第4章 その64 嵐山律はいかにして転生したか(1)
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「おっはよーございますぅ課長! ……な~んちゃって」
わざと明るく声を上げながら、リドラ・フェイは、その病室のドアを開けた。
「お変わりないですか杉村課長。なさそうですねぇ」
病室に誰も居ないことは確認ずみだ。
仲間の魔法使いの『目』と『耳』も、入ってこられないように措置を講じてある。
だから、この静かな病室には、リドラと、この部屋に入院している一人の患者だけだ。
ティーレ・カールソン。
大陸最北端の地に住む、武勇に重きを置くガルガンド氏族国の中でも、プラチナブロンドに淡い色の目という特徴を持つ、精霊枝族の出身だ。
前世は東京の営業ウーマンだった、杉村操子。恋愛にうとく、脳筋なのは前世でも今生でも変わらない。
彼女は死んだようにベッドに横たわっていた。
ラゼル家の事件で瀕死にまで陥った大勢の一般人は、すでにカルナック師の大規模な魔法によって通常生活を送れるまでに回復し退院していた。
ただ、セラニスが仕掛けていった床下の『円環呪』が起動しているのを知りながら向かっていった、コマラパ老師、ティーレ、エルナトは別だ。
もともとの保有する魔力が膨大であるのに、それを『円環呪』で根こそぎ奪われた。
一般人が持つ魔力の量を、たとばコップ一杯分だとする。ティーレの持つ保有魔力は、比較すると百人が浸かれるくらいの大浴場に湯を一杯に満たす、に等しい。
だから、元の状態に近づけるまで回復するためには、かなりの時間が必要だった。
腹を刺されたエステリオ・アウルとは違って、魔力さえ満たせれば目が覚めるとカルナック師から聞いてはいたが。
身動きもせずに昏睡しているさまを見れば、不安がつのるばかり。
「早く、元気になって、また、うんと叱り飛ばしてくださいよ」
リドラはベッドサイドに置かれた椅子に腰掛けた。
「あの怒鳴り声、一日一回は聞かないと、調子狂っちゃうんで。ねえ、課長」
ティーレは前世の役職や名前で呼ばれるのを嫌う。
もっとも彼女の前世を詳細に知る者はリドラただ一人。
「やめてくださいよ……駐車場であなたが刺されて倒れてたのを、思い出しちまうじゃないですか」
いつしかリドラの目に涙が浮かんでくる。
「そういえば、課長は知らないですよね。あなたが死んだ後、何が起こったのか」
誰も聞くわけではないのに彼女は語り出す。
静かすぎて。
怖くなるから。
「また、先に死なないでください……」
リドラはティーレのベッドに顔を埋めて、つぶやいた。
「課長を刺し殺したあのストーカー野郎は、警察に捕まるのを待ってられなくて。自分、ヤツの居所を突き止めて、きっちり殺しときましたから」
物騒なことを告白し始める。
誰も聞いていないだろうと、独り言である。
「捕まって裁判にかかる? 刑務所? 課長は死んでるのになんでヤツがしばらくの間でも生きる権利があるんですか。我慢できなかったから殺しました。そんで自分もそこで自殺したから。世間ではホモの痴話ゲンカで心中って噂したかも知れないなあ。それでもいいと思った。課長の名前とヤツを結びつけられるのもイヤだったんで」
「……おまえ、そんなに危ないヤツだったのか」
眠っていたはずのティーレの声がして、リドラは弾かれたように顔を上げた。
「……か、かちょう?」
「でも、あたしの仇をとってくれたんだな。ありがとう」
「課長! 課長課長課長!」
泣きながらリドラはティーレに抱きついた。
「泣くな! あたしは生きてるだろ? 今度も、助けてくれたんだろ? ありがとうな。あんたはやっぱり、いい部下だったよ」
「課長~!」
リドラは感激して涙ながらにティーレを抱きしめ、顔をすり寄せる。
「やめろ律! 顔近い! 近いったら! しかもハアハア言うな! あたしは、あんた好みの渋いおっさんじゃないんだからな!」
「ん~。好みの傾向はおじさんですけど。でも、個人として好きなのは、課長で……いや、ティーレなんで」
「はあ!? いきなり何だ! 事件でおかしくなったのか?」
ティーレは思わず、リドラから距離をとった。
ベッドの端に逃げたのである。
「違います! 前から好きだったんです。前世から。それに、今生でも」
「それまるっきりエステリオ・アウルじゃん」
「彼の苦しい気持ち、よくわかる! 家長は昔は熟女だったのに今はこんなに可愛い少女で、もう、もうどうしたらいいのか!」
すがりつくリドラの頭が、すぱーん! と音を立てて叩かれた。
「うるさいわ! 誰が熟女だ! 感激して損した! コンビ解消だっ!」
「え~!?」
驚きの目で見上げるリドラ。
「自分を色目で見るやつと仕事できるかボケ!」
「そんなあ。考え直してくださいよ課長!。自分が一番、あなたのことよくわかってるんですから!」
「ぞっとするわ! あたしはだいたい恋愛なんてする気はないんだ。とにかくコンビ解消だから! あ~、さぶいぼ立つわ! 早くお師匠に言おう……」
寒気がするように肩や腕をさすって身震いするティーレであった。
「ひどい! 課長! 女心をもてあそぶんですか~」
「都合の良いときだけ女って言うな! ホモ!」
「それは前世だけですぅ! 今はおじさん好きでも普通だし。いや正直言えば男性になってもいいとは思ってますけど。せっかく、この世界には性が三つあるわけだし。ティーレは、自分の性別ちゃんとわかってます?」
余談だがリドラの言うように、この世界には男性、女性のほかに『精霊の思し召し』と呼ばれる第三の性別がある。地球で言えばアンドロギュヌスなのである。
「あたしはノーマル女性。好みの指向はどっちかって言うと女性の方が好きなんだ。コンビ組んでたおまえは、聞かなくったってわかってるくせに」
個人的な恋愛指向を問われて、応える義務などないのだが、ティーレはしっかり応えてしまうのだった。
「じゃあ、恋の相手はわたしでもいいじゃないですか」
「よくねーわ! おまえは心の中身が男でホモだろ……」
ティーレも、そしてリドラも、まだ知らない。
この後、二人は、カルナック師の指示で、アイリス付きの護衛メイド二人組となる予定であることを。