第6章 その25 待ってるから。
25
ここは白き精霊の森。
青白い光の球体、生きているかのような《精霊火》が、いくつも群れなして漂い浮かび、光の河のようになって木々の間を流れていく。
明るい銀色の空の下、森の木々や下生えの草花もすべて純白だ。
落ち葉が重なっているであろう足元から白い炎がときおり吹き上がって、透明な陽炎がゆれる。
アイリスは周囲を見回した。
第一世代の精霊の長グラウ・エリスとルーナリシア姫の許可を得て何度でも来ていいとか、いつでも転移できる指輪をもらったとはいえ、それでもここは神聖なる『精霊』の棲む場所である。毎日のように訪れるわけにはいかないだろうと思えば、立ち去りがたく、名残り惜しい。
(それに、ここで婚約指輪も生まれ変わったんだもの)
アイリスは指輪を見つめた。
蔦が絡まっているような繊細な細工をほどこしたリング部分は、プラチナ。嵌まっている石は、エメラルドだ。
もともとのエメラルドを魔法でコーティングしてあるためか、内部に虹のような光彩を宿し、表面には淡いブルーの遊色が浮かび上がっている。
「見た目だけでもすごいのに。いろんな効果が付与してあるなんて!」
幼いながらもやはりアイリスも女性である。
美しいものには素直に感動する。
アイリスの傍らに立つエステリオも、カルナックが加工したエメラルドに魅入られたかのようにじっと眺めていた。
「すばらしい術式だ。わたしもいつかこのように完璧な式を極めたい」
子どものように目を輝かせている。
楽しそうで良かったと、アイリスは思っていた。
そして再び森の奥に視線を向けたとき、奥のほうに、人影が見えた。
背の高い、体格のいい女性がたたずんでいる。
あれは……だれ?
ゆったりめの動きやすそうな長袖の上衣。黒いスカートにたっぷり襞を寄せて、白いエプロンをした、レトロな雰囲気の服装。
三つ編みにした長い金髪を頭に巻きつけてアップにまとめあげている。
穏やかな表情をした中年の婦人だった。
彼女はアイリスを見やり、笑った。
そのとき、アイリスの中には、ふしぎな感情が生まれた。
初めて出会ったのに、懐かしい。
けれどその女性は、軽く会釈をして、森の奥へゆっくりと歩み去っていった。
……ローサ…かあさん。
聞こえた、囁きは。
きっと、違う。
カルナック様の声じゃ、ないはず。
あんな、せつない。いたましい声は。
だから、振り向いてはいけない。
アイリスは、心に決めた。
いましばらくは、振り向かないでいよう。
誰の声だったかなんて、確かめない。
次にカルナックお師匠様が、何か別の言葉を口にするまでは。
しばらくして。
背後で、落ち着いた声がした。
「アイリス、エステリオ・アウル。その指輪はきみたちのためだけにあるもの。誰にも奪うことはできない。ただ指輪に願えばいいんだ。使い方は、おいおい慣れていくといい」
「あの、カルナック様!」
アイリスが声をあげた。
「マクシミリアン君だって、いろんな危険なことがあるかもしれないわ! 彼には何か、お守りになるものを持たせてあげているんですか?」
「彼は大丈夫だ」
カルナック様は屈託なく笑う。
「いつも私のそばにいるから」
「へ?」
アイリスはマクシミリアンを見上げる。
彼は、答えた。
「おれは、護衛騎士です。今はまだ学生ですが、いずれはもっと頼りになる一人前の騎士になります」
「期待しているよ」
カルナックはアイリスの肩に手を回し、それからマクシミリアンに手を差し伸べた。
「さあて、帰ろうか。外界へ。人間の世界へ。アイリス、エステリオ・アウル。きみたちの家へ」
カルナックの足もとに、銀色の円が浮かび上がった。
ゆっくりと回転している。
今まさに魔法陣が起動しようというときになって、ラト・ナ・ルアが勢い込んで駆け寄り、カルナックに体当たりした。
「ずるいわカルナック。森への出入りなんかいくらでも自由にできるくせに、もったいぶって。なんでなかなか帰ってこないの? 次は一人で帰ってきてくれても、いいんだからね!」
くってかかる、ラト・ナ・ルア。
困ったように、ラトの手を握り、耳元に顔を寄せて、カルナックは言った。
「じゃあ、きみが来て」
「えっ」
ラト・ナ・ルアの頬が、ほんのり染まっていく。
「私はこのとおり忙しくてなかなか里帰りできないけれど。もし、きみが来てくれるなら、嬉しいなあ」
「ばっ、バカねっ」
ラト・ナ・ルアの顔はもう真っ赤である。
マクシミリアンに視線をちらりと移したが、すぐにカルナックに眼差しを移した。
「……しょうがない寂しがり屋さんね。今はレフィス・トール兄様は長老様に呼ばれているから、戻ってきたらいろいろ伝達事項を伝えて。そしたら、ま、まままもなく出かけられるわよ?」
それに対して。カルナックは破顔した。
「待ってるから。姉様」
「も、もももちろんだわ! 待ってなさい。どんとこいよ!」
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