第5章 その59 事件の後始末は全部カルナック様の責任で!
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今回のことは、あたし、アイリスを誘拐しようとした未遂事件ということにするみたい。カルナックお師匠様の尽力で。
「私はレギオン王国では、それなりに伝手があるのだよ」
頼もしいカルナック様のお言葉です。
「だからある程度はもみ消し工作もできるが、あまり期待しないでほしいね」
と、フェルナンデス王子に告げる。
まだ、魔法陣のあった小部屋にいる、あたしとお師匠様と、フェル君なのです。
あたしの両脇には護衛の従魔『牙』と『夜』が成獣バージョンで身構えている。本来の主人であるカルナック様が一緒にいるから、魔力を充分にもらっているってこと。
「お願いします! おれと、母上を助けてください!」
フェル君たら、土下座したわ!
ちょっと引くけど。
いったい誰なの?
日本じゃないどころかここは異世界なのに、土下座文化を持ち込んだ人は!
…カルナック様じゃ、ないよね?
でもフェル君てば、お母様のためにカルナック様に土下座もできる熱意には、あたしも感動しちゃったわ。
「まあ、いいだろう。もとはといえばグリスが示唆したようだしな」
グリス、というとき。
ほんの少しだけ、お師匠様の表情に、揺れがあるの。
いつも動揺なんてめったにしない人なのに。
「お師匠さま。グリスって? どんな関係なんですか?」
「やれやれ。アイリスにはかなわないね。私の、育ての母だよ」
「え!」
「灰色の魔女。いや、少女か」
遠くを見るような眼差しで、カルナック様はつぶやいた。
「グーリア皇帝ガルデルに殺された私の実母の弟子だったのだが、幼かった私は本当の母だと信じていたし、愛していたよ。養父になったグーリア皇帝に、言うことをきかなければ母を殺すと脅されたとき、なんでもするから母を殺さないでくれと命乞いをするくらいにはね」
息が止まった。
「けれどグリスは、ガルデルが不老不死を願う禁忌の儀式を行ったとき、彼の親族全員と一緒に生贄として殺されてしまった。そのときから、ずっと、世界に還ることもできないで彷徨っているのさ。私はこれでも、グリスを救いたいと願っている」
あたしは言葉を失う。
六歳のお披露目会のとき、セラニスが言っていたことを、思い出した。
500年前。
幼かったカルナック様は、ガルデルという、当時の義父に、虐待されていた。更に不老不死を願う儀式の犠牲になって死んだ。それを精霊たちに助けられたのだと。
だから、カルナック様の生命をつないでいるのは、精霊火のエネルギーなのだ。
「どういうことだ」
ここまでの話の後でそんなこと聞けるのはフェルナンデス王子くらいだ。デリカシーのかけらもないんだから!
「……フェルナンデス。君は、母上のためなら、好きでもない男に身を任せることぐらいできるだろう?」
「えっ」
フェル君の表情が、驚愕に変わり、顔色は蒼白になった。
「昔の話だよ。もう五百年も前のことだ。そのとき私はそうした。それだけの話だ」
「……お、おれは…」
さすがにフェル君も、察したのだろう。赤くなったり、青くなったり。そして床に視線を落として、うなだれる。
「……すまない」
「このバカ!」
思わずあたしは、手を出してしまった。
駆け寄って、フェル君を殴ったのだ。
グーパンチで。
ただし魔法を乗せているから、ただの六歳幼女のパンチじゃない。
なんか知らないけど、バキッとすごい音がして、ごおおおおお!とばかりに効果音。
フェルナンデス王子は、吹っ飛んで、漆喰塗りの壁に激突した。
「ちょっと、やりすぎたかしら」
「まったく、君というやつは、アイリス。どこまでも予想を斜め上に覆してくるね」
眉間を抑えたカルナックお師匠様は、けれど、しばらくしたら、にやりと、いつもみたいな悪そうな笑みで答えてくれた。
あたしたち、同士ですよねお師匠様!?
「よし、じゃあ帰ろうか。君の家族も、それにエーヴァ・ロッタも、心配しているだろうからね」
お師匠様は、手をかざして。
床の上に、新たに魔法陣を描いた。
魔法の軌跡が、銀色の神々しい炎をあげて床を這う。
「この魔法陣は一回限りだ。だからフェル王子には使えないから、安心しなさい」
「ありがとうございますお師匠様。なにからなにまで」
「還ろう、君の家に」
手をつないで魔法陣に乗る、あたしとカルナック様の背中に。
フェルナンデス君は、振り絞るように声をあげた。
「待ってくれ! おれは、君に謝りたい! そして求婚者の資格を得たい!」
もう、あたしたちは魔法陣の上に出現した銀色の扉を開けて、フェル君のいる部屋から消えてしまうというのに。
「おやおや。どうするねアイリス?」
いたずらっぽく囁いて、お師匠様はウィンクした。
「知りませんっ! どうせもう、これきりだもの!」
……あれ?
どっちに謝るの? フェル君?
そして、どっちに求婚するの?
※
「……っていうことが、あったんです!」
あたしは目の前にいるエーヴァ・ロッタ先生に、力説した。
「フェル君が求婚したいのは、カルナック様なんじゃないかしら?」
「どうしてそういう考えになるのかわからないけど、アイリス」
エーヴァ・ロッタ先生は、出来の悪い子を見るような眼差しをあたしに向けた。
「ともかく、無事に帰ってきてくれて、よかった!」
帰還した直後の騒動が少し落ち着いた、子供部屋で。
あたしとエーヴァ・ロッタ先生は向き合って、フェルナンデス王子のこととか報告しているところなの。
あたしとカルナック様が、子供部屋の前に設置してあった転移魔法陣を通って帰還したときの騒ぎといったら!
仕事で留守だったはずの両親も帰ってきていて、メイドさんたちとか魔法使いさんたち(特別捜査任務に参加していない、居残り組)も取り囲んで。すごい熱気だった。
「心配したんですから! 無茶しないで下さいお嬢さま!」
あたしの専属メイドのローサを筆頭に、メイド長のトリアさんやメイドさんたち全員にお叱りを受けてしまいました。
もちろん執事のバルドルさんにも。
バルドルさんに怒られるなんて、人生初のできごとだったわ。
そして、次に。
エーヴァ・ロッタ先生は、あたしに、全力で、謝ったのです。
「すまない! アイリス!」
え、どうして?
理由はすぐにわかった。
自分の留守にあたしが誘拐されたからって、すごく責任を感じてしまっていたのだ。
話す口調がいつもと違うくらい動転しているのがわかる。きっとこっちが「素」なんだろうなあ。
「大丈夫です、先生。あたしは無事だしカルナック様に助けていただきました。それに、これ、ぜんぶカルナック様のせいですよね!」
「待て! 私のせいか!?」
カルナック様が焦ってるけど、知らないわ。
「だって一番の責任者でしょ?」
「ううむ。まあ、そうだけど……」
「だから、説明お願いしますね。両親へのフォローとか、みなさんを安心させてください。頼みますねカルナックお師匠様!」
あたしをおとり捜査に使ったんだもん。
これくらい、やって頂きます!