第5章 その13 リドラさんと内緒話(修正)
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カルナック師には、睡眠は必要ない。もうほとんど精霊と同じだから。
リドラ・フェイさんは言った。
「そ、そうなんですか~。知りませんでした。あ、寝なくていいなんて素敵ですね」
重い話題なのかしら?
思わず逃げを打ってしまった、あたし、有栖です。
ヘタレだと言われても仕方ないわ。
「前世では高校受験の時、苦労したもの! 眠気がこなかったらいいのにって」
するとリドラさんは、ものすごく……笑った。
腹を抱えて笑い転げたあとで、再び、真顔になる。
「ま~ね、年に一度、数日間は眠ったきりになるけどね。それで一年分ってわけ!」
今のはギャグなんだろうか?
リドラさんも相棒のティーレさんも時々、前世の名残りで大阪ノリのギャグをかましてくるんだよね。リアクションに困るわ!
「師匠は小さい頃、精霊の森で育てられていたってとこまでは知ってるよね? 育ての兄様がレフィス・トール様、姉様がラト・ナ・ルア様だって」
「はい。ものすごくピンチでした! 精霊様が来て下さらなかったら、あたしもアウルも、お父様お母様、この家の人たちもお客さまも、みんな、どうなっていたかわかりません! とっても感謝してます!」
どうなっていたかって。
お爺さまが昔からこっそりと我が家の床下に仕掛けていた『円環呪』とかいう真っ赤な魔法陣みたいなのが作動したら、お披露目会の晩餐にやってきてくれたお客さまたちも家族もみんな生命力を吸い取られたとかで、どんどん倒れていって。
そして。
あたしのアウルは、『魔の月』セラニス・アレム・ダルが降臨し憑依するための器にされてしまうところだった。
「うんうん。ほんと危なかったわぁ~」
リドラさんは何度も大きく頷いた。
「ま、精霊様たちはツンデレだから。精霊の愛し子カルナック様を助けに来ただけだって言ってたけどね」
ラト・ナ・ルアがツンデレってのは、あたし、アイリスの中の有栖も激しく同意するわ。
「師匠の話じゃ、精霊の森で数十年暮らして、その間、食べることも飲むこともしないし、時間も止まってた。もう人間じゃないんだよってのが師匠の口癖さ。実際、あのときアウルの身体を乗っ取ったセラニスが切りつけたら、師匠の傷口から噴き出たのは血じゃなくて『精霊火』だっただろ?」
リドラさん、さっきまで、いい女を演じてたこと忘れてない? すごい男前な表情と声になってる。
「師匠はね。もう身体の中身はほぼ精霊火なんだって。いつか精霊に連れてかれそうな気がして、怖いんだよね」
あたしと並んで窓辺に佇む(あたしは六歳の幼女なので椅子の上に乗ってるけど)リドラさんは、夜明けの徴候も未だ現れない夜更けのシ・イル・リリヤ市街を眺めていた。
精霊火が描き出す光の大河は美しいけれど、リドラさんは微かに身震いをした。
怖いのだ。
きっと、精霊火がというより、カルナック様がいつか精霊の森に帰ってしまうと思うことが。
「あの、リドラさん」
空気が重い!
あたしは話題を変えようとこころみる。
「カルナック様、いつも髪を三つ編みにしてますよね。長い髪の、下半分のほうだけ、ゆるい感じで」
「え? ああ、うん」
思わず素で答えてしまうリドラさんは、かわいい。
「あれってちょっと可愛い。ご自分で編んでらっしゃるのかしら」
「あ~、あれね?」
乗ってきたわリドラさんが。
「実は、わたしが担当なんだよ~。時々は師匠も自分でやってるけどさ。自分で編んでるときは三つ編みが歪んでるんだよね」
お茶目に言う。
「あはは」
「でも、何百年もずっと髪型を変えてない。なんでか、わかる?」
「……なんでって?」
「どうしても、また会いたい人がいるんだって! だから再会したときにわかってもらえるように、髪型を変えてないわけ。泣けるわぁ~」
「えええっ!? なにそれロマンチック!!」
「でしょでしょ~!」
ガールズトーク(?)で盛り上がっているときでした。
「こらそこ! 何を話しているのかな?」
突然、凜々しい声がして、あたしとリドラさんは、揃ってびくっとして、おそるおそる、振り向きました。
そこに立っていたのは、全身を漆黒のローブに包み、まっすぐ垂らしたら床まで届くに違いない長い黒髪を下半分だけ緩い三つ編みにした、夜目にも白いとはっきりわかるすべすべ美肌にアクアマリン色の瞳を輝かせた、背の高い美人さんでした。
つまりカルナック様なんですけど。
あ、ちょっと怒ってます?
目が青い時は魔力が溢れてるってか漏れ出してるってことなんだよね。
「リドラ・フェイ。まだ君は担当時間じゃないはずだが。こんなに早くからアイリス嬢に何を吹き込んでるのかい」
美形が凄むと、怖いです。
「やぁだ、お師匠さま! 吹き込むなんて人聞き悪いですぅ」
手もみしてるリドラさん。
コントに出てくる悪徳商人じゃないんだから。
「コミュニケイションですよ! 護衛対象のことはよく知らないと!」
「アイリスが寝不足にならないように気をつけるのもきみの任務の一環だよ」
「はあ。すみませんでした」
まるで上司に叱られる平社員、なような?
「まあいい。二人とも、身体がもたないよ。少し休んでおきたまえ。まだ太陽は昇る気配もない。どうせ、そんなに遅くまで寝ていられるわけでもないんだからね。もうしばらくは、わたしが見張りをしていよう」
カルナック様は、鷹揚におっしゃった。
やった! 意外と早くお許しいただけたわ。
この世界ってけっこう朝が早い。
太陽が昇る頃にメイドさんたちがやってきて、あたしのお着替えが始まるの。
もちろん、この屋敷に詰めている下働きの人たちもメイドさんたちも、もっと早く起きていろいろ支度してるし、料理人さんも朝ご飯の準備に取りかかっている。
朝食はできるかぎり家族が顔を合わせることになっているから、お仕事に行ってしまうお父様や、お茶会や園遊会という上流社会の情報を集める役目を持っているお母様、二人と顔を合わせる貴重な時間。
本来ならアウルも同席するところだけど、今はまだ入院してるから。
ティーレさんもね。
早く元気になってほしいな。
「では、お休み」
カルナック様は、いたずらっぽく笑った。
あ、しまった。
眠りの魔法を掛けられた!
急速に意識が遠のいて……
倒れかけたあたしを受け止めて支えてくれたのは、カルナック様ね。
あたし、六歳幼女のアイリスは、寝落ちしました。