第5章 その7 セレナンの女神アエリア様と《魂の座》(修正)
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気がつくと、あたしは、何も無い空間に浮かんでいた。
じっさいのところ、浮かんでいるのか、落ちているのか、よくわからない。
周囲は、夜明け前の空の色に包まれている。
ああ、ここは。
セレナンの女神様、アエリア様に会ったところだ。
『やっと、わたしを呼んでくれましたね』
頭の中に直接、声が響いた。
周囲を漂っていた銀色のもやが、みるみる集まっていき、人間離れした美少女の姿になった。
年齢は十五歳くらい。
青みを帯びた銀色の長い髪に、アクアマリンみたいな淡いブルーの瞳。
シルクみたいに柔らかく光るロングドレスは足首まで覆っていて、素足に、ドレスと同じ素材と思われる純白の編み上げサンダルを履いている。
慈愛に満ちた微笑みを浮かべて。
「ああ、アエリア様! そうです。あたし、どうしたらいいかわからなくて。それに前世のことも」
思いの丈を素直にぶちまければ、女神様は頷いて、
『前世の記憶も繋がったようですね。以前のあなたは前世を「飛び降り自殺を図った」ときまでしか覚えていなかった。でも今は、その後のことも思い出したのですね』
女神様は全てお見通しなのだ。
『ヒトたちの生は、多様で多彩ですね。あなたも、以前は一面的な観点で出来事を捉えていたことが、今ならわかるでしょう。いえ、まだこれから。あなたはこれから先の人生を生き続けるのですから』
「そのことなんです、女神様!」
あたしは叫んだ。
「これからも生きられるの? 精霊様の聖なる水も、一時しのぎだって聞いて」
『あら。それは誰から?』
「……えっ」
虚を突かれた。
「そういえば……いつ聞いたんだろう。誰に?」
『今は、忘れなさい』
アエリア女神様が近づいてきて、あたしの額に指をあてた。
あ、気持ちいい。
すうっと、つめたい水が流れ込んできたみたい。
まるで水源の泉。
清冽な流れが、いやな感覚、重いもの、つらい感情、そんな、暗くとどこおったものを、どこかへ運び去って消してしまう。
『わたしの担当する魂の中でも、とりわけ、いろんな重荷を背負ってしまった、愛し子。きっと、あなたを幸せにしてあげる。失った大切なものを取り戻すこともできるの。ここ、セレナンでなら』
「アエリア様……ありがとうございます」
『前にも言ったでしょう。困ったことがあったら、いつでも頼っていいのよ』
女神様はあたしを胸に抱きしめた。
ふと、遠い昔に、同じようなことがあった気がした。
あれは誰?
誰のこと?
『アエリア。そろそろ、私にも彼女を紹介してくれない?』
声が、心臓の近くで響いた。
この感覚は、アエリア様のときと同じだ。
顔を上げて声のしたほうへ向き直る。
そこには、長い黒髪と黒い瞳をした少女が佇んでいた。
緩く三つ編みにしたお下げ髪が、愛らしい印象を与える。
見た目の年齢は(というのは、この美人さんがもし女神様だったら、人間の年齢なんてあてはまらないからである)アエリア様より少し年上かな?
人間なら十七、八歳くらい。
とてもきれいな人だ。
前世の記憶にある、海外の雑誌の表紙や、ミスユニバースとかに選ばれそうな美女。
アエリア様と同じ純白のロングドレスの裾から、繻子のような布でできた、華奢な靴の足先がのぞいていた。
『あら、ありがとう。あなたも、きれいよ』
にっこりと笑ったら、あたりが、ぱあっと明るくなった気がした。
なんて華やかなヒトだろう!
美少女じゃないわ。美人!
「あの、あなたは」
思わず進み出た、あたしは。
自分の差し出した手が、幼児のものではないと気づいた。
黒髪の彼女は、あたしの手を握った。
ひやりと冷たい、しなやかな肌が触れる。
大輪のバラが咲いたように、笑う。
あれ?
少しだけ挑戦的な表情の。整った顔だち……
まさか……?
『そろそろ気づいているだろう? 《相田紗耶香》。いかにも、私だ』
妖艶ささえ漂わせていた美女の仮面が、するりと脱げて。
くくく、と低く笑ったのは、いたずらっ子みたいな表情の男の子。
黒髪に黒い目。
まとっていた純白のロングドレスが、裾のほうから上に向かって、ざあっ、と音を立てたかのような勢いで、漆黒に染まった。
同時に、瞳はアクアマリン・ブルーに変わる。体内からあふれだす魔力の色だ。
「えっ……え、え!? カルナック様っ!? なんで??」
黒の魔法使いカルナック様、その人が。あたしの目の前にいた。
『しょうがないだろう。この《魂の座》では、誰もが本来の魂の姿になってしまうのだ。現在の自分の姿をイメージするのに少々時間がかかってね』
カルナック様は、いまいましそうに舌打ちした。
はっきりと。
なんて、残念な美人。
黙ってさえいればスーパーモデルみたいなのに~。