第5章 その5 黒の魔法使いカルナックと深緑のコマラパ(修正)
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運命の天秤は、どちらかに傾くべきではない。
けれど黒の魔法使いカルナック様が差し出した天秤は、大きく傾いていた。『死』のほうへと。
カルナック様は言った。
『クリスティーナ・アイーダ。きみは、このままでは大きくなれない。せいぜいもって数年。十歳にも満たないうちに、生命力が枯渇して死ぬ』
目の前が暗くなった。
やっと幸せになれると思ったのに。
そんな残酷な運命ってあるの?
そのときだった。
すぱーん!
軽くて乾いた音が響いた。
「この阿呆!」
深緑のコマラパ様が、目にも止まらぬ速さでカルナック様の頭を叩いたのだ。
懐から取り出した、紙を折って束ねたみたいなもので。
あれってハリセンにすごく似てた気がするけど、見間違いかな?
「あいたたたたたっ!」
黒の魔法使いカルナック様は頭を抱えてうずくまった。
「ひどい~」
「ひどいのはおまえさんだ。いくら前世の記憶があっても、相手はまだ五歳の幼児ではないか。脅してどうする。かわいそうだと思わんか」
「コマラパは昔から女の子には甘い」
「誤解されるようなことを言うな」
コマラパ師はなぜか赤くなった。
「……あくまで、このままでは、って事だから。ちゃんと対処すれば生き延びられるって、言おうと思ってたのに」
怒っているコマラパ老師と、文句をいうカルナック様。
なんか、イメージ狂う。
「クリスタ、こっちへおいで」
エルナト様が手をさしのべ、あたしを抱き上げてソファに座らせてくれた。
ぽんぽんと、すっごく小さい子にするみたいに背中を撫でて。
「今まで説明しなくて、ごめん。大丈夫だよ。これからは我がアンティグア家がきみの家、家族だ。全力できみを守るから、安心して」
「エルナト様。あたし、生きられるの?」
「もちろんだよ。それに、きみは我が家の娘になった。わたしの正式な妹だよ」
「いもうと」
あたしは呆然とつぶやく。
前世では母親しかいなかった。父親の話題は出なかったから聞いてはいけない気がしていた。死別したか離婚か、わからないけど。
……異世界に転生した今となっては、どうでもいいことだけどね。
「エルナト様……おにいさま?」
「そうだよ」
天使みたいなエルナト様が、おにいさま!
「クリスティーナ、わたしのことも『お父様』と」
「わたしのことも『お母様』と、言ってみて」
エルナンドお父様とアウラお母様もやってきた。
「そういうことだ。怖がらせるつもりではなかったんだが、すまなかった」
ばつが悪そうな表情のカルナック様が近づいて、エルナト様に抱っこしてもらっているあたしの頭を撫でて、微笑んだ。
慈愛に満ちた笑み。
「クリスティーナ・アイーダ。きみは本来、とてつもなく強大な魔力を持って生まれてきていた。だから身体の方は魔力を惜しみなく使うようにできている。ところが魔力の生成ができていない」
「身体の成長が遅れているのは、そのためなのだ」
コマラパ様は、言いにくそうに、息を吐いた。
「魔力を生成する器官……精霊族たちは『魔力核』と呼ぶ。その器官が損なわれて……いや、本当のことを言おう。奪われている。何者かによって。おそらく、きみや他の子どもたちが捕らわれていた、あの施設で」
再び、目の前が暗くなった。
吐き気がした。
心臓が、ひどく冷たくなっていく。
「だいじょうぶだ。対処できる」
カルナック様が、握ってくれた手から。
エルナト様が、抱っこしてくれている、腕から。
温かい、大きな力が、流れ込んでくる。
「これを飲んで」
さっきも頂いた、細かい泡のたちのぼる、特別なお水を、カルナック様が、くれて。
あたしは水をゆっくりと飲む。
ゆっくりでなければ飲めない。とても濃密なのだ。
飲んで、取り込んだ水は、身体を温め、こわばっていた身体をほぐしてくれる。まるで、血管に詰まっていた血栓がとけていくように思えた。
「祝福された『精霊』の水を、きみに与える。当分は大丈夫だよ。エルナト、これを。預けておく」
カルナック様は、エルナトお兄様に、手のひらに収まるくらいの大きさの、水晶の結晶を渡した。中身がくりぬいてあって、水が満ちている。
「その内部は『精霊の森』に繋がっている。見た目は小さいが、いくら飲んでも尽きることはない。エルナト、それからエルナンドとアウラも、毎日、グラスに一杯飲みなさい。クリスティーナには何杯でも与えていい」
「お師匠様。あの、ヴィーは」
心配そうにアウラお母様が口にしたのは、他家で住み込み家庭教師をしている、エルナト様の妹さんのことだ。二十歳くらいだと聞いている。
「もちろんヴィーア・マルファ・アンティグアにも同じものを授ける。それも『世界』が赦したことだ」
カルナック様は、満面の笑みを浮かべた。
「クリスティーナ・アイーダ。きみは、奪われていた人生を、これから取り戻すんだ」
ぞくり。
嬉しいのに。
幸せなのに。
あたしは心臓に突き刺さるトゲを感じた。
呪いだろうか?
あたしが自分で、呪っているの?
『幸せになんかなれるはずはない』と囁くのは、心のどこかに潜んでいる、『闇』に染まった、あたし自身。
ああ、エルナトお兄様たち。優しい、新しい家族には、言えない。
あたし、ほんとは……あの穴蔵で起こったことを覚えている。
胸に突き刺さる、赤黒い刃が、あたしの心臓から何かをえぐり取った。
気味の悪いその感覚が、今でも消えない。
……助けて。
エルナトお兄様。お母様、お父様。まだ見たことのないヴィーお姉様。
そして……
前世の母親に、あたしのために殺されてしまった親友、有栖。あたしのせいで死にかけた友達。ジョルジョ。
母親がしたこととはいえ、全ては、間違っていたけどあたしに向けられた愛情のせいで。転生しても、決して赦されない気がした。
あたしは死者で咎人で幼児だ。
そしたら、真月の女神イル・リリヤ様は、あたしを赦して、助けてくれるのだろうか……?
目の前が、闇に包まれる。
今度こそ本当に、気が遠くなった。