第5章 その37 カルナック様の緊急指令(修正)
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「リドラ・フェイ。ヴィーア・マルファ!」
突然、カルナック様が振り返って声をあげた。
「どういうつもりかな君たちは? アイリスに妙な先入観を与えないでもらおうか」
「えっ師匠、何のことですか」
きょとんとするヴィー先生。
「わたしたち、ヘンなことなんか言ってませ~ん。だって師匠が熟女好きなのは本当でしょう?」
リドラさんは確信犯めいて、満面の笑みで答えた。
あれ? ちがうの?
「それが誤解を招く表現だというんだ。まるで私が女好きみたいじゃないか」
憤慨するカルナック様。
あたしは思わず素朴な疑問をぶつけてしまった。
「違うんですか?」
「ほら、アイリスが疑ってる! いい加減にしないと……」
カルナック様の目が、明るい青の光をたたえた。身体の周囲に青白い光球、精霊火が集まってくる。
……これ、やばくない?
「うそうそ! アイリスちゃんごめんね、うそよ!」
「そうそう! 師匠は真面目な変人だからね!」
とたんにリドラさんとヴィー先生は、あからさまに態度を変えた。
いい加減にしないと、どうだというのかしら。
カルナック様のお怒りをかうのは、よっぽど怖いに違いない。
「変人はないだろう……」
「でも師匠が食堂のおばちゃんたちに愛想いいのは事実ですよね」
懲りないな、リドラさん。
「いつもがんばって働いてくれてるお嬢さんたちをねぎらうのは当然のことだろう」
カルナック様も、ぶれないな。
「相手は本気にしますよ。わたし何度も言ってますけど。ぜんぜんご自分をわかってないのは、誰よりも師匠ですよ……」
リドラさんは、お手上げ、と、肩をすくめた。
「ま、しかたないですけど。そこが師匠らしいとこですしね」
眉根を寄せながらも、顔は穏やかで、笑っている。
リドラさん、師匠のこと大好きなんだなあ。
※
「さて、本題に入ろうか」
待合の奥の方には、パーテーションで区切られた区画があった。
着くなり、カルナック様は窓のカーテンをリドラさんに引かせて、目隠しをする。
窓の外の綺麗な景色が隠れてしまうけど、覗き見の用心のためだ。
カルナック様、あたし、リドラさん、ヴィー先生の順に、奥から席についた。
アウルもじきにやって来るはずだ。
「最初に言っておく。アイリス。君はさっき深く考えずに答えただろう。私が人間を見捨てないためには、君にも私と同じように長く生きてもらうと言ったことに対して」
「え」
そういえば……そんなこと答えたような……?
「その様子では、やはり理解していないようだね。アイリス・リデル・ティス・ラゼル。家族の中で一人だけ飛び抜けて大きな魔力を持って生まれてしまった君は。《世界の大いなる意思》の限りない恩寵を受け、同様に《世界》によって無限に生きる呪いをかけられたのだ。……この、私のように」
「はい?」
「だが安心したまえ。父上、母上ほかラゼル家一同には、人の身に赦される限りの長寿と健康を与える。君が悲しむのはしのびない。いずれ、遠い未来には、家族との別れも訪れずにはいないだろうけれど」
「……あ、あたしは」
しまった驚いて思わず『地』のしゃべり口調が出ちゃった。
この世界で、エルレーン公国首都の豪商ラゼル家の一人娘アイリス……現在四歳…として転生しているあたし。だけど、中身の精神……前世の魂は、東京の女子高生だったりニューヨークに住んでた25歳のキャリアウーマンだったり、地球滅亡のとき人類の最後を看取った管理システムAIだったりしたんだ。
アイリスと女子高生の有栖だった頃の記憶はずいぶん違和感がなくなったけど、ここが東京ではないということに、本当のところまだ慣れてない。
「無理しなくていい。前世の記憶との齟齬は、『先祖還り』につきものの悩みだ。リドラに相談して、力になってもらいなさい。ティーレもアウルもじきに復帰できるよ」
カルナック様は、優しく笑う。
「ところで……本題だ。アウルも来たところだし」
表情が、引きしまる。
「遅くなりました」
背後でアウルの声がした。
「はい、こっちに座って」
リドラさんが椅子を引いて、アウルを座らせた。
「ありがとうございます、リドラさん」
あれ? 今日はリドラさんを親しい呼び名では呼ばないんだ。
そこはあたしも少しだけ引っかかっていたの。
「そろそろ本気を出してもらうよ、エステリオ・アウル」
「は、はい」
「猶予は一か月だ。来月の末に、児童誘拐組織の大がかりな摘発を行う。一人でも多くの人材が必要だ。それまでに完治して退院しなさい」
「おおせとあらば」
「待ってカルナック様! 児童誘拐? 摘発って……危険なんじゃ、ないですか」
「君は心配しなくていい、可愛いアイリス」
カルナック様は穏やかに笑って、あたしの頭を撫でる。
ああ、また、ぴりぴりくるわ。なんて強い魔力。
「君が待っていると思えば、アウルは頑張れるからね」
カルナック様は、柔らかな表情でいながら、誰にも異議の余地などない、決定事項を通達する。
するとアウルは息を呑んで、姿勢を正して答えた。
「はい! 全力で治して現場復帰しますっ!」
「君たちもだよ、リドラ、ヴィー。後でティーレにも声を掛けておくが。これは成功させる以外に選択肢などない。相手はサウダージの息のかかった大規模な犯罪組織だ……」
この次あたりでクリスティーナ・アイーダのエピソードと繋がります。