第6章 その31 晩餐会に精霊様がやってきた(書き直しました)
31
ガルガンド氏族長の一人スノッリが評する『怪しい人物筆頭』若き野心に溢れた銀行家パブロ・ルシア・ファティマ。
シ・イル・リリヤ最大の銀行、代々頭取を務めるファティマ家の次男である。
金融業ばかりでなく手広く商売を広げている新進気鋭の青年実業家。
今夜の晩餐会には、パブロばかりでなく数人の金融関係の事業者たちがこぞって参加し談笑していた。
他にも大商会の経営陣……ラゼル家の商売と競合する者もあれば利害に関係ない商会も。皆、利益の匂いには敏感だった。
ラゼル家には勢いがある。もっとはっきり言えば唸るほどの『金』がある。よしみを結んでおければという期待を隠そうともしていない面々だった。
互いに仲が良好なわけではない。
牽制し合っているのだ。どこかの事業者が抜け駆けするのは阻止したい。そういう思惑のもとに集っている。
穏やかに歓談しながらも水面下では火花が散っているのだった。
やがて晩餐会の会場にラゼル家令嬢アイリスが登場する。
人々のざわめきが消えた。
息をするのも憚られる緊張が支配する。
主役は、ラゼル家の一人娘アイリス。
わずか六歳ではあるが、将来の美貌が容易に想像できるほどに整った面差しと、黄金の絹糸のような輝きを持つ豊かな髪と、若葉色の宝石エスメラルダのような瞳、深窓の令嬢にふさわしい色白の滑らかな肌。
吟遊詩人がもしもこの場にいたなら、さぞ素晴らしいバラードを即興で歌い上げ、その後も持ち歌にしたことだろう。
こう語ったのは、夜会に招かれていたガルガンドの氏族長エーリクだった。
ちなみにエーリクは、アイリスの傍らに寄り添う『許婚』である魔法使いエステリオ・アウルについては、スルーした。
現在進行形で絶賛婚活中であるエーリクにとって、世の中の男性は全て、どうでもいい存在だったのだ。
それはさておき。
客人たちの注目を集めたカップルが、もう一組。
アイリスとエステリオ・アウルの後ろに、さも彼らの後ろ盾であると公言するかのように付きそう二人。
金融業界をはじめ後ろ暗いところのある裏社会では悪名高い『黒の魔法使いカルナック』と、カルナックの腕をしっかりと握っている、銀髪に青い目の少女の姿から、人々は目を離せなくなった。
「まさか、あれは……精霊!?」
最初に、半信半疑に呟いたのは、他でもない、パブロだった。
幸か不幸か、どの業界人やガルガンド氏族たちからもスルーされ目に入らなかったのはカルナックの三歩後ろに従っていた十歳の少年、マクシミリアンだった。
この時点で、精霊族のことなど一般人はあまり知らないだろうというガルガンド勢の見立ては、少しばかり、いや、大きく外れたことになるのだった。
※
なんだか落ち着かないわ。
あたし、アイリスは、並んで歩いているエステリオ・アウルの手を握った。
予想していたよりもお客様がたくさんいるし、大勢の人たちに見られているみたいなんだもの。
でも大丈夫。
カルナックお師匠様とラト・ナ・ルア、マクシミリアン君だって一緒にいるんだから。
深呼吸して、用意された席へ向かった。
※
「今宵はお招きいただき、ありがとうございます」
カルナックお師匠様は、そう切り出した。
「お忙しいところ、足をお運びいただきましてありがとうございます、無事に今夜の会を迎えられましたのも、カルナック様をはじめ魔導師協会の皆様にひとかたならぬご尽力をいただきましたおかげです」
ラゼル家の当主夫妻として、にこやかに挨拶を交わすお父様、お母様。
「皆様には本当に、感謝いたしております。ささやかな宴でして恐縮至極でございます。ぜひ、楽しんでいただけるとよろしいのですが」
そこで、お父様は一呼吸、置いた。
カルナックお師匠様の隣にいる精霊族ラト・ナ・ルアの姿を認めたからだ。
そうよね。この髪と目の色は、人間にはないもの。
お披露目会のときに、ラトともう一人の精霊族レフィス様は、カルナックお師匠様を助けるために来てくれてるんだけど。
お父様もお母様も他のお披露目会にいらしたお客様たちと同様、ヒューゴーお爺さまが仕掛けた『円環呪』に生命力と魔力を吸い取られて意識を失っていたから、降臨した精霊族の二人と出会ってはいなかったのね。
あたしとアウル、カルナック様の他にラトとレフィスを見たのは、会場を離れていたために『円環呪』の影響を免れていたリドラさんとヴィー先生、マクシミリアン君だけだったのよね。
黙っていればっていうか黙ってなくても精霊族のラト・ナ・ルアは、長い銀髪に薄い青の瞳をして華奢で、ものすごい美少女なの!
だけど、精霊様に対して、人間の側からお声を掛けるなんて、だいそれたことはしてはならないとされている。
ということを、あたしは少し前にエーヴァ・ロッタ先生から教わったばかり。
教養の家庭教師にお招きした先生に教わったことは多くて。
今更ながら、幼くて無知だったと、いろいろ知って、焦っているあたしです。
精霊様にも女神様たちにも、けっこう恐れ多いことをめいっぱい言い放ってきたような気がする。
この世界での人生経験が浅かったということで、許してもらえないかしら?
こちらからはお声掛けできないので、お父様とお母様がかしこまっている。
「では、紹介させていただきます。こちらは私の姉、ラト・ナ・ルア。先日、郷里から尋ねてきたのです」
カルナックお師匠様は、気になって仕方なさそうなお父様とお母様へいたずらっぽい微笑みを浮かべて、ラトのほうをちらりと見やって、言った。
(先日って! あたしたちが精霊の森を訪れて、ラト・ナ・ルアがカルナック様に誘われて人間界に来ることになったのは、ついさっきのことなのにね)
驚いたことにラト・ナ・ルアは、にっこり笑って、スカートの裾を軽く持ち上げ、この上なく優雅に会釈をしたの。
エーヴァ・ロッタ先生が、もしもご覧になっていたら、その仕草の完璧さに感嘆するに違いないわ。
いつ憶えたのかしら? 人間世界になんか興味なさそうだったのに。
「ご紹介にあずかりました、ラト・ナ・ルアと申します。カルナックがお世話になっております。ラゼル商会のお噂は、かねがね、この子から伺っておりますわ。このシ・イル・リリヤのみならず、エナンデリア大陸全土で、最も名の通った大商会だと」
この子って。
カルナック様のことよね。
「ありがとうございます。過分なお言葉を頂きお恥ずかしい限り。先祖の成した足跡を穢さぬよう、精進していく所存でございます」
お父様は、外見は十四、五歳にしか見えない美少女、ラト・ナ・ルアに、まっすぐに目を向けて言った。
「精霊様。この場にお姿をあらわしていただけるなんて、光栄でございます」
お母様も、丁寧な会釈を返した。
二人とも、頭を垂れたの。最上級の挨拶だって、エーヴァ・ロッタ先生から教わっている作法だ。
「どうか頭を上げてくださいませ。わたしは『精霊族』です。世界の大いなる意思、精霊が、この世に投げかける影のようなものなのですから」
ラト・ナ・ルアが、微笑む。
どきっとした。
儚げで、すごく聖なる感じ!
(いつもちょっぴり大ざっぱで口の悪いラト・ナ・ルアと同一人物に見えなかった、なんて、本人には言えないけど。)
大広間の中が、ざわめいた。
ラトが話し終えるまで、人々が、会話することも忘れて静まりかえっていたのだということに、あたしはそのとき初めて気づいたのだった。