第5章 その38 サウダージ共和国が落とす影(修正)
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「成功させるしかない。相手はサウダージ共和国の息がかかった大規模な犯罪組織だ」
カルナック様の緊急指令である。
アウルはがんばって急いで傷を治すって言ったけど、あたしは心配でならない。
「カルナック様。『ヒール』とか、すごい回復魔法はないんですか。魔法でアウルの傷を一気に治したりはできないの?」
「ファンタジーなロープレに出てくるような万能の回復魔法か」
カルナック様は、微笑んだ。
子供を見守るような、温かい笑みだったけれど。
「この世界でも主に冒険者たちが使用しているような、戦闘中に急場をしのぐための特効薬や回復魔法は存在している。だが後遺症や反動によるリスクが伴う。身体のためには、ゆっくり自然に癒やすのが望ましい。それに加えて、アウルの場合は少々、特殊なのだ」
眉をひそめる。
「ティーレの場合と同じ。二人はもともとの魔力保有容量が通常よりかなり大きい。その魔力をほぼ空っぽにされたために瀕死状態になったのだ。巨大なプールを元通りに満たすには長い時間が必要だということだよ」
「つまり、いくらお師匠様でも、巨大な容量を満たすほど、急激に回復する方法はないということですか」
ヴィー先生の無邪気なひとこと。
カルナック様は、さらに苦い表情をした。
「挑発しているつもりかね、ヴィーア・マルファ。この私を誰だと思っている。まったくすべがないわけではないが単純にやりたくないだけだ」
「どうしてです? やはり、お疲れになるのでしょうか」
あたしが尋ねると、カルナック様は、困惑したように眉をひそめた後で、薄い唇の端をわずかに上げた。皮肉な笑みが浮かぶ。
「体力、魔力ともに完全回復させるために、私の無尽蔵の魔力を分け与えてもいいが、もっとも効率的にやるには、対象とディープキスしなくてはならないのでね」
「はい?」
え?
キス?
対象って……アウルと?
「正直、男とはやりたくない。萎える」苦笑しつつ、続ける。「だからといってティーレともしない。リドラに恨まれるのは避けたいからね」
「え!? し、師匠、なに言ってんですか! そそそんなことないです! ティーレが早く回復するなら」
真っ赤になったリドラさん。珍しいくらい耳まで赤い。
「本音を答えたまえ。いやだろう? 認めないというならティーレには私が」
「だめです!」
リドラさんは慌ててカルナック師匠の言葉を遮った。
「冗談だよ。さっきアイリスにヘンなことを吹き込もうとしたお返しだ」
とたんにカルナック様は、明るく笑い出した。
どれが、冗談?
方法がキスだってとこ?
できるけど男とはキスしたくないというところ?
「なっ…冗談じゃないですよ!」
憤慨するリドラさん。
「まったく、師匠も、お人が悪いんですから」
肩をすくめるヴィー先生。
いやいや、あなたが煽りましたよねヴィー先生。
「やめてくださいよ、お師匠様……また体調が悪くなりそうです」
アウルは青い顔をして、息を吐いた。
「傷が痛む……」そっと、ぼやいた。
ともかくリドラさんにとってティーレさんが、とっても大切な人だってことは、あたし、アイリスにも、これ以上無いくらい明らかにわかった。
「師匠の本意は、わかってますけどね。あまり、弟子達で遊ばないでくださいよ」
このとき、新たに加わった人物の声が、した。
振り向かないでも、わかった。
ティーレさんだ。
看護師さんに付き添われ、歓談ロビーの奥のボックス席へ……ここ、どうみても密談専用みたいよね……やってきたティーレさんは、リドラさんがさっそく引いてくれた椅子に腰を下ろした。
席は、あたしの右隣だ。
左隣にはアウルがいるので、あたしはティーレさんとアウルに挟まれ、カルナック様、ヴィー先生、リドラさんと向かい合った。六人掛けのテーブルだ。
「何かございましたら、お声を」
カルナック様に一礼してから、看護師さんたちは退出していった。
「ふう」
ティーレさんは大きく、のびをした。
「カンベンしてやってくださいよ。うちの部下は、結構、免疫がないんですから」
見た目は十五歳くらいのプラチナブロンドの美少女なのに落ち着いた声で、ちょっぴり大人な発言。さすが前世ではリドラさんの上司だっただけあるわ。
「そのつもりなんだがな、私は」
くすりと笑うカルナック様。
ティーレさんは、ため息。
「そういうのツンデレっていうんです! わかりにくいんだから!」
それから、あたしの耳に顔を寄せて、声を落とす。
「本心はね。師匠は、子供たちが昔のアウルみたいな目にあわないようにしたいんだよ」
ぴりっと、全身に緊張が走る。
浮かんできたのは、アウルの体験。
アウルの記憶からは消された、幼児の時に攫われ、救出されるまでの約半年、レギオン王国で酷い虐待を受けていたこと。
そんな辛い目にあう子供をなくしたい。
カルナック様のお気持ちは痛いほどわかる。いつもいたずらっ子みたいだけど、本当はとっても優しい人だ。出会って半月くらいしか経ってないけど、あたしにだってわかる。
「大昔にはいなかったが、今では生まれつき『核』を持つ子供が増えている。アイリス、きみのように。ま、君ほど桁外れな者はめったにいないが……誘拐組織が狙うのは、そういう子供なんだ」
「生まれつき『核』を持ってる子供?」
「彼らは、それが目当てなんだよ。『魔力核』がね。そのために各地で幼い子供たちをさらって集めている」
「そんな……! 小さい子をさらうなんて、信じられないです!」
身体が震える。
「サウダージ共和国を同じ人間の住む土地だと思ってはいけない。同じ人間、なんてことはあり得ないのさ。まずいことに彼らは、絶望している。この世界に生まれ落ちたことを呪っている。どんな犠牲を払っても、目的を達成したいのだ。今、言えることは、これだけだ……アウル、ティーレ、よく養生しておきなさい」
カルナック様は、静かに席を立った。
それ以上を教えてくれるつもりはなさそうだ。
……子供には、あまり酷いことは聞かせたくない。私のポリシーだ。
初めてカルナック様にお会いしたとき、おっしゃっていた事だ。
いくら前世の記憶があっても、今世ではまだ六歳の子供だから、ショックを与えるようなことは教えてくれないつもりなのだ。
あたしが大人になったら、もっと色々なことを教えて貰えるのかな。
「ああ、そうそう」
振り返ったカルナック様は、にやりと笑った。
「アイリス。アウルはどうしようもないヘタレだ。しっかり捕まえておきなさい」