第2章 その8 妖精達と契約を
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朝食の後、学院に出かけたエステリオ叔父さんに続いて、お父さまも仕事の支度を調えて館を出る。御者が二頭立ての馬車を回してきた。
お父さまの一番の愛馬ヴェラは栗毛で、額に白い十字の模様が可愛い。もう一頭はヴェラの妹馬、ビスタ。こちらは葦毛。どちらも我が家の自慢の名馬だ。
あたしは見送りのために乳母やに抱っこされて、持ち上げられる。
「おとうさま~」
「いってらっしゃませ旦那様」
メイドたちが声を揃える。
「気をつけて、あなた」
お母さまは今朝もとびきり美人。
「おとうさま。はやくかえってね。あいりすも、おうまのはな、さわる~」
小さい手をさしのべる。
「おお、おお。アイリス。もちろん早く仕事を片付けるとも」
相好を崩すお父さま。残念。
まだお腹も出てない渋い紳士なのに。
ヴェラとビスタは機嫌良く、鼻面をすり寄せてくれた。
あたしの肩に乗っていたシルルとイルミナが羽根を震わせて飛び上がり、馬車のまわりをぐるりと旋回した。細かな光が馬車に降りかかる。
メイドさんたちが歓声をあげる。
妖精の祝福の光を浴びるなんて滅多にないことらしい。
「すごいわお嬢さま!」
「妖精の守護を得るなんて……すてきぃ」
ローサをはじめ若いメイドたちの間では、本人まったく関知しないところで、あたしの名声が高まっているみたい。
都内では乗り物を牽くのは獣馬という。
地球にいた馬にそっくりの動物だ。
この世界には、地球と明らかに違うところがいくつもある。
たとえば郊外や国外へ向かう馬車には、頑丈で身体の大きい騎竜という、ドラゴンの親戚なんじゃないかと思われる動物が繋がれる。
騎竜は魔物ではない。
むしろ人懐こく、飼い主に従うよう、よく馴らされている。
身体は堅い皮に覆われ、矢も剣も立たないから、主に軍に配備されている。国内で手に入る固体数も少なく高価だけど、貴族や裕福な人々が好んで用いる。
エルレーン公国の若き美形公主さま、フィリクス・レギオン・エルレーンさまの愛騎は、真っ白な肌をしているんだって、ローサたちがうっとり話していたわ。
三歳のときのあたしは、騎竜なんて、まだ見たこともなかったけど。
お父さまのお見送りの後は、お母さまも都の上流夫人たちの懇親会にお出かけの準備。お昼はどこかの貴族さまのお茶会にお呼ばれ。
社交をしっかりやるのも奥さまたちの仕事らしいの。
だから、あたしは乳母やに連れられて部屋に戻り、一人遊びしていていいことになっている。
執事さんとメイド長さんからは、館から出ないように注意を受けている。もちろん外に出たいなんて思わないわ。
まだ、今のところは。
「エステリオ様も素敵よね」
ここからは若いメイドたちの内緒話。あたしが三歳児だからって、みんな子供部屋では不用心な気がする。
「二十歳ちょっとで、あの老師さまの研究所の副所長なんですって」
「きっとすぐに覚者様におなりだわ」
「でもそうなったら結婚はなさらないじゃない! 困っちゃうわ」
魔法使いに与えられる最高位「覚者」に就けば、他に並びない大きな名誉。
エステリオ叔父さんは、一族の期待を一身に背負っていたのだ。
叔父さんも大変だ。
なのに、重圧なんてぜんぜん感じさせない。すごいと思う。
とりあえず三歳児のあたしには、まだ何も思うにまかせない。
中庭でおままごと遊びをしながら野望を抱くのだ。
できるだけ早く大きくなりたいな。
中庭はパティオと呼ばれるつくり。館の建物に囲まれていて外からは館を通らなければ入ってこられない。
屋根はなく、芝生やクローバーや植木がたくさん。中心には池が配置され、お父さまが外国から仕入れた、睡蓮みたいなきれいな花が水に沈んでいる。
あたしは遊ぶ。
手をのばして花を摘んでかんむりをつくる。うたいながら。
『アイリスアイリス!』
『アイリス!』
シルルとイルミナの声に、顔をあげる。
なんだか厳粛な表情で、空中に浮かんでる。
「どうしたの二人とも。なにかお話があるの?」
『そうなの! アイリス、あなたも三歳になったし』
『エステリオ叔父さんから、魔力を感じたり放ったりするすべを教わったでしょ。だから、そろそろいいかなって』
「? どういうこと」
『では言うわ。アイリス・リデル・ティス・ラゼル。わたしたちはあなたと、契約をしたいと思ってる。正式な守護精霊になるための』
「はい!?」
『それだけじゃないわ。アイリスの魔力が開かれたら、すっごく強くて。もうダダ漏れなんだから! わたしたち以外の、ほかの妖精も、契約したいなんて言い出したの!』
この作品は連載中の「魔眼の王」という作品と同じ世界観に基づいています。
時系列は、こちらの話のほうが数十年前になります。