第2章 その9 女神降臨
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「契約? 正式な守護精霊? ほかの妖精さんも?」
あたしは呆然として、繰り返した。
「どういうこと?」
『具体的には水と火の妖精が、アイリスの守護精霊になりたいって言ってきてるのよ。他にも、これからまだ増えると思うわ』
「そうなの?」
あたしは全然ぴんとこないのだ。
『まわりを見て。池の方には水の妖精がいるわ』
お父さまご自慢の睡蓮が咲いている池に目をやる。
あ、ほんとだ。池の上を、水色の小さな妖精が、光の粉を降らせながら、ゆっくりと旋回している。
『アイリス、アイリス! わたしも見て! わたしとも縁を結んで!』
微かな声が届く。
水色の髪をした、愛くるしい妖精の女の子。まっしぐらにこちらへ飛んでくる。
『だめよ! 後からきて、あつかましいわ』
『わたしたちが契約を結ぶまで待ちなさいよ』
シルルとイルミナが、ぴしゃりと止める。
『え~。いいもん、待ってるから。わたしのこと忘れちゃいやよ? わたしは水の妖精、ディーネよ』
『もう! ちゃっかり売り込んでるんじゃないわよ!』
ディーネか。かわいいな。覚えておこう。
「シルル、イルミナ。守護精霊ってなに? 契約すると何かいいことあるの?」
『もちろん! たとえば、わたしたちは契約して守護精霊になったら今の小さな身体だけじゃなくて大人の姿でも現れることができるの。そうすると本来の力を発揮できて、もっとアイリスを守れるわ!』
『わたしたち、本来の姿は大人っぽい、すっごい美人よ。期待してて』
「ほんと? そうしようかな」
『そうしましょ!』
『そうよ! せっかくわたしたちが見守ってきた可愛いアイリスを、ぽっと出の他の妖精なんかに、ちゃんと守れるわけないんだからっ!』
シルルとイルミナは大興奮のようす。
『あの~、ぽっと出ですけどぉ。水の精霊も契約しとくと便利よ? 考えといてね』
控えめなディーネのアピールに、ほっこりする。
「ありがとう、ディーネ。これからよろしくね。それから、シルルとイルミナは、今まであたしのこと守ってくれてありがとう。おかげで家族にも使用人にも喜ばれてるの。感謝してるわ」
『あ、あら、そんな。照れるわね』
『これからもがんばるわっ』
『わたしもよろしくですぅ~』
シルルとイルミナ(それにディーネ)の覚悟はよくわかった。
「契約ってどうすればいいの? 今から、できる?」
『まかせて!』
『ですわ!』
飛び回っていた光が、空中に停止した。
羽根はせわしく動いてる。ホバリングみたい。
『アイリスは跪いて。両手のひらをひろげて、上にのばして』
「……こう?」
『いいわ。じゃあ少し待っててね。わたしたちの契約を、セレナンの根源の女神さまにお誓い申し上げて、祈りを捧げるの。それが赦されたら、契約は成立するのよ』
あたしは両手をひろげて空にさしのべ、シルルとイルミナの契約宣言と祈りを聞きながら待っていればいいのだそうだ。
『大いなるセレナンの根源の女神、その御名をスゥエ・ラト・そしてエイリス。三女神の加護によりて結ばれし縁に、我、風のシルルと』
『我、光のイルミナは』
『セレナンの蒼き大地エナンデリア大陸、エルレーン公国に生を受けしアイリス・リデル・ティス・ラゼルとの縁を更に深く結び、この罪無き幼児の生命尽きるとも、その魂を未来永劫に守護する精霊とならん』
『『大いなるセレナンよ、この誓いをお認めください』』
黙って待っていればいいと言われたけれど、未来永劫に守護するとか、なんか凄すぎる内容に、ちょっと、ひくわ。
『あっ引かないでアイリス! あたしたちは本当にあなたを守りたいから』
『ずっと一緒にいたいだけなんだから』
そういえば、あたしの心の声は、シルルとイルミナには筒抜けだったわね。
ごめんなさい。ちょっと驚いただけ。
「シルルとイルミナこそ、それでいいの? ずっと、あたしに縛られるんじゃない。イヤじゃないの?」
『『そんなことない! アイリスを全力で守りたいの!』』
ふたりの小さな叫びが空気を震わせた、そのときだった。
ふわりと、目の前に銀色の目映い輝きが現れた。
青みを帯びた長い銀色の髪が、くるぶしまで覆っている。
水精石色の瞳、見覚えのある美しい顔立ち。
けれど、スゥエさまともラト・ナ・ルアとも違うのは、その年齢だ。
この女神さまは、人間の年齢に例えるなら二十歳より少し前くらいだろうか。大人びた、この上なく荘厳な姿をしておられた。
そうなのだ、思わず敬語を使わないではいられないような神々しい御方だった。
『『エイリスさま!』』
シルルとイルミナがものすごくあわてている。羽ばたきを止め、あたしの膝に落ちてきて震えている。
『『エイリスさまが現世にいらっしゃるなんて』あり得ないことなのに!』
魂に直接届くような深みのある声が、響いた。
『……赦す。妖精シルル、並びにイルミナ。現世を彷徨う移ろいやすき幻の姿から、その性質にふさわしき精霊となることを、このわたくし、セレナンの根源に最も近しき女神、エイリスが赦しましょう』
慈愛に満ちたまなざしで、女神様は進み出る。
パティオ全体は、銀色の靄に包まれて、雲の中に入ったかのよう。
『この霧は精霊火と同様に、赤い魔女セレ二ア、セラニス・アレム・ダルの手によりこの惑星の全土を巡る『魔天の瞳』の走査を遮るもの。わたくしたちの邂逅は赤い魔女のあずかり知らぬところとなる。シルル並びにイルミナ、この者、アイリス・リデル・ティス・ラゼルをよくよく守護するように。そしてこの場に集う他の魂たちよ、そなたらも望むならばこの者の守護精霊となるを赦す。水のディーネ、そなたも、縁を結ぶことを赦す』
赤い魔女セレ二アとはなんだろう。こんなにも荘厳な女神さまが、その存在に知られないように気を配るなんて?
それに走査? それって、まるで……
あたしの、空にのばしていた手に、女神様が、触れた。
とたんに、流れ込む膨大な情報の渦。
過去も未来もすべてが渾然一体となって。
あ、やばい。
胸が張り裂けそうになる。
これはなに?
心臓をえぐるような悲しみ。これは誰の感情?
ラト・ナ・ルア。ああ、泣かないで……あなたが苦しいと、あたしも、悲しい……
『アイリス!』
『アイリスどうしたの! おかしいわ!』
シルルとイルミナがあわててる。
意識が遠のく。
完全に気を失う寸前に、聞こえてきた声は、あたしの知る、どの女神さまの声とも違っていた。
『やはり、あなたはラト・ナ・ルアに同調しすぎていますね。それでは苦しいでしょう。いったん接続を切ります。望めば復旧も可能ですが、お勧めはしません』
誰の声? どちらかと言えば女性でも男性でもない、中性的な、淡々とした声が……
新たな女神さま。エステリオ叔父さんの知ってる女神さまは、簡易バージョンみたいな。
そして赤い魔女セラニスの情報。こちらは姉妹編「魔眼の王」に結構出てます。どうぞよろしくです。