第5章 その45 たった一人のエリーゼ
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「おまえ、ちんちくりんだな!」
開口一番、そう言い放ったのは、金髪に金茶色の瞳、白い肌をした美青年。
ただし、面白がっているような口調だった。
いきなり掛けられた言葉に、驚いたのは彼女自身もだったが、謁見に設けられた広間にいた多くの側近たちも非常に慌てたようだった。
「お慎みください、公子様」
「他国の王族に、このような」
「大公閣下のお留守に面会など、許可するのではありませんでした!」
「おまえたち、下がれ。公の対面でなければ構わないのだろう? おれと、こいつは、まだ顔を合わせていない。そういうことだ」
群がる側近達を、片手を一振りして追い払った金髪の公子は、あぐらをかいていた贅沢な椅子の上で、腰を軽く上げ、また座り直した。
「しかしフィリクス殿下」
「去れと言ったぞ」
怒気を含んだ言葉に側近達は縮み上がる。
「賢明なる大公閣下に、このような」
「よけいなことは言わぬが良いぞ。首と胴体が離れたくなければな」
フィリクスと呼ばれた金髪の青年が、一言。
豪奢なマントを床に引きずりながら、数人の男達が逃げ去っていく。
「頭を上げよ。それでは顔も見えぬ」
命じられたので彼女はうつむいていた上体を起こした。
十代半ばの少女だ。黒い髪に、黒い目。白い肌。
造作の整った面差しは、美しかったであろうが、焦燥にいろどられており痩せこけて、見る影もない。
「……ふん。傾国の美女だというからどんなものかと思ったら、ただの子供ではないか。こんなのがグーリア皇帝の執心か? 王女を寄越せというのは口実、エリゼールの領土が欲しかっただけじゃないのか」
フィリクスは、つまらなそうに息を吐いた。
「……ありがとうございます」
少女が返した言葉に、フィリクスは意表をつかれ、次いで、まじまじと彼女を見つめ、くすりと笑った。
「面白いことを言う」
「殿下のおことばで、救われました……」
かすかに笑みを浮かべた。
「どういう意味だ」
「とっとと私を差し出していればよかったのだと、暗に言われている気がしていましたから……狙いは領土だったのであれば……私が存在しようとどうだろうと同じ結果だったでしょうから」
「……ふん。どちらにせよ、公式には死んだことにするから、それも同じだな。おまえの行く末は、この俺が考えてやれと命じられているが。俺も忙しい」
フィリクスは、傍らに佇んでいる、黒髪の長身の青年を見やった。
「これより先は、この者の言う通りにしろ。もう会っているはずだな」
「……はい」
瀕死の状態から、生き延びたのは、この黒髪の青年のおかげだと、少女は思っていた。
感謝をこめて、恩人の顔を見る。
「どのような処遇でも、感謝致します」
「やめろ。まるで悪人のような気になる」
フィリクスは鼻白む。
「誰かに何かを言われたかもしれないが、俺が子供に手を出すか。心配しなくてもいい。おまえは家も国もなくした孤児だ。イル・リリヤの慈悲のままに。それに愛人ならいるから不自由はしていないのだ。……な?」
傍らの黒髪の青年を、振り仰いで見やった。
とたんに彼は、深いため息をつく。
「フィリクス。降りかかる縁談に気が進まないからと言って、私を弾よけにするのはやめてもらいたい。おかげで嫁の来てもないではないか」
「嫁が来ないのはおまえが無愛想だからだろ……」
くすくすと楽しげにフィリクス公子は笑った。
「これは《影の呪術師》っていうんだ。ま~愛想のねえやつだが。それなりに親切なんだぞ。おまえの世話はこいつにまかせた」
「大公閣下は、フィリクスに一任したはずだが?」
「適材適所! じゃあ頼んだぞ」
右手を振る。
「会見は終わり。後は好きにしろ。ただしこの離宮は出るな。……行っていいぞ」
それを合図に、控えていた侍女たちが少女に手を差し伸べ、ふらつく細い身体を支えて立ち上がらせ、会見の間を後にしようとした。
その後ろ姿に、フィリクスは思いついたようにふと声をかけた。
「そういや、おまえ名前は? エリーゼっつったか?」
ふりかえり、少女は無表情に答えた。
「いいえ、殿下。わたくしは、ルイーゼロッタと申します」
ルイーゼロッタ。
その名前を口にしたとき、少女の周囲から、音も光景も消えた。
※
気がつけば、いつもここへ立ち戻る。
寒風吹きすさび、空中の水分が凍って結晶となって顔に身体に叩きつける。
「姫様、お逃げ下さい」
乳姉妹のルイーゼロッタ。陰日向なく仕えてきてくれた彼女が、レギオン王国宮殿地下に隠されていた魔法陣に手が届く寸前で力尽き倒れ伏している。
血の染みがみるみる床に広がっていく。そうだ、急がねばもうじき血の海で魔法陣が消えてしまって、起動できなくなる。
「そんなことできない。わたくし一人だけなんて」
「あなた様さえ……ご無事なら……この国は滅びません……早く……でないと、裏切り者の……に……グーリアへの貢ぎ物に、されて……こんな国を頼ったのが間違いでした……姫様。ロッタを、おゆるしを……」
震える手でエリーゼは魔法陣に触れ、描かれた円が銀色に浮かびあがるのを見た。
行き先を指定するすべを、彼女は知らなかった。
ただ、こんなところにはいられなかった。
一刻も早く逃れなければ。
エリゼールを脱出するときから彼女を守り付き従ってくれた忠実な従者たちはことごとく毒を盛られ、槍で突かれ、切り裂かれ、倒れていったのだ。
レギオンなど、信じなければよかったのだ……。
※
「ルイーゼロッタ。さあ、私と行こう。君は生まれ変わったのだから。昔のことを思い煩うことはない」
黒髪の《呪術師》が、彼女の手を取った。
「ありがとうございます」
「もっと楽にしたまえ」
優しい手が、彼女の肩を撫でた。
不思議な気がした。
レギオン王国で、どうせグーリアに差し出されるのだからと虐待を受けていた自分に、こんな美しい人が、ためらいもなく触れるなんて。
男性なのに、嫌悪感を抱かずに居られるなんて。
「ふん。ここは《呪術師》に任せるか」
謁見の間に残ったフィリクスは、ひとりごちる。
「それにしてもグーリア皇帝も物好きな。あんな子供のどこに、国を攻め滅ぼしてまで手に入れようと思ったのやら」
「エリーゼ姫は第六王女。生母はサウダージ出身でしたな」
呪術師と入れ替わりに入ってきた、背の高い、褐色の肌をした壮年の男が言った。
「それがどうかしたか?」
「黒髪に黒い目。それに彼女には魔力がある。でなければ魔法陣が起動しませんからな。……姫は不幸にも、グーリア皇帝の好む髪の色と目の色をしていたのですよ」
「ガキだぞ?」
「かの皇帝は大人の女よりも年下が好みでしたからな」
「ふん。レギオンといい、この国といい、揃いも揃って、クソどもが……」
フィリクスは面白くなさそうに言い捨てた。
「では頼む。魔導師協会副長殿。あの娘は……《世界の瑕疵》になるのだろう?」
「放置すればの話で。我々が引き受けましょうほどに、ご安心めされよ」
エルレーン公国首都シ・イル・リリヤに設立された、魔導師協会の副長、コマラパは、力強く請け負った。
「気をつけろ。あれはきっと、じゃじゃ馬だ」
「慣れておりまするよ」
コマラパは、苦笑した。
あと一話で、もとの場面(現在のアイリス)に戻ります。