閑話 (四年後) ある日の魔導師養成学部(4)(修正)
4
エルレーン公国公立学院。
学舎に隣接して設けられた食堂。
三百人は一度に入れるという大きさだが、満員になることは、ほとんどない。
貴族の子弟は、このような公共の場に入ることはなるべく避け、彼ら用に造られた……保護者側の寄付と要請によって建てられた、重要人物用の区域で食事をすることがほとんどであるからだ。
その点においては、創設時の理想は、その実践に伴い、ある程度の妥協を受け入れねばならなかったということになる。
なので公共区画は、かなりのんびりした空気が流れていた。
昼食を終えたナタリーとクリスティーナも、午後の授業が始まるまでは充分な間があるので、ゆったりとくつろいでいた。
「ねえ、アイリス、ちょっと帰りが遅いね」
「うん。そうだね。まあいつもこれくらいかかるから、大丈夫。あたしたちは、そろそろ教室に戻っておこうか」
食堂で、食後のひとときを過ごしていた二人が立ち上がったとき。
テーブルの近くに立っていた男子生徒が、声を掛けてきた。
「ねえ君たち、魔導学部の子?」
「暇だろ。ちょっと話していかないか」
彼らは、クルド・ミストレルと、ロスティ・アテインと名乗った。
いかにも世間知らずの坊ちゃんだ。
学年を表すロゼット型の記章は三年生の、黄色。
「きみたちの名前は?」
クリスティーナは、カチンときた。
(暇だろ、って決めつける? 魔道学部とか省略するなっつーの!)
しかし表情には出さない。
あくまで営業用の笑顔で。
それには慣れていたから。
「残念ね。私たちは人と待ち合わせをしてるから」
にっこりと笑う。
「じゃあね。行こ!」
ナタリーを誘って、くるりと身を翻す。
「おい待てよ! 上級生の誘いを断っていいと思ってるのか」
「そうだ。上級生は偉いんだぞ。それに魔道学部は、僕たち普通学科に比べればちょっとレベル低いし」
偉そうである。
「はぁ? なに言ってんの」
噛みついたのは、ナタリーだった。
「公立学院の花形は魔導師養成学部に決まってるでしょ。あなたたち普通学科なの? がっかりだわ!」
「ナタリー。ちょい言い過ぎ……」
これにはクリスティーナが驚いた。
クリスティーナの戸惑いをよそにナタリーは両手でこぶしをつくって叫ぶ。
「だってあたし! 魔力の多い彼氏を探しに学校にきてるんだもん!」
「え? そうなの?」
たびたびナタリー本人から聞いてはいたが本当にそれが目的だったとは。
「そうよ。考えてもみてよ。このエルレーン公国では魔力が多い方が社会的成功にも有利なんだから! 普通学科なんて、魔力の少ない子が仕方なく行くとこでしょ。なのに上級生だからって威張るなんてバカみたい」
「ちょっと、ナタリー。そこまで言ったら角が立つって」
ケンカを売ってるようなものじゃないかとクリスティーナは心配になった。
「なんだと!」
二人の上級生は、ずかずかと近づいてきて、ナタリーの胸ぐらをつかんだ。
といっても魔導師養成学科の制服はゆったりしているので布地の一部を持ち上げたようなものだが。
「熱くならないで。その手を離してくださらない?」
その間にクリスティーナが割って入り、上級生の手をはねのけた。おかげで上級生達の顔色は更に悪くなったが、ナタリーが爆発する前に、引き離したいところだ。
実はクリスティーナは困っていた。
学生時代はのんびり、まったり、日常生活をやり過ごしたい。
そんなささやかな夢があった。
しかしルームメイトのナタリーが、普段は現代ふう女学生っぽいのにキレるとこんなに喧嘩っ早いとは意外だった。
どうしよう。
(誰か止めてくれないかな~)
内心ではそんなことを思っていたのだ。
公共の場である食堂での小さな諍いは、やがて周囲に波紋を広げていった。
上級生と下級生の対立。
普通学科と魔導師養成学部の間の溝。
それらの、現在の学院が抱える問題を浮き彫りにしていったのだ。
クリスティーナとナタリー。上級生二人。最初は四人の問題だったのだが、しだいに人が集まってきて、ざわめきが起こる。
多くの生徒の喧噪で、何も聞こえないくらいだった。
「ほう。なかなか面白そうなことをやっているじゃないか」
声がかかったのは、そのときだった。
もはや騒音にまで高まっていた喧噪の中で、その声は全ての生徒の耳にはっきりと聞こえた。
「元気があってよろしいが、男子が女子相手に腕力をふるうのは、いかがなものか。人は言葉を用いて会話する生き物であろう」
「うるさい邪魔するな……って、あれ!?」
「カルナック様!?」
二人の上級生が、固まった。
普通学科の学生でも、公立学院の学長補佐の座にあるカルナック師のことは、さすがに一目でわかったようだ。
男性にも女性にも思える美貌を備えた、黒髪の魔法使い、黒のカルナック。
その傍らに控える、三年生の、赤毛の男子。
そして、黄金の絹のような髪をした、二年生の少女だ。
「あいつ、いつもカルナック師の側に居る、マクシミリアン。騎士だとか言ってるヤツだ。商人の息子のくせに」
「たしか四年前のなんだか大きな事件に関わってて落ちぶれたエドモント商会じゃないか」
「カルナック師の魔力補給タンクって噂だぞ」
「その隣にいるのはカルナック師のお気に入りの生徒だろう。アイリスとかいう」
「家は商人だそうだ」
「許婚がいるって」
「ええ!? あの歳でもう?」
ざわめきが一巡して落ち着き始めたのを見てとり、カルナック師は率先して食堂の椅子に腰掛けた。
「たまには食堂に出て食べてみようかと思ってね。じきにコマラパも来るから、みな待っていなさい。一緒に茶でものまないか」
生徒達は互いに顔を見合わせて、やがて思い思いの席につく。
彼らの前には、じきに茶が運ばれてくる。
「ここは学問の場だ。私とコマラパ老師が始めたのは、そういう場所だった。諍いは小さいと思うかも知れないが、解決しておかなければ禍根を残す。人間は、会話をするのだから。引っかかることがあるなら、全てを吐き出すといい。まあ、茶を飲みたまえ」
そこかしこで、生徒達は香草で風味を付けた発酵茶を口にする。
生徒達を見ながら、カルナックは、ふと思い出す。
この場所が、まだ存在しなかった頃を。
居場所を造り上げるまでの、エルレーン公国に生まれた「魔力持ち」の苦労を。
自分が歩いてきた道は、これしか選択肢はなかったと思ってきたが。
はたして、それで良かったのかと。