第6章 その14 精霊の森で
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あたしとアウルは、精霊の森にいた。
どうしてこうなったのかしら!?
さっきまで、彼の書斎にいたのに!
ところで、なぜ精霊の森に来ているのか、実はまったく心当たりがないというわけでもない。
忘れていたわけではないけれど、あたしは先日、半月くらい前に『精霊の森』に招かれたのだった。
そこで出会ったのは伝説のエルレーン公女ルーナリシア様。
あたしはすっごく驚いた!
子ども向けの絵本の題材にもなっているおとぎ話の主人公。精霊に嫁いだというお姫さま。
お会いするまでは、本当にいた人なのだということを、あたしも信じていなかった。
だって絵本よ?
伝説のお姫さまよ?
人間界で数百年前の出来事だって、森の中では、時間は過ぎていないのと同じ。
エルレーン公国を懐かしいとおっしゃる姫様と、あたしは、お友達になる約束をして別れたの。
そして、いま。
ぎゅっとアウルに抱きついたままの、あたし。
不作法になるのはお許しいただけたらいいのだけれど。
まだ放心しているアウルを、あたしが守ってあげなくちゃ!
「あなたが困ったことになっているのは、わかっていたのよ」
ルーナリシア姫が、あたしのすぐそばにいて、語りかけてくれている。
「困ったときはいつでも遠慮無くいらしてくださいと、お約束していましたのに。こんなに追い詰まっても、わたくしを思い出してくださいませんでしたの? どうか、もっともっと、わたくしを頼ってくださいな」
黄金の髪と金茶色の瞳、この上なく美しいお姫さま。
「それに、このつぎからはルーナって呼んでくださるお約束でしたわ。わたくしの可愛いお友達」
小首をかしげて、大きな目にうるみを多縦甘やかな声で言われてしまっては、公女様のお願いを、いったいだれが断れるというのでしょうか。
「は、はいっ! で、でもルーナリシア様を、そんな親しげにお呼びするなんて、いいんでしょうか」
「だれにでも許しているわけではない」
ルーナリシア姫の傍らに寄り添っている美しい精霊グラウ・エリス様が、厳しい口調でおっしゃった。
「他でもない、アイリスだからだよ」
にっこり笑って。
「わたしの妻には、人間の友人が少ないんだ。仲良くしてやってくれないか」
やっぱり。
この言い回しとか表情とか、グラウ・エリス様はカルナック様によく似てる。
(カルナック様のお師匠さまだっていうの、きっとぜったい本当ね)
まだ固まっているアウルと、あたし。
「精霊の領域に足を踏み入れたお客人。有栖とキリコ。いや、アイリスとエステリオ・アウルか? せっかくだから身体を治しきるまでゆっくりしていってくれたまえ」
「グラウ・エリス様…」
あたしは感極まって、深く頭を垂れた。
「ありがとうございます」
とてもありがたい申し出だ。
だけど大丈夫かしら?
状況はどうなってるの?
あたしとアウルは、ラゼル家の晩餐会に出席しなくちゃいけない。
もっとも。
かなりせっぱ詰まっている彼の状態では、人前に出たほうがいいのかどうか、判断に困ってしまう。
せめてカルナック様にご相談できたら。
「心配には及ばない、ここでは時間の経過など意味をなさないのだ。外界のいつの時間に戻るのかなんて、自由自在だからね」
精霊グラウ・エリス様は、こんどは、先ほどまでの険しい表情はどこへやら、たのしげに、いたずらっぽく笑った。
「それに、あの子が里帰りするなんて、ものすごく珍しいことだから、精霊たちが大喜びしてね。前回は百年前だったかな……」
こう、しみじみとおっしゃったのには、なんだかとっても説得力があったのでした。