第2章 その18 『先祖還り』
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「エルナトさま……『先祖還り』って、おっしゃいました?」
『『『『アイリスアイリス! あたしたちもいるの。忘れないでね!』』』』
「わかってるわ。ありがとうみんな。とっても心強いわ」
この世界では、少なくともこのエルレーン公国では、前世の記憶を持っている者のことを『先祖還り』と呼ぶ。
思い起こせばずいぶん昔のことのように思えるけど、その言葉を初めて耳にしたのは、今朝のことだったのだ。
夜が明ける前、早く起きて窓から見える『精霊火』を夢中で眺めていた、あたしの部屋を訪れたエステリオ叔父さんと、魂の底へと旅をした。
そこで、世界に満ちる魔力を見、お互いの魂の姿……前世の姿だそうだ……を知った。叔父さんはあたしに、魔力を知覚するすべを教えてくれた。
あたしのことを『先祖還り』だと言い切り、自分も同じだと言った、エステリオ叔父さん。前もって聞いていた言葉だけれど、あらためてエルナトさんから言われると驚いてしまう。
あたしは目を瞬いた。
「エステリオおじさま。わたしのことエルさまにお話ししたの。わたし、おじさまと秘密を共有したのかと思ってたわ」
……そうじゃない。こんなこと言いたいわけじゃないのに。
混乱しているから変なことを口走ってしまうのだ。
おじさまは少し悲しげに、あたしを見つめる。
「それはわたしと、きみの共有の秘密だ。そして、エルも、同じなんだ」
「え……?」
「アイリスお嬢さん。わたしも、きみたちと同じ『先祖還り』なんだよ」
「…………」
とっさに言葉が出てこなかった。
確かに、あたしもエルさんのことを、そうなんじゃないかと疑っていたけれど。
そんな偶然ってあるの?
こんな近くに、同じように前世の記憶を持つ者が、三人も、いたなんて。
「アイリス嬢。アウルが今朝は言わなかったことがある。『先祖還り』と呼ばれるのは、前世の記憶を持つ者で、なおかつ、その前世は、この世界ではない異界である場合。それを総称する呼び名なのだ」
「そうだよ、イーリス。前世の記憶というだけではないんだ」
「おじさま」
イーリスと、いつものように優しく声をかけられて、あたしは落ち着きを取り戻してきた。
ふいに、すとん、と腑に落ちる。
この世界ではない世界の記憶を持って転生したもの。
それが、あたし。
そしてエステリオ叔父さんと、エルナトさん、三人に共通することで、よって、あたしたちは『先祖還り』なのだ。
でも、まだ納得できないことがある。
どうしてそれを『先祖還り』と呼ぶのだろう。
あたしたちが持つ、この前世の記憶は、まるで……この世界に住む人々の、先祖の持つ記憶だと言っていることにならないか?
「ともかく、落ち着いて」
叔父さんが風の精霊に頼んだ空気のヴェールを外して、テーブルに置かれていた銀の鈴を振り、メイドさんを呼んだ。
やってきたのは、メイド長のトリアさんだった。
「ご用でございますか、お坊ちゃま」
「お茶のおかわりを頼む」
トリアさんはいったん中に引っ込んだ。新しい紅茶を運んで来たのは、入り口に立っていた二人のメイドさんと、あたし付きの小間使い、ローサだった。
冷めてしまったティーポットごと取り換え、ティーセットも別のものに。ほとんど手を付けられていなかった焼き菓子と砂糖漬けは、そのままに置かれた。
「お嬢さま、そろそろお疲れではございませんか」
テーブルの間近に残ったローサが尋ねる。
「いや。アイリスはまだ、おにわにいる」
「ローサ。この子のことは任せなさい」
「……はい」
少し不服そうに応えたものの、ローサは一礼をし、そして、そのままテーブルのそばに残った。帰って良いと言われても、「お嬢さまの身の回りのお世話が、ローサの仕事です」と、ローサはいっこうに帰るそぶりを見せない。
「イーリス。疲れているだろう。甘い物も必要だよ」
叔父さんは、スミレの花の砂糖漬けの入れ物を取って、あたしに差し出した。
あたしが食べようとしないのを見て、くすっと笑って。砂糖漬けを一つつまんで、あたしの口に押し込んだ。
ふわっとスミレの花の香りが立って、鼻孔をくすぐる。
確かにスミレの花の砂糖漬けは、あたしも好きだけど。
でも、ひどい子供扱いだわ!
せっかく三歳児のふりをやめて真実の言葉で語っているのに。
抗議を向けると、叔父さんは、優しい顔で。
「知っていたかな。イーリスは赤ん坊の頃から疲れやすい。だから館の外へは出してもらえないんだ。きみの身体の魔力の流れかたが整っていないからなんだよ」
「え!」
意外なことばに、あたしは驚く。
「今朝の調整で、きみは自分や他人が持っている魔力を把握できるようになったはずだが、まだ、流れが滞っているようだ」
「とどこおり?」
「今日エルを連れてきたのはそのためだ。可愛いイーリス。やたらな医師には診せられない。エルはまだ学生だけど医療分野でも才能を発揮していてね。彼に診断してもらって、滞りを解消しよう」
「し、診断なんか、いらないもの」
「どれどれ?」
人の悪い笑みを浮かべているのはエルさん。
「いらないですったら!」
断っているのに、エルさんはにっこり笑った。
「美人は怒ってもやっぱり素敵だね」
『『『なにこのヒト!? だめよアイリス気を許しちゃ』』』
守護精霊たちが色めき立つ。
エルさんはどこまで本気なの?
なんだか断り続けるのも面倒になってきたわ。
「……わかりました。エルさま。診察おねがいします」
魔力が滞っているかぎり、館の外には出られない!?
確かにそれは困るのだ!
あたしとエステリオ叔父さんとエルナトさんは、お茶を一杯飲むと、テーブルを囲み、深く、椅子に座り直した。
「じゃあ、アイリス。両手を出して手のひらを上にしてテーブルにのせて」
しぶしぶ、言う通りにする。
これで何か変化があるのかしら!?
あたしの疑念は最高潮だけど、癇癪は起こさないわ。




