第6章 その10 ポケットに残っていたのは、希望
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trinity……三重、三つ組み、三つの部分。
※
頼りない雲の上を歩くように、あたしはゆっくりと足を進める。
そもそも、「あたしは誰なの?」
一歩踏み出すごとに、記憶が蘇ってくる……。
まだ、うんと小さかった頃。
世界が滅びるって、ものすごく怖い夢を見ては飛び起きたりしていた、あたし。
両親は仕事で留守がちだった。
そんなときは叔父さまがいつもきて力づけてくれた。
「大丈夫だよ、この世界は滅びない。叔父さんが守ってあげるよ」
って。
今よりもっと幼い頃のあたしは、それで助けられたの。
おじさまのこと、ずっとずっと前から、大好きだった。
だから、うれしかった。
アウルと婚約できたとき。
※
エステリオ・アウル叔父さまの書斎兼寝室である、この部屋。
壁面のうち一面は天井まで届く作り付けの書棚になっていて、多岐にわたる分野の、手当たり次第に集められた書籍で埋め尽くされている。
全て、エステリオ・アウル自身が集めた蔵書だけど、忙しくて、本を全然整理整頓してない。かろうじて手を付けてるのは魔法と医療に関する分野のものだけ。
こんなに乱雑にしちゃって。
後で片付けるように厳しく言わなくちゃ。
……後で、って、いつになるかは今のところ、わからないけど。
床に滑り落ちたまま、うずくまり、すっかり固まってしまっている……エステリオ・アウルは苦しんでる。
けれどアウルの中に現在宿っている意識は、前世の一つ。かつての地球の終末期、地球人類のデータを保護していた『管理局員』だったキリコ・サイジョウなのだ。
国外出張から帰宅したという設定で着込んでいた旅装も解かず、トランクも開いていないし、愛用してる魔法使いのローブにさえ着替えないでいる。
彼のそばに歩み寄った、あたしは。
顔を正面から見て、胸が痛くなった。
極度の緊張を経て放心した表情。
その明るい茶色の瞳に映っているのは誰?
天使の輪ができるようなつやつやの黄金の髪にエメラルドグリーンの瞳、館の外へ出たことがないから透き通るような肌色をした六歳と三ヶ月の幼女であるあたし。
アイリス・リデル・ティス・ラゼル。
そしてエステリオ・アウルの側には、美しい青年の姿をしたジオが、彼を気遣い、けれど為す術を持たずに、立ち尽くしている。途方に暮れて。
「ジオ、だいじょうぶよ、おちついて。シルルやイルミナ、ディーネも味方についているんだから」
他の妖精たちも力を貸してくれているってことを、思い出してほしくて、あたしは声をあげた。
それを耳にしたジオは。
はっとして、こちらを見て。
やがて、目に光が戻った。
追い詰められていたんだ。ジオったら!
「ありがとう、アイリス」
少しだけ、微笑みが柔らかくなった。
「シルルたちもよく言ってた。ジオはいつでも生意気なくらいがちょうどいいの。いくらでも手伝うわ!」
言いながら、あたしはスカートのポケットに手を入れる。そしてポケットの中に入っている小さな柔らかい『珠』に、意識を集中する。
すると『珠』は……
少しだけ、ぴくっとうごいた。
※
ポケットに手を入れてみる。
柔らかいスエード皮の巾着がある。
その中に、大切にしまってあるもの。
ふつう、ドレスにはポケットを付けない仕様らしいんだけど、お披露目会のときから、あたしは新しいお洋服を仕立ててもらうたびに、お願いしてつけてもらっている。
その理由は、ポケットの中身。
巾着に入れた「もの」を、肌身離さずに持ち歩いていればいい。
それだけでも自然に魔力を供給できるって、リドラさんとエーヴァ・ロッタ先生に教えてもらったから。
さっきポケットに手をつっこんでさぐってみた。
大切な、珠。
これは『妖精の卵』。
触ってみたら、表面は柔らかくて、ほのかに、あったかくて。
あらっ!?
……コレなに?
時計のような。リズミカルな、ドキドキみたいな?
まるで、脈打ってるみたい……。
このときあたしは、びくっして。
次に、耳を疑った。
どこからか声が聞こえてきたの!
きらきらと、周囲の空気がきらめくような。
「アイリス!」
「アイリス、アイリス!」
「よかったぁ! 聞こえたのね、あたしたちの呼びかける声が!」
「ええええええ!? 妖精さんたち!?」
あたしは焦ってポケットの中で掴んでいたものを取り出した。
スエード皮の小さな巾着。
ひとりでに浮き上がり、袋の口からは……うずらの卵くらいの大きさの三つの卵が飛び出してきたのだ。
あわてて手のひらに受け止めた。
卵なのか宝珠なのか?
つやつやした、黄色、緑、水色の珠。その表面に。
ぱりぱりと、ひびが入って亀裂が広がっていく。
殻が、落ちた。
一瞬後には、卵はあとかたもなくなっていた。
かわりに、あたしの手のひらには、妖精たちが、いた。
蜻蛉に似た薄い羽根がきらめいている。
キラキラの金髪。明るい黄緑色の瞳。
若葉色のドレス。
「イルミナ!」
そしてもう一人。透き通ったきれいな赤毛のツインテール。金色の瞳。
「シルル!」
最後の一人は。
水色の髪をボブスタイルにした、愛らしい姿。瞳も水色だ。
「ディーネ!」
最初に出会ったときのように、とっても小さい、羽根のある妖精の姿で、あたしの守護精霊たちは蘇ってきてくれた!
「「「アイリスアイリス! 会いたかったわ!」」」
「あたしもよ!!」
三体の妖精達が、アイリスの周囲を、ひらひらと飛び回る。
光の粉を撒き散らしながら。
「アイリスはずっと、ここにあるエステリオの隠し部屋で、魔力を最大限まで使い果たす訓練をしていたでしょ? その魔法に影響されて、あたしたちも、こんなにも早く復活できたのよ!」
「ね、やっぱり、あたしたちがいたほうが、いいでしょう?」
「だけどジオはいただけないわ! あたしたちみんなに回ってくるはずのアイリスの魔力までも独占するんですもの!」
「……あ~、それね…」
そのジオは、いま、あなたたち三人の守護妖精のそばで、思いっきり、しゅんとしちゃってるわ。
ジオの復活を、ほかのみんなが応援してくれたっていうの、うそだったみたいね…。
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アイリスの守護精霊
光 イルミナ
風 シルル
水 ディーネ
地 ジオ
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