第5章 その17 今日から魔法の実践学を始めます(修正)
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気がついたら、もう朝。
あたしの傍らにはリドラさんがいた。
夜の見張りだったカルナック様と交替したのかな。
「リドラさん、おはようございます」
「おはようございます、お嬢さま」
あたしの専属メイドにして頼もしい護衛、魔導師協会の派遣したフリーの魔法使いであるリドラ・フェイさん。
普通に立っているかぎりは、黒髪、黒い瞳、リネン色のすべすべお肌、エキゾチックな絶世の美女。
「リドラさん、きょうも一日、よろしくお願いしますね」
「了解よ~! こんな可愛い子ちゃんのためなら時間外残業も厭わないで頑張っちゃうからね~!」
愛嬌のある満面の笑みで、Vサイン。
……口を開かなければリドラさんは絶世の美女です。
コンコン。
遠慮がちなノックの音がした。
「おはようローサ。お嬢さまはお目覚めですよ」
リドラさんがドアを開けて招き入れたのは、癖の強いたっぷりの赤毛を耳の下で二つに束ね、三つ編みのお下げにしたローサ。
あたしより七つ上だから十三歳。
生まれたときからお世話をしてくれた小間使いで、あたしには歳の近いお姉さんみたいな親しみがある。
「おはようございます、お嬢さま。よくお休みになられましたでしょうね」
「おはよう、ローサ。もちろんよ。きょうもよろしくね」
言葉を交わした後、ローサはふと、部屋の中、天井のあたりを見回した。何かを探しているように。
「……ああ。そうでした。妖精さんたちは」
「ローサ、守護妖精さんたちは、ここよ」
あたしは妖精の卵を見せる。
リドラさんが作ってくれた、スエードの小さな巾着袋に入れて、ポケットに入れて持ち歩くことにしたの。
「これが『妖精の卵』なんですか、お嬢さま」
妖精や精霊を視るほど魔力を持っていないローサにも、「妖精の卵」は、見ることができた。
「いろんな色をしているんですね」
「そうよ、光、風、水、土。その性質にふさわしい色になっているらしいわ。みんなは、あたしを助けるために、《世界の大いなる意思》のふところまで潜っていって、《世界》の精霊様たちを呼んできてくれたの。そんな無理をしたから、消えてしまうところだったけど、精霊様たちが卵に戻してくれたのよ。大事にあたためるわ。卵が孵ったらまた妖精になるのよ……」
「お嬢さま、だいじょうぶですわ。きっと卵は孵ります。元通りの妖精さんたちと、お会いになれますよ」
力強い笑みを浮かべてうなずいたローサ。
「お嬢さま、洗顔のご用意ができております」
ローサは湯を満たした陶器の水差しと清潔な亜麻布を運んで来たのだ。
この世界には蛇口をひねればお湯と水が出る朝シャン洗面台なんてものは備わっていない。リドラさんとローサに手伝ってもらって顔を洗う。
お肌の潤いを落としすぎない保湿効果のある洗顔石鹸を使って。
実はこれ、エステリオ叔父さまがコマラパ老師と一緒に研究室で開発したものなのです。
ちょっと自慢しちゃおう。
叔父さまも、人が良いから誤解もされやすいけど、ほんとは、すごい魔法使いなんだから。
洗顔の後はメイド長のトリアさんをはじめ、十人くらいのメイドさんたちがやってきて怒濤のお着替えタイム。
メイドさんたちは毎朝のお着替えが楽しいみたい。嬉しそう。
最後に髪を整えてくれるのはリドラさん。
「みなさんがお着替えに萌えるのわかりますわ~!」
リドラさんは楽しそうに笑った。
彼女は魔導師協会お抱えの魔法使いで潜入捜査官、もとい潜入護衛兼メイドに扮している立場を存分に堪能している。
「ごらんになってお嬢さま。とっても愛くるしいですわよ~」
鏡台の前に座る、あたし、アイリス。
六歳になって半月の幼女です。
白いリネンとレースを重ねた生地をたっぷり使った、スカート部分のドレープがキレイに出ている膝丈のワンピースに、フリルつきのエプロンドレスを重ね着してるけど、これは普段着です。
アクセサリーや髪飾りはつけていない。
黄金の絹糸のような髪、透き通ったエメラルドグリーンの目。色白なのは館から出てないからだけど幼女だけあって肌のきめが細かいのね。
将来はお母様似の美人になると思う。
自画自賛っぽくて恥ずかしいけど、事実なのです。
お着替えを終えたらメイドさんたちに連れられて子供部屋を出て、食堂へ向かう。
マウリシオお父様とアイリアーナお母様が待っていた。
毎日お忙しいお父様、お母様と朝食を一緒に食べてお話しできるのは楽しみで、すごく嬉しい。
エステリオ叔父さんも一緒だったらもっといいんだけど、怪我で入院してるんだもの仕方ない。
一日も早く元気になってほしいと、いつも思っているの。
朝食後はお父様のお見送り。
お母様は大貴族であるアンティグア家(叔父さんの親友のエルナトさんのご実家)の昼食に招待されているから、早くからお出かけの準備に余念が無い。
あたしは、本当はすぐにでもエステリオ叔父さんのお見舞いに駆けつけたいところなんだけど。
エルナトさんの妹であたしの家庭教師、ヴィーア・マルファ先生は「却下」だって。
そしてあたし専属の護衛メイド、リドラさんの言うことには。
「だめよアイリスちゃん。いい女ってものはね、安売りしちゃだめ。じらすテクニックも身につけておかないと」
六歳の幼女に言うことじゃないような気がする。
「例をあげれば、カルナック師匠なんて基本がツンだから。それがたま~に、にっこり笑ってみ! 老若男女問わないよ、面白いように釣れるんだ! それだけで魔導師協会の評判もうなぎ上っちゃうし勝手にお布施……寄付が集まっちゃうもんね。いや、師匠は何も知らないけどさ。エルレーン公国大公様がスポンサーなのはありがたいけど組織には、表沙汰にしたくない出費はつきものだからね。おいしい! 師匠は、おいしいよ!」
くっくっ、と笑う。
あたしは軽く引いた。
リドラさんの前世はエリート営業マンだったって、本当なんだろうな。
女豹だわ!
でもこれって「いい女に必須のじらしテクニック」とは関係ないんじゃない?
リドラさんの言うところでは五百年以上も生きているというのに、魔導師協会の長カルナック様は天然な残念美形です。自分が超絶キレイだとか、わかってなさそう。きっといいとこのお嬢さまだったんだわ。あれ? それとも、いいとこのご子息かな? あの浮き世離れっぷりは。
「ではアイリスお嬢さま。勉学に励みましょう。将来のために。アイリアーナ夫人、昼食は実家にお立ち寄りくださるそうですね。不肖の兄にかわりまして御礼を申し上げます。このような佳人を我が家でおもてなしさせて頂くとは望外の喜びにございます。ぜひ私も同席したいところですが、残念です」
「まあ、ヴィー先生はお上手ですわね。わたくしも子持ちで、もう若くはありませんのに、からかわないでくださいませ」
と言いながら、お母様の顔色は目に見えて明るくなったわ。
ヴィー先生ってば、女性をエスコートし慣れてる。
お母様にご挨拶して。
護衛をしてくれているメイド服のリドラさんと家庭教師のヴィー先生に挟まれて、子供部屋に戻ってお勉強。
……って思っていたんだけど。
行き着いたのは、エステリオ叔父さんの書斎だった。
「さぁ遠慮無く入って」
リドラさんが率先して扉を開けた。
鼻歌まじりに。
「勉強するには教材が揃っている部屋がいいでしょ? どうせ部屋の主のエステリオ・アウルは入院してるんだし、アイリスちゃんが使うのに文句はないわよぅ」
「それ、家庭教師のわたしが言うところだろ」
ヴィー先生は「やれやれ」と、肩をすくめた。
「さあ入ろう。それと今日からは、今までの勉強に加えて、魔法の実践も本格的に始めるからね」
いたずらっぽく笑う、ヴィー先生。
「行くわよアイリスちゃん」
リドラさんが、あたしの背中を押した。