第6章 その9 マクシミリアンは誓う
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たったひとり、毅然として歩みを進めるアイリス。
「だいじょうぶなのだろうか」
この場では己の感情を表に出さないと心に決めていたマクシミリアンだったが、ふと素直な思いが口をついて出てしまった。
六歳と三ヶ月の幼女アイリスの小さな後ろ姿が、郷里に残してきた妹のそれと、重なって見えたからだった。
アイリスは、マクシミリアンの妹、ユリアに似ている。細い金髪と明るい緑の瞳という取り合わせが。
もっともユリアはアイリスのように深窓のお嬢さまではない。外で転げ回って遊ぶものだから日焼けして擦り傷だらけ、せっかくの金髪もぼさぼさで、まるで牧羊犬の子犬を思わせる。
父ダンテの計画していた、エドモント商会首都進出に伴ってマクシミリアンが家を離れてからは、すでに四ヶ月以上が過ぎていた。
ここラゼル家の一人娘アイリスのお披露目会で起こった事件は、背後に外国勢力の影があり、国家的規模での陰謀であったと明らかになった。
具体的な国名は公表されていないし、事件そのものも、事故という形でおさめることになっていた。
その際に、サウダージ産の『禁制魔道具』を所持するなどして、従犯の疑いを持たれたダンテは拘束されたままである。
カルナックによれば「公にはそう言っているだけさ。事情聴取と『治療』さえ終われば無罪放免だよ」というのだが。
父の天衣無縫ぶりには眉をひそめてきたマクシミリアンとしては、むしろ、簡単に放免にならないほうがいいのではと思えた。
「正直、父は少し懲りたほうがいいです」
生真面目に答えたら、カルナックは考え込む。
「では、ある程度は投獄されていてもらおう」
ここで言葉を切り、口では「懲りたほうが」と言いながらもマクシミリアンの顔に浮かんだ苦渋の決断の色を眺めやって、
「もちろん、ほとぼりがさめるまでだ。あとは我々に協力してもらうことになるだろう。応じてくれればいずれ大公にもお目通りかなうようにする」
これを聞かされたマクシミリアンは困惑し、焦った。
「あの、そのことは父にはどうか内密に」
カルナックは、意外そうだった。
「ほう? 投獄されて落ち込んでいるようなら、君から良いニュースを伝えてやればと思ったのだがね」
「……お恥ずかしいです。我が父ながら、すぐ調子に乗りますので」
「ふ~ん。……それは、面白い」
何が面白いというのか、マクシミリアンには理解できないでいる。
母エスメラルダとはカルナックの尽力により、無事に再会できた。幼い弟妹たちも母と共に首都入りしていると聞いたが、まだ顔を見てはいない。
それもこれも。
全ては、過去のフラッシュバックに怯え『緊急避難状態』に陥ってしまったエステリオ・アウルが、無事に『現実』に帰還できるかどうかに、かかっている。
マクシミリアン・エドモントは気を引き締め、腰に帯びた剣の柄に、手をかけた。
「だいじょうぶだよ、マクシミリアン」
背後に控えている彼を振り返らずに、カルナックは言った。
「ものごとなんて、案外、なるようになるしか、ないものだよ。深呼吸でもして、落ち着き給え」
「……はい」
ごくりと、息を呑む。
彼の緊張が高まるのを見ていたように、カルナックは顔をめぐらせて、マクシミリアンに柔らかな笑顔を向けた。
「だが、ないとは思うが万が一、彼らがアイリスを害するような徴候が見えたら、遠慮はいらない。アイリスの身柄が最優先だ」
「はい!」
反射的に答えはしたが。
それでもマクシミリアンは自覚していた。
(おれが最優先に守るのは、あなたです。カルナック様)
力強いのに、どこか、それに相反して儚さがにじみ出ている、カルナックの背中に、誓いの言葉を、紡ぐ。
(……死者と咎人と幼子の護り手たる真月の女神イル・リリヤ様。女神のもとで全ての人間は幼児なり。我に向けられるべきあなたの守護を、全てこの方に。我が全存在をもって誓います。全ての災いから、この方を守る!)
その誓いは、ある意味では大いなる勘違いゆえに、無意味だが。
また別の意味では……純粋なる無私の忠誠ゆえに。
彼の無垢な願いは、《世界》に、届く。