第6章 その16 グラウ・エリス様の、第一の課題
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あたしの目の前にいるのはものすごい美形な、年齢不詳の青年。
青みがかった銀色の、長い髪、アクアマリン色の透き通った瞳に見つめられたら、心の底まで見抜かれてしまいそう。
ルーナリシア姫様と結婚して精霊の森で暮らしているグラウ・エリス様だ。
第一世代の精霊の代表、という、精霊たちの中でも、とっても偉いお方。
その昔には《影の呪術師》と名乗り、魔導師協会の設立に関わったカルナック様の影武者みたいなことをなさっていたらしい。
グラウ・エリス様からの、一つ目の課題。
魂の調整。
あたしとエステリオ・アウルの魂を、リセットした?
転生する以前の状態に?
ということは?
「リセットって!? ゼロからって」
「きみが考えているような意味だよ、有栖」
グラウ・エリス様は、カルナックお師匠様そっくりの……(あ、逆だった! カルナック様の方がグラウ・エリス様に似ているんだわ!)
人の悪い、楽しげな笑みを浮かべて言った。
するとそこへ、カルナックお師匠様が、ラト・ナ・ルアを右腕にぶら下げたままでやってきて、グラウ・エリス様の言葉に続いて、言い添えた。(後ろにはマクシミリアン君が、地味に、付き従っています)
「わかりやすく言えば『バッド・トリップ』だ。いや、有栖にはよけいわからないかな……。悪酔いしているようなものさ。完全なる覚醒状態に耐えられるほどには、アイリスもエステリオ・アウルも、精神、肉体の器、ともに成熟していない。まだ修行が足りないよ、きみたち」
「でもリセットはいやです! 振り出しに戻るの? 今までのことはなかったことにするの? そんなのいや!」
「おや、どうして?」
カルナック様は興味深そうに、首をかしげて。
「きみはすでにセラニス・アレム・ダルに目をつけられてしまっているし、六才のお披露目会は、祖父ヒューゴー老のおかげでめちゃくちゃにされただろう?」
「でも、アウルと婚約できたもの!」
あたしは叫んでいた。
「おじいさまがやってきたから、急いで婚約を整えたのでしょう? そうでなかったら、婚約披露の立会人になってくださったりなんて、なさらなかったでしょ?」
「……一理あるな。グラウ姉様?」
カルナック様に視線を向けられたグラウ・エリス様は、くすくす笑って答えた。
「実のところはただ面白かったからなんだろう? きみが一人の人間に肩入れするなんてね、カルナック坊や」
「幼い頃の愛称で呼ばないでください」
カルナック様が眉をしかめる。
あたしは勢いづいて、続ける。
「危険なこともいやだったこともあったけれど。伝統あるエルレーン公国魔導師協会の長『黒の魔法使いカルナック』様と、同じく副長の『深緑のコマラパ老師』のお二人が証人になってくれたから。おじいさまや、いろんな思惑で近づこうとしていた人たちを牽制できたんでしょう?」
こぶしを握りしめる、あたし。
「リセットなしでお願いします!」
するとアウルは、長い吐息をもらして。
生真面目に、固い声で言った。
「……わたしは、アイリスを守ると転生するときに女神様と約束しました。せめて、リセットされても、それだけはまっとうさせてください」
「やれやれ。からかい過ぎたかな」
グラウ・エリス様は、肩をすくめた。
「安心していいよアイリス。転生の最初までのリセットなんて荒事は、《世界の大いなる意思》でもなければ、できないことだ。わたしたちは《調整》しただけだよ」
「調整? っていうと?」
「そうだな。魂というのはレイヤー(階層)になっていて、多重構造なんだ。表層と中心部、深層意識だ。まあ、これはかなり乱暴な、ざっくりした概念だが」
「ざっくりすぎますよ。アイリスたちが戸惑っていますわ」
ルーナリシア姫様が、グラウ・エリス様に注意を喚起する。
「それだと、わたくしにもよくわかりませんもの」
「……では、言い換えよう」
いたずらっぽくウィンクして。
「表層の意識を担当するのは、地球という異世界の21世紀に生きていた記憶を持つ高校生、月宮有栖と、最上霧湖。中層にはより長い年数を生きたイリス・マクギリスとキリコ。深層には巨大な記憶のデータベースを持つシステム・イリスと、その部下だった管理局員キリコ・サイジョウ。その状態がベストなんだよ。だから、順番をもとに戻した」
「つまり?」
やっぱりわからない。あたしは首をかしげた。
「きみは月宮有栖であるアイリス・リデル・ティス・ラゼル。そして彼は最上霧湖であるエステリオ・アウルだ。特殊な場合、今回のような危機的状況になれば別人格が表に出ることもあるが、危機が去ればもとに戻る」
グラウ・エリス様は手をのばして、あたしの頭を撫でた。
「きみの熱意と『愛』に免じて。われわれ精霊族と《世界の大いなる意思》は、きみとエステリオ・アウルの婚約を承認し、保証する」
「……ほ…ほんとうに?」
もっと感激で胸が詰まったり感涙したりするところなのかもしれないけれど、あたしは、呆然としていた。
それはエステリオ・アウルも同じで。
「なんとお礼を……申し上げたらいいか、わかりません」
彼も、きっと感情が追いつかなかったのだ。
「ありがとうございます」
涙を、こぼした。
あたしは彼の涙をハンカチでぬぐった。
小さくてもレディは常に清潔な薄手リネンのハンドカチーフ? というものを常備しているものなので。
そうこうしているうちに、じわじわと嬉しさがこみあげてきて。
「ありがとう! すてきな精霊様!」
あたしは感極まって、グラウ・エリス様に飛びついたのだった。
「……可愛いは、反則だな」
グラウ・エリス様は、つぶやいた。