第6章 その3 システム・イリスは観察する
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「ジオ!? あなた、ジョルジョくんだったの!?」
あたしの守護妖精の一人、『地の妖精ジオ』は、キリコさんの友達、ジョルジョくんだった!
……ジョルジョ……?
?
心の奥底。思い出せない記憶の中から、だれかの声が、したような。
ジョルジョ君……って。
もしかしたらあたし。キリコさんの友達だというだけじゃなくて……いつか、どこかで。出会ったことが……?
「ううん、今は他のことを考えているどころじゃないわ」
あたしは首を振って、よけいな考えを頭から追い出した。
ところでジョルジョくんは熱心にキリコさんに話しかけているけど、キリコさんのほうは今一つ信じ切れないみたい。
よほどジョルジョくんの言う『赤い魔女』に幻惑されているのかしら?
だいたい、エステリオ叔父さまは女に弱いのよ!
家の外でエステリオ・アウルのことはよく知らないけど、確信がある。
ここで、すごい驚きと疑問が湧いてきている、あたし。
妖精って、もとは人間なの!?
そういえば女神さま……なんて言ってた?
……『世界の根源に還ることを拒み、現世を彷徨う幼き魂』。女神エイリアスはジオのことをそう語った。アイリス。わたしは全ての情報を蓄積している。キーワードがあればわたしのデータベース及び転生後の記憶情報領域からも検索可能。稼働時間には制限があり、成長と共に拡大する……
答えてくれたのはシステム・イリスだった。
これは助かる?
あたしはまだ肉体的には幼いので、細かいこと覚えているの苦手だし。
とはいえ、あたしは前世を記憶している。
数多くの輪廻転生を経験してきたけれど、いま覚えているのは、地球で三つの時代に生きていたことだけ。
一つ目は月宮有栖。21世紀の始め、東京の女子高生。
二つ目はイリス・マクギリス。21世紀半ばのニューヨーク、キャリアウーマン。
そして三つ目は、システム・イリス。遠い未来の地球。人類はデータと化して仮想空間に居住していた。人類も含め生物はすべて滅亡していた。その時代のイリスは人類を管理するためのAIで、人工生命だった。
この世界に転生したアイリスは有栖と一番親和性がある。まだ六歳と三ヶ月のアイリスが成長していけば融合も進んでいくだろう。
同じように、前世では二十五歳で死んだイリス・マクギリスも、アイリスが成人する頃には融合できているかもね、と言ってた。
けれどシステム・イリスは数千年生きていて、人類を管理しているAIだったので……感情が希薄だった。同僚も管理官ばかり。親しくなっても相手は数百年くらいで消耗して、いなくなってしまう。彼女の心情を理解するには、あたしではとうてい力不足だ。精神力も経験値も。
たからなのか。それともセラニスを撃退して疲れたのか。この三ヶ月、システム・イリスは眠り続けていたのだ。
そのシステム・イリスが、目覚めた?
「カルナック様」
まだお散歩途中に持ち上げて運ばれている子犬みたいに抱っこされている状態だった、あたしは。カルナック様の肩を、ぎゅっと掴んだ。
「どうかしたかね、アイリス」
ジョルジョとキリコさんを睨んで不機嫌そうだったけれど、あたしに対しては、ふわりと笑顔を向けた。とことん女性に優しいフェミニストなのです。
「システム・イリスが、あのキリコさんに興味があるみたいなの。詳細を知りたいって」
と打ち明ければ、お師匠様は一瞬、眉をひそめて。
「情報を求めるのは彼女の性質だな。……よかろう、推奨はできないが……まあ、やってみるがいい」
「ですが危険では」
お師匠様の左側に佇んでいるマクシミリアン君が、警告を発する。
「リスクは承知だ。なあに、いざという時は私も、マクシミリアンもいることだし」
カルナック様は、あたしを床に降ろした。
深呼吸する。
目眩がして、目を閉じた。
瞬きをして目を開けると、奇妙な感覚がした。
……あたしは、だれ?
身体が熱くなって、手足の指先がきゅうくつで、靴を脱いだ。
可愛い花の刺繍がちりばめられた、白絹の靴だ。
なんて小さい靴だろう。
視線を前に向ける。
床に倒れ込んでいる、二人の青年。
「そんな……まさか、きみは!?」
目を見開いたのは、焼きすぎたレンガ色の髪、明るい茶色の目をした青年。
見た目は少し違うけれど、その魂の姿には、見覚えがある。
『管理局員ジョルジョ・カロス。同局員キリコ・サイジョウ。ここで何を行っているのですか。特にキリコ。プログラムが外部から干渉されていますね』
『やっと現れたね。ぼくら管理局員の、雲の上の人』
くすっと笑って、大仰なしぐさで頭を垂れたのは、美しい青年だった。
『早くキリコを助けてやって』
『了解。コマンドは《Help me》?』
滑らかな女性の声が、のどを通る。
『《Help him》。システム・イリス』
寂しげな笑みを浮かべて、ジョルジョはキリコの頭に手を置いた。
『拝命しました。管理局員ジョルジョ・カロス』
頷き。
一歩、前へ進み出る。素足の足先が見える。
※
わたしはシステム・イリス。
この惑星セレナンに生まれたアイリスに転生した魂。
有栖やイリス・マクギリスとは同じ魂だけれど、意識は別のもの。記憶喪失だったときの別の自分というところか。
どれも自分自身だということが不思議ではあるのだけれど。
背後に佇んでいるのはだれ?
とても容量の大きな『魂』の持ち主が、二人。
「それが君の魂の姿か。まことに美しい」
面白がっているような口調で語る長身の成年……男性? 女性? これは……なんて美しい顔立ちだろう。性別は識別し難い。
でも、このひとが、わたしを案じているのを感じる。あたたかい、こころ。
「斬りますか」
短い言葉で語る。
まだ子どもなのに魂は大きくてはみ出しそうな……男性。野生と獣性、そして謙虚と、高みを目指す、熱い、こころざし。
斬るというのは、もちろん、わたし、システム・イリスのことではない。
敵性攻撃をする可能性がある、床にくずおれている管理局員二人のことだ。
「待て。まだ動くな」
緊張を漂わせて命じる主人。
「いつでも」
応じる、犬?
いえ、護衛騎士というのね……この世界では。
「では、アイリス。いや、システム・イリス。危険だと思ったらすぐに排除するが、この場の対応はきみに一任する」
『ありがとうございます。……お師匠様』
アイリスの記憶を検索して、最も相応しい言葉を選んだつもりだけれど。
「お手並み拝見といこうか」
カルナックと呼ばれた黒髪の美青年が、言った。