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第5章 その42 ルイーゼロッタ先生と銀色の魔法陣


          42


 エステリオ・アウルの書斎に描かれている転移魔法陣が、銀色に眩く輝いている。

 ルイーゼロッタ先生がいらっしゃるのだ。

 輝きが強いほど、乗ってくる人間の魔力が大きいということを示す。


 やがて出現したのは、まず、柔らかい鹿革で作られた靴。薄手の絹の靴下。手間と時間をかけて丁寧に晒された白いリネンのドレス。肩から背中を覆う柔らかなショールに包まれた、白い腕。

 ほっそりとした卵形の顔の輪郭。

 薄い唇はきりりと引き締められ、意志の強さをうかがわせる。

 金茶色の双眸。

 瞳が金茶色で、濃い金髪というのは、この大陸のほとんどの国で、王族に多く見受けられる特徴の一つ。容貌は申し分ない絶世の美女。

 高貴な気品を漂わせている。


 黄金の長い髪はまとめてアップにし、きっちりと結い上げられている。

 今日の髪型は、三つ編みを頭に巻き付けて、最後にまとめた端をヘアネットにくるみ金の簪で止めている、知的なスタイルだ。


 そしてルイーゼロッタ・エリゼール女史の全身が現れ出る。

 一見、華奢なようだけど。よく見れば筋肉もしっかりついている、長身のご婦人である。もちろん妙齢の美人。詳しい年齢は不明だけど、尋ねるような不心得者はいない。だってみんな命は惜しいもの。ね?


 あたしはそっと、先生を『魔力』で、見てみる。


 見えてきたのは……


 透明な陽炎に包まれている、力に満ちあふれた姿。保有魔力という点でも、そして肉体的な生命力という観点においても。

 その桁外れっぷりは、あたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルのような六歳の幼女にだって、歴然と見て取れるほどだった。


 ルイーゼロッタ先生、と、声をあげそうになって、思いとどまった。


 先生に、最初に教わったこと。


 ここはラゼル家の邸宅ではあるけれど、我が家に教師としてお迎えしたルイーゼロッタ先生のほうが上位となる。

 声をかけていいのは、まず、先生からお言葉をいただいてから。

 ことに、公的場所においては地位が上位の者に話しかけてもらってから初めて発言を許される。

 貴族を相手にお目通りがかなう場合に、留意していくべきことだという。

 マナーの授業は始まったばかり。

 覚えることがいっぱいありそうだ。


「こんにちは、アイリス。昨夜はよく眠れましたか?」

 ルイーゼロッタ先生は微笑んで、シルクのようなつやのある声を発した。

 絶対。断言しても良い。無意識に、呼吸するように自然に魔力を乗せている、力のある声と言葉だ。風圧をびりびり感じる。


 ヴィーア・マルファ先生が、(はっきりは言わなかったけれど)ちょっぴり苦手そうだったのも、わかる。

 こわい先生だ。穏やかで優しいけれども。

 前に立ったら、一歩もしりぞけない。

 進むか、踏ん張るかしかない。



 リドラさんは言ってたっけ。

『ヴィーは若すぎるのよ。貴族のお嬢さまとしては経験が浅いし。通常の幼児になら良いだろうけど……アイリスちゃんは……』


 一瞬、言葉を切って。

 あたしの目を見た。


『険しい道を一人でも行くつもりなんでしょ?』


 あれは質問ではなかった。

 確認だった。あたしの、覚悟の。



 だから、あたしも正面を見つめて微笑みを返す。

「はい、ルイーゼロッタ先生」


 あたしの足下には、シロとクロ。純白の毛並みと漆黒の濡れたような毛皮に包まれた魔獣……(の、子)……どうみても子犬が、転がるような勢いで顔や身体をすりつけまつわりついている。


「その子達も元気そうですね。カルナック様から従魔を貸していただけるなんて、あり得ない幸運です。大切にするのですよ」

 優しく微笑みかけて、シロとクロを撫でて下さったのです。


「さあ、今日の授業を始めましょう」



 ルイーゼロッタ先生をお迎えすることになったとエルナト様からお伺いした時の我が家は大変なパニック状態になった。


 ちなみにあたしがそんなに驚かなかったのは、初めてお聞きしたお名前だったし、よく知らなかったから、だけだったのです。……幸運(?)にも。


 カルナック様が、特別任務に駆り出すリドラさんとティーレさん、エステリオ・アウルのかわりにと二頭の従魔を残していってくださることにはすごく感謝したわ。


 可愛くて、もふもふだし。呼び名も好きにつけていいって。それにいざというときにはすっごく大きい成獣になるの。

 ヴィー先生がしてくれていた歴史や学業のほうは自習。それと週に二日ほどコマラパ師が通ってくださるというので、安心です。


 でもエルナト様が、専任のマナー教師をご紹介してくださって、お名前がルイーゼロッタ・エリゼールだとわかったら、パニックに!


「あの貴き御方が」

 今にも平伏しそうなお父様。


「エリゼールの暴れん坊姫将軍と、風の噂をおうかがいしましたわ」

 顔色が青くなってるお母様。


 ……姫将軍て。それ、なに? 歴史上の人物なの?



「落ち着いてください、マウリシオ殿。なに、それも昔の話。今は一介の暇人だ。非戦闘員に乱暴などはしないさ。気軽にすればよいのです」

 カルナック師匠は、朗らかにおっしゃった。


「しかし、某王家の末裔……ただ一人の御方ではありませんか」

 お父様はさすがにお詳しいみたい。


「たかだか昔に国をグーリアに攻められ滅び亡命した王家の末裔。そんなものは世の中に掃いて捨てるほどいる。気になさることはありませんよ」



 気にならないでしょうとも。師匠なら!

 たぶん全員が心の中でそう応えたはず。



 あたし、アイリスも、先生について何もわからないまでも、なんだかとんでもないことになったのだ、と理解できた。

 暴れん坊っていう点では、今さら、あまり驚かないけれど。

 だって戦闘民族で有名なガルガンド氏族出身のティーレさん、スノッリさんも知っているし。


「ありがとうございます、カルナック様。我が弟エステリオ・アウル、我が家の大切な宝、アイリスのために、考えられないほどのご尽力をいただきましたこと、一生かかっても返しきれない恩義でございます」

 感極まるお父様。


「本当に……アイリスは我が家の天使です。カルナック様、エルナト様をはじめ魔導師協会の皆様には、いくら感謝してもたりません。ありがとうございます」

 涙ぐむお母様。


 気づけばメイド長のトリアさんも執事のバルドルさんも、あたし専属小間使いのローサ、ほかのメイドさんたちも、もらい泣きしている。


 あたしも、不覚ながら涙が出てきてしまった。

 まだ六歳だけど、悲しいこと、辛いこと、嬉しいこと、いろんなことがあったもの。

 カルナック様たちにはいくらお礼を言っても言い尽くせない。


「気になさることはない。エステリオもアイリスも、私の可愛い、才能ある弟子です。ご一家の幸福のためなら、いくらでもご協力は惜しみません」

 カルナック様は真顔でおっしゃった。

 いつも本気だってことは知っているけど。


 ……ところでコマラパ様は特別任務には参加しないのね。

   やっぱりお歳だからかしら……


「涙は、喜びのうれし涙のほうがいい。いずれ将来には、そういう良き日もありましょう。そのときには、私もコマラパも再び証人をつとめます。ご一家は、ずっと笑顔にてご健勝でいられますように」


 あれ?

 おかしいな。

 明るく笑っているのに。

 カルナック様の微笑みは、なぜだか……見ていると、せつなくなった。


 なぜかしら。まるでカルナック様が、お幸せではないような。


 このとき、ふいに。

『バカね、アイリス。あたしを助けるのもいいけど、まず、あんたは幸福になってくれなくちゃいけないんだから! でなきゃあたしの罪悪感はんぱないんだから』

 以前に聞いた、ラト・ナ・ルアの声がよみがえり、胸に響いてきた。


 そうだよね。

 あたし、イリスは。有栖は。

 転生して、だんだん過去の記憶を忘れてきているけれど、変わらない思いがある。


 まだ、あまり広い世界を知らないあたしだけれど。この美しい世界が滅びるところなんか見たくない。なんとかして防ぐ!

 みんなが幸福で、笑っていられる未来が、あたしは切実に欲しい。


 すると、カルナック様は、あたしの頭を軽く撫でた。


「アイリス。幸福になりなさい。君に託す私の古くからの従魔は、甘えん坊で寂しがり屋でね。いっぱい一緒に遊んだり眠ったりしてやってくれ。それに、エーヴァ・ロッタは、そうだな、いいヤツだよ」

 その表情は屈託がなくて。少しほっとした。


 あれ?

 エーヴァ・ロッタ?



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スピンオフ連載してます。もしよかったら見てみてくださいね
カルナックの幼い頃と、セラニス・アレム・ダルの話。
黒の魔法使いカルナック

「黒の魔法使いカルナック」(連載中)の、その後のお話です。
リトルホークと黒の魔法使いカルナックの冒険(連載中)
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