第6章 その13 カルナック様の里帰り
13
セレナンの女神の一柱、アエリアが出現したことによって、エステリオ・アウルの書斎兼自室で寝室でもある部屋は、通常の空間ではなくなった。
エステリオ・アウルの身に起こっていた異変によって、もとから部屋の内部は外とは違う異質な空間になっていたわけだけれども。
カルナックは微笑みを浮かべ、女神アエリアを見やった。
「しばらくぶりだね、アエリア。元気そうで何より。エステリオ・アウルの転生を担当したあなたにも、ある程度の責任は持ってもらいたいのだが」
『ええ、もちろん』
セレナンの女神の一柱であるアエリアは即答した。
『これは《世界の大いなる意思》の返答でもあります。本当はスゥエやラトも空間を弄ってでも来たがっていたのですが、ややこしいことになりそうでしたから』
「そうだろうな。彼女たちはアイリスとアウルに関わりすぎている。客観的に対処できるかは難しいところだ」
人差し指で眉間を押さえるカルナック。実年齢は500歳をとうに越えているにも関わらず若々しい皮膚に、幸いにして未だ心労を反映する皺は刻まれていない。
しばらくして、カルナックは顔を上げた。
その目は水精石を思わせる淡い青の光を宿している。
「それより、せっかくアイリスのお披露目会で先代の画策により爆発事故が起こったというラゼル家の名誉を挽回するために計画した今夜の夜会に、主役の二人が遅れてしまうことになる。時間切れだ。場所を移そう」
人間の範疇を逸脱した神々しいまでの美貌に似つかわしくない、悪巧みをしているかのような楽しげな笑みが浮かんだ。
「久しぶりに里帰りするよ。兄さま姉さまにも、以前から再三言われているしね」
※
あたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルは途中から何が起こっているのかよくわからなくなっていた。
一つだけ確かなことは、キリコ・サイジョウさんがこの世界に転生した人物であたしの許婚であるエステリオ・アウルを離してはいけないということ。
守ってあげたい。
ひどく傷ついている、この人を。
「キリコさん」
「きみは、イリスなのか?」
「うん、そうなの。信じて。あたしを。…わたしたちを」
『みんなを』と、ジョルジョが言った。
キリコさんは呆然とした表情のままだったけれど、ゆっくりとうなずいた。
そのとき、カルナックお師匠様の声が響いた。
「おやおや、お取込み中かな。悪いけど、アイリスと守護精霊! それからまあ、キリコにジョルジョ、場所を変えるよ!」
「え?」
そしてあっという間に、周囲のようすが、すっかり変わってしまっていた。
はじめに頬に触れてきたのは、柔らかくてふわふわとした、あたたかいもの。
シュー、シュー。
かすかな音。パチパチ、燃える炎がはぜるみたいな音。
聞き覚えがある……?
ほのかに、爽やかな香気に満ちた空気?
「あれっ!? え、こ、ここは!? あれ? 精霊火が!?」
ほほに触れたのは大人の頭より少しばかり小さい青白く輝く光の球体で、それが周囲をふわふわと、数十個も漂っているのだ。
鬱蒼とした森の中。
すべてが白い木々に囲まれ、足下には白い草むらが生い茂る。
頭上を覆っている白い梢の間にあるのは、曇り空よりも明るい銀色の空。
銀色の蓋で覆われているかのように。
地面からは色の無い炎が絶えず燃え上がっているみたいに見えるけれど、熱はまったく感じられない。
見覚えがある。
「ここは、精霊の森っつ! どうして? いつの間に!」
『困ったらいつでもいらっしゃいって、この前、お誘いしていましたでしょう?』
麗しい声が、耳に届いた。
美しいのは魂。
優しく気遣ってくださる、その人は。
「ルーナリシア姫さま!」
「あら、ルーナって呼んでくださるお約束でしょう?」
無邪気に笑った。
波打つ豊かな黄金の髪、柔らかい光を放つ金茶色の瞳が、いたずらっぽく輝いた。
高貴で華やかな美貌の姫ぎみ。