第5章 その53 王子と灰色のまじない師(2月15日、かなり改稿)
すみません、この回は、ほぼ全面改稿しました。「ハイイロ」は、因縁のある相手です
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耳を疑うようなことを平然と言い放つ、偉そうに構えた少年に、あたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルは、開いた口が塞がらない。
ナタリーの家がどうにかなるって脅して、従姉妹のクララさんを使いに寄越して、ものすごく怪しい転送陣に誘い込んだのは、この子だよね?
カルナック師匠やアウルや一部の魔法使いたちの他には知られないように秘密にしていた、あたしが異世界前世の記憶を持つ『先祖還り』だっていう情報を何故か掴んでいて、面白そうだから、って理由で。
それでいて、何をしたかったのかな?
招き入れたあたしに言ったことは、
「自分は退屈しているから何か芸を見せろ」
「気は進まないけど娶ってやってもいい」
冗談じゃないわ!
「誰よあなた。クララさんはどうしたの。あたしを連れてこないとナタリーの家がどうにかなるって脅したのは、あなたなんでしょ?」
「おれは知らん」
「なに言っちゃってるの! それになに、娶るだとか意味分かってるの? まだ小さい子のくせに」
「もちろん承知だ。おまえは六歳だそうな。おれと釣り合いのとれる年頃だ」
少年は満面の笑み。
「フェルナンデス・アルシア・ロン・レギオン。王子だ」
「へーそれで? クララさんとナタリーはどこ?」
「あとだ。おれと婚姻の契約を結んだら教えてやる」
「話のわからないお子様ね! だいたい、あたしには、れっきとした婚約者がいるのよ。お披露目会で、魔導師協会の承認も受けてるんだから」
「知ってる。それがどうした? アイリスとやら。おまえが生まれた時に定められた許婚は、十四も年上の魔法使いだそうではないか。どうせ小汚いおっさんだろう? 話も合わないだろう。おれなら歳も近いぞ!」
その瞬間、あたしは頭が沸騰するような怒りを覚えた。
アウルを貶すなんて! 会ったことも無いだろう、彼のこと知りもしないで!
「こきたなくないもん! 彼は優しくて誠実で頼りになるの! み、見た目はちょっぴり、もっさりしてるけど……もともと、顔はいいのよ!」
身体じゅうが熱くなってくる。おかしいな、抑えられない。火が出そう。今なら、指先から火炎放射器、なんて芸当くらいできるかも。
目の前が。視界が赤く染まっていく。
このとき。
頭から湯気が出そうなあたしの耳元に、カルナックお師匠様の声が聞こえた。
《落ち着きなさい、アイリス》
「え、無理っ」
《深呼吸して周囲をよく見てごらん。憤ることも必要だが、一時の怒りにまかせて短絡的行動をしてはいけない。怒った時ほど冷静になるべきだ》
いつもと変わらず冷静きわまるお師匠さまの声に、はたと我に返った、あたしは。
……深呼吸する。
……なんとか息は、つけた。だけど、あまり気持ちよくない。
……ここ、空気が淀んでるみたい。
窓はなく外は見えない。
壁は白い。漆喰かな? あたしの目は、壁に描かれてる絵に引きつけられた。こういう手法はフレスコ画っていうのだったかしら。
奇妙な絵だ。
楕円形の枠の中が群青に塗られて、その中央に描かれた白い丸、周囲にいくつかの小さな丸が配置されていて……まるで、それは。
……太陽系?
視線を移す。
見回してみると、部屋の広さは六畳くらいで、おかしな……閉鎖されているような感じのする空間だ。
誰かの自室や、居間だとは考えにくい。まして来客をもてなすために作られたわけではないだろう。
天井にある明かり取りらしいところから降り注ぐ光はスポットライトみたいに、緻密に織られた絨毯の上に座っている少年を照らし出していた。
あたし、アイリスが前世で見たことのあるアラブの氏族長みたいなゆったりした布をまとい、頭に布を被っている金髪、金茶の瞳の、十歳くらいの男の子。
精悍な顔つきには、強い野心が溢れているように見えた。
《フェルナンデス・アルシア・ロン・レギオン。つまりレギオン王国の王子だ。現国王は子供が非常に多い。このフェルなんとか王子の王位継承権は十五番目だったな。現状では彼が王位に就ける可能性はほぼゼロだ》
あくまで落ち着き払ったカルナック様の声。
《誰かがこの王子を担ぎ上げようとしている可能性はある。神輿として利用するには聡明すぎてはやりにくい。これは、うまい人選かもしれないな》
「そんなところに感心しないでくださいお師匠様」
あたしとカルナック師匠が話しているのを感じたのかな。フェルなんとか王子の眉が、片方だけ、ぴくりと上がった。
「おまえ! 誰と話している?」
金茶色の瞳を輝かせ、身を乗り出す王子。
《ほう。見た目よりは聡いかな?》
ゆらりと陽炎が揺らいだ。
カルナック師匠の姿が、何もない空間から突如として出現したのだ。
「うげ!? なんだって、反則だ!」
フェルなんとか王子は豪奢な絨毯を敷いた座から転げ落ちそうになって叫んだ。
「私を知っているようだね」
カルナック様が進み出て、あたしの前に立つ。長身だし壁にはぴったり……って、それでいいの!?
「黒の魔法使い……魔導師協会の長!? だけど今は手が離せないって聞いてたのに」
「もちろん。現在進行中の案件がいくつかあって忙しい、そんな私の手を煩わせるとは、まったくもって不愉快だ。ことに、私の留守を狙うやり口は許しがたい。そこの、影に隠れている輩。今回も、そちらの負けだ。私の愛弟子を返してもらおう」
『おのれ!』
部屋の隅の暗がりから、しわがれた声が上がった。
灰色の霧がたちのぼって、みるみる、人の形に固まっていく。
目鼻ができて。口が形作られて。
ひょろっとした中肉中背の男性になっていく。
王子の着ているものと似た雰囲気の、丈の長いローブをまとっていた。
頭から被っている灰色の布で、顔を隠している。
『せっかく準備を整えたに、邪魔しおって! 《黒の魔法使いカルナック》。おぬしが、このレギオン王国に侵入するなどとはエルレーンとレギオンの和平協定に沿い、あってはならぬだろうが!』
「なんのことやら」
あたしを素早く後ろに押しのけて、お師匠様は、くすくすと笑う。
「あいにく私はエルレーン公国の人間ではないのでね。どこの国の民でもない《影の呪術師》だ。ただ、弟子を取り戻しに来ただけのこと」
背後に庇われているあたしには、カルナック様の表情は見えないはずなんだけど。いつも通り人の悪い、楽しそうな極上の笑みを浮かべてるんだろうな。
「アイリス。二匹を出す準備をしておきなさい」
カルナック様は、声を落として、囁いた。
「危険は去ってはいない。むしろこれからだ」
「はいっ!」
二匹というのは、カルナック師匠に貸して頂いている従魔のことだ。
普段は可愛い子犬の姿をして、遊び相手をしてくれているけどね。
カルナック様は、すっと、背筋を伸ばして。
小さな王子にちらと目をやり、微かに笑って。
灰色の布地を被った怪しい魔法使い……じゃない、まじない師を、見据える。
薄暗い部屋の中。
カルナック様の全身を、銀色の細かい粒子が包み込んで、淡い光を放ち始めた。
「さて、しばらくぶりだね、『ハイイロ』? 前回は自由都市エステシアで『聖堂分家』と組んでいなかったかな。いつ、こっちのちびっこ王子に鞍替えしたのだい。今回の傀儡はコレか。私の邪魔をするなら、まず、こいつから潰すけど?」
凄みのある低い声で、言った。
《や~だ。お師匠様ったら! 男らしい~!》
……あたしの頭の中で、リドラさんの、うっとりした呟きが聞こえた気がする。この場に同席していたら絶対に狂喜乱舞しそうな『お師匠様ファン』リドラさんの。
ていうかお師匠様。『ハイイロ』って? この人、知り合いなんですか?