第5章 その11 アイリス六歳、お披露目会の後で
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物語は、クリスティーナ・アイーダがエルナト・アンティグアに保護されることになった事件の数ヶ月前に遡る。
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いつものように夜明け前に目が覚めた。
ベッドを降りて、窓際に向かう。
しんと静かで、ひんやりした早朝の空気が、好き。
高い窓には遮光カーテンが掛かっている。
外から覗き見されないように、用心のためにつけてもらったカーテン。
あまり知っている人はいない事実だけど、この地上は、真月の女神イル・リリヤ様の息子、空にかかっている暗い月『魔の月』セラニス・アレム・ダルによって『魔天の瞳』という空を飛ぶ道具で監視されている。
現在の地球における、人工衛星……監視衛星みたいなものだ。
六歳のあたしの身長では窓に届かないので、踏み台に乗って、カーテンの下に潜り込んで外を見る。
空はまだ暗く、星が光っているのが見える。
しばらく待っているうちに、あたりはうっすらと明るくなってきた。
そろそろだ。
明るくなったのは、夜明けが近いからではない。
真夜中にしか見ることのない光の河が、街中を漂い流れていくのだ。
よく見ればそれは一つ一つが人の頭ほどもある青白い光球が、数限りなく集まって作り出している流れだとわかる。
精霊火と呼ばれる自然現象だ。
けれども、あたしは知っている。
あれは精霊の魂。
世界に満ちるエネルギーの流れ。
精霊火には触れることもできる。温かくて優しい。耳元に寄せればパチパチと、弾けるような小さな音がするの。
そして、ふと、寂しくなる。
以前は、生まれてすぐに親しくなった妖精たちが、いつも側にいてくれたから。
握っていた手を開く。小鳥の卵くらいの大きさの、カラフルな卵が四つ、手のひらにある。枕元にいつも置いている箱から、大切に持ってきた。
妖精の卵だ。
風のシルル。光のイルミナ。水のディーネ。地のジオ。
あたしの守護妖精たち。
ほんとは守護精霊にまで進化していたんだけど……
六歳の誕生日を祝うはずだった、お披露目会。
そこで大変な事件が起こった。
詳細は省くけど、セラニス・アレム・ダルに狙われていたのはエステリオ・アウル叔父さま。
叔父さまは、あたしを助けるために生命の危険をおかした。
そして、あたしは危機に陥った。
守護精霊たちは、あたしのために、通常の空間から遠く離れた、深いところにいる、世界に助けを求めに行ってくれた。
それで力を使い果たして消えてしまうところだったのを、魔法使いの長カルナック様と親しい精霊ラト・ナ・ルアとレフィス・トールが助けて『妖精の卵』の状態に戻してくれたの。
いずれ孵化して、もとに戻るって。
卵の表面に触れると温かくて柔らかい。生きてるって感じるから、安心する。
あたしの妖精たち。
早く孵化しないかな。
また一緒におしゃべりしたり笑ったりしたい。
精霊火が作り出す美しい光の河をながめて、思った。
あたしはアイリス・リデル・ティス・ラゼル。
お父さまはマウリシオ・マルティン・ヒューゴ・ラゼル。
お母さまはアイリアーナ・ローレル・フェリース・ラゼル。
それから同居している家族がもう一人。
お父様の弟、エステリオ・アウルおじさん。
魔法使いなの。
まだ二十歳だけどエルレーン公国国立大学院の魔法学科で学長のカルナック様と学長補佐のコマラパ老師に気に入られて、研究室を持っている、すごい人。
とても優しくて、生まれつき身体が弱くて外に出られなかったあたしを、ずっと見守っていてくれて、支えてくれていた、大切な人。
ラゼル家は「始まりの千家族」の一つで、名家。
代々、商家を営んでいて。
エルレーン公国首都シ・イル・リリヤを中心に、国を超え、エナンデリア大陸全土に支店を展開しているそうなのです。
あたしには、いろいろと難しいことはよくわからないけれど。
がんばらなくっちゃ!
いつもいてくれた妖精たちも、エステリオおじさんも、今はそばにいない。
あたしのエステリオ・アウルは……六歳のお披露目会で、カルナック様とコマラパ様の承認を得て、みんなに婚約を公表したのだから「あたしの」って呼んでもいいわよね?
アウルは、お披露目会の事件のために、まだ入院している。
今日は、お見舞いに行く予定なの!