの変態
(重要なことだから二度言います。変態。)
にも、有栖はキスされちゃったけど、それは魂の次元で。
ほんとは、有栖もアイリスも、だから、これが、初めてのキスなわけで。
人類の管理者イリスは知識は豊富だったけど体験したことはなく。
今のあたしは月宮有栖の意識がベースにあると思う。イリスの膨大なデータを持ってはいるけれど。
で。結論。
こっちからしたのは、いいのです!
だけどエステリオ叔父さんがキスし返してくるとかそれがいきなりディープなやつだとか予想外すぎです。
「んっ、んう」
息ができない。苦しいから、やめてって……言いたいけど、口がふさがれてるから無理。
でも抗議はしたい。
すがりついていた手を離して、エステリオを押し返そうとしてみる。でも彼は離れるどころか、ますます情熱的な口づけにエスカレートしていく。
乱暴で、荒々しくて、強引で。
すごく、熱い……!
……怖くなった。このまま、どうなっちゃうの?
魔力は、充分に流されているようだ。むしろ顔や身体がほてるくらい。
(シルル、イルミナ、ディーネ、ジオ! みんな、助けて!)
心で思うことはぜんぶ、あたしの守護精霊たちには伝わるのだ。
たぶんエステリオが何をしているのか、何がいけないか、エネルギー体である精霊には理解できなかったんじゃないかな。
『エステリオを止めるの? でも心臓にたまっている魔力栓は溶かさなきゃ、死んでしまうよ、アイリス』
代表で応えたのはジオ。
(やめさせて、このままじゃエステリオ叔父さんが変態みたいになっちゃう!)
『え? アイリス何言ってるの? 男なんてみんな狼だよ? いつもは理性で押さえてるだけだよ』
(じゃ、なんで、今はこんな衝動的に?)
『それはアイリスがいけない。エステリオを誘ったんだから。魔法の囁きで』
(なにそれ。あたしはそんなの……魔法なんか知らないわ)
『だっこして、って言ったよね? ちゅーして、とも』
(キャー! やめてやめて! 恥ずかしい! だって必死だったんだもの、心臓が凍って死んでしまうって思って)
『だから、ぼくらも止めなかったんだよ。生命にかかわる緊急事態だから』
ジオったら!
セラニスに対峙したときはあんなに真剣で凄みさえあったのに。
今は、面白がってるわね!
「そうか! アイリス嬢、きみは今、催眠か、魅了の能力を使ってるんだ!」
こう言ったのはエルナトさん。どうやら様子を観察していたみたい。
観察ってなんで? すごく困ってるので、それより早く止めてほしいです。
『止めてくれってアイリスが頼んでる。任せていい、エルナト? そろそろぼくらも我慢の限界なんだよね。エルナトが制止できなかったらエステリオのこと瞬殺するよ?』
「まあ、そうだよな。了解」
エルナトさんはジオに返答するや否や、エステリオの首に手を当てて、何か魔法を発動させた。エステリオが意識を失って、くずおれるほどの力。魔法じゃない。魔力そのものを流したのかも。
「だいじょうぶだよ。彼もすぐ気がつく」
あたしが心配そうな顔をしていたからか、エルナトさんは、意識のないエステリオ叔父さんの身体を引きずり、ソファに乗せた。
そして、エステリオ叔父さんが取り落としたためにベッドに投げ出されたあたしを、そっと、肌掛けの下に、埋めた。
診察するためにあたしの心臓に手をかざして、難しい顔をする。
「魔力栓はどうなったかな? うん……これならなんとかだいじょうぶだよ。直接魔力を流さなくても薬を飲めばいい。それは、アウルの部屋にある材料ですぐできるから」
それからエルナトさんは、エステリオ叔父さんの顔を、ばしばしと平手で何度も叩いて、起こした。
「エル? イーリス……あれっ、おれ……いや、わたしは? 何を」
しばらくして、叔父さんは、あたしを見、かあっと耳まで赤くなった。
あ~、覚えていたのね。
なんか、ごめんなさい。
「す、すすすすすす、すまない」
その頭を、エルナトさんは、再び、思いっきり、ばしっと叩いた。
「彼女いない歴が長い独身はこれだから。エステリオ・アウル。おまえ、魅了の魔法に対する耐性をつけておくんだな。今後のために」
「……? そうか。わたしは、イーリスの魔力にあたった、のか!?」
驚く、エステリオ叔父さんに、エルナトさんが説く。
「アイリス嬢の心臓にあった魔力栓を溶かした、いわば濃い魔力のスープを、自分の内に取り込んでしまったんだろう。しかし三歳のお嬢さんの魔力にやられるようじゃ、覚者になってからが心配だよ。おまえは、純粋で、優しすぎるのが欠点だ」
「なんだそれ!」
煙に巻かれたような、あたしとエステリオ叔父さんに、エルナトさんが説明してくれた。
推測だけれど、と前置きして。
あたしは心臓に形成されていた魔力栓の影響で、無自覚なまま、魅了の魔法を使ってエステリオ叔父さんを操った。
生存本能により、魔力栓を溶かすために『+』の性質である彼の魔力を求めたらしい、ということを。
「アイリス嬢。きみには魔法の家庭教師が必要だ。アウルやわたしが教えるよりも、よい教師に心当たりがある。ご当主に、推薦しておくよ」
「あ、ありがとう……ございます。今日も、何から何までお世話に、ご迷惑をおかけしてしまって」
「いいから任せなさい」
エルナトさんは笑って、あたしの頭を撫でた。
「今回の本当の相談も、まだしていなかったね。次には、きみの前世のことも、ゆっくり話をしようね」
エルナトさんはなんだか、年の離れた、頼りになる、一番上のお兄さんみたい。
エステリオ叔父さんは、今まで思っていたより、もっと身近に思えてきた。
二番目のお兄さん、って感じ?
※
「アイリスお嬢さま、お目覚めでございますか」
「もうじき旦那さまと奥さまも戻ってこられますよ」
何事もなかったように、トリアさんとローサは穏やかな表情で、あたしの髪をとかしたり、お父さまたちを出迎えるために、お着替えをさせてくれる。
トリアさんとローサには、忘却の魔法をかけさせてもらったと、エルナトさん。
エルナトさん、ありがとうございます!
せっかくの、この館の使用人一同からの「エステリオ坊ちゃまは誠実でいい人で実力者」という評価を地に堕とすところだったわ!
叔父さん、ほんとにごめんなさい。
※
それにしても。
赤い魔女、セレ二ア。昏い血の獣、セラニス・アレム・ダル。男なのか女なのかもわからない。
静脈を流れる血から生まれたみたいな、あの昏くらい獣。
彼を庇っていたらしい誰かのことを、エイリアス女神さまは、これまで見たこともないくらいに憤っておられた。
何が、あたしを氷漬けにしてそばにおいておきたい、よ!
自分勝手なことばかり。
あいつのせいで、あたしは死ぬところだったし、あたしが、大好きなエステリオ叔父さんを惑わせるようなことになっちゃったんだし。
思い出すと顔から火が出そう……!
あいつなんか、絶対に許さないんだから!
前回で第2章が終わったつもりでしたが終わりませんでした。次回からは第3章になります。




