第5章 その49 夜明け前、屋根の上で
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「有栖。アイリス。この声が届いているだろう?」
長い夢を見ていたような気がして、あたしは目覚めた。
確か、黒い髪の女の子と、金髪の女の子が出てきて。
ふたりは手を取り合ってお互いに誓うの。
「「生涯の大親友、心の友になりましょう」」って。
それを見ていた、あたしはふと寂しくなった。
前世で21世紀の東京、吉祥寺に住んでいた女子高生『月宮有栖』だった。そのときの親友、相田紗耶香。大好きだった。
明るくて元気で、親切で心の温かい、もちろんすっごく可愛いい、自慢の親友。
紗耶香にはもう会えないの?
気がつけば夜明けはまだ遠い。
今なら起きて、窓辺に行けるかも。
子犬の姿をした『牙』と『夜』がベッドの両脇に控えているはずだ。
けれど、二匹とも見当たらない。
どうしたんだろう?
「今は、二頭は君の側にはいないよ。私がここにいるからね」
くすくす笑ってるのは、カルナック師匠だ。
「お師匠さま?」
「目を開けてごらん、アイリス」
「目を開けてって……あたしはもう起きてます」
そのつもりだったのよね。
けれど師匠に言われて、やっと、本当に目が覚めた。
夜明け前の薄明の空が、見えている。
けれど、窓はない。
屋外だから!
ここ、どこ?
あたりを見回したあたしは、バランスを崩して。
座っていたところから、こぼれ落ちそうになった。だってそこは思っていたより狭くて、高い場所だったの。
なんていうか、すっごく高くて、狭い。なにこれ!?
「ここ、どこなんですか、お師匠さま」
「公立学院の屋根の上さ。君は初めてだろう?」
「もちろんですとも。館の外に出るのもです」
あたしは慌てていたのと落ちそうになったのを、取り繕おうとしてしまって、おかしな物の言い方になった。うう、よけい恥ずかしいわ。
「ところでお師匠さま。……実は、ここにいらっしゃるわけじゃないですよね」
だってカルナック師匠の姿は、半分くらい透けているんだもの。
「そうだよ、アイリス。君もだ。ここへ呼んだのは他でもない。どうやら君を私の過去の夢に巻き込んでしまったようだからね」
遠い目をする、カルナックお師匠さま。
「お師匠さまの、過去の夢? もしかして、さっきまで、あたしが見ていたふしぎな夢のことですか?」
「ただの夢ではない。過去の追体験だ」
「あ……あの《影の呪術師》さま! それにルーナリシアさま!」
「……む。君は、私の影響を受けているから、引きずられたのだ。護衛にと、この二頭をつけておいたのも関係するのだろうな」
カルナック様の傍らに、白と黒の、巨大な二頭の魔獣が現れた。
ゴロゴロ喉を鳴らしているわ。やっぱり本来のご主人であるカルナックさまに、すごく懐いているの。
「アイリス。間もなく、私たちはこの国内で児童の連続誘拐を行っている犯罪組織を叩きに行くんだ。それが上手くいけばアウルやリドラたちも還ってくるよ。私も年甲斐もなく興奮していたのだろう。眠れなくて……やっと眠れたと思ったら過去の記憶に捕まってね。目覚めようとしたのだが。そうしたら、君の意識まで入り込んでいた。初代のルイーゼロッタと同一化していたね。彼女に同情したりするからだ」
「だって。あたし、今回は、何もしてませんから」
予防線を張っておこう。
「それにお聞きしたいことがあるんです! ルイーゼロッタ様はゆとりがなかったかもしれません。スルーしてましたけど! なんですかお師匠さま、小さい頃の臨死体験って! そんなこと初めて聞きました。無茶ですよ!」
あたしが憤慨すると、カルナック様は、楽しそうに笑った。心配してるのに。
「君はリドラに似てきたんじゃないか?」
「それは褒めてるんですよね?」
「そういうことにしておこう。まあ、いい。君に会えて、ほっとしたよ。緊張していたんだな。こんなことは何度だってあったのに、やれやれ」
それから、あたしはカルナックさまと、いろんなお話しをしたの。
学院に入ったのちのルーナ姫さまとルイーゼロッタさまのこと。学院での生活。
やがて白み始めた空を仰いで、カルナック様は、ふっと微笑んだ。
「そろそろ明け方も近い。君も、ちゃんと眠らないと」
「あたしを起こしたのはカルナック様じゃないですか」
「そうだ、言っておこうと思っていたんだ」
さも、ついでみたいにカルナック様が別れ際に口にした。
「今度の手入れで、保護する子供が出てくる。ラゼル家に預ける子供も出てくるだろう。そうなったとき、彼らをよろしく頼むよ」
「だいじょうぶです! 任されました!」
そのとき。
眼下の大きな通りに、青白い光が集まり始めた。
夥しい数が集まって、やがて巨大な光の河になっていく。
「わあ! 精霊火だわ。こんなに近くで!」
「君は本当に、あれが好きだなあ……」
「カルナック様は、いいですね。いつも精霊火になつかれて」
「なつかれているのではない」
カルナックさまは不本意そうに、けれど、笑ってくれた。
「そろそろお別れだ。ルイーゼロッタ先生のご指導を真摯に受け止めるのだよ。貴族と挨拶することなんてないと思うかもしれないが、なにごとも、身につけておくに越したことはない」
そしてカルナック様はいよいよ本当に透けていって、消えてしまった。
あたしも、たぶん、寝落ちしたと思う。