第4章 その63 エステリオ・アウルの受難(3)(修正)
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どうしてあんなに驚いたのかわからないとエステリオ・アウルは言ったが。
彼自身は、もちろんわかっていた。
つい先ほどまで捕らわれていた悪夢。
その中で自分自身がアイリスに対して行おうとしていた凶行のことが、頭から離れなかった。
そこへもってきて。
長い悪夢から覚めてみたら、アイリスがベッドの中で眠っていた。
しかも彼の腹あたりに、ぴったりとくっついて。
その状況に、思わず絶叫してしまった。
悪夢が現実になったのかと錯覚してしまったのだった。
そうではないとわかったのは、アウルの叫び声を合図にしたかのように、扉が外から押し開けられて、十人近くの男女が、どっと入ってきたからだった。
全員、魔法使いたちだった。
「ほら、やっぱり! すげえ驚いた顔してる」
「だよな~」
「アウルは小心者だから!」
「その割に、いやらしい妄想してたんだよな」
「おまえはそういう妄想しないのかよ」
「え、いや、するけどさ」
学生達である。アウルと同じ二十歳の青年もいれば中には子供も交じっている。
「あんたらねえ。妄想のネタにする相手は選ぼうね? あたしはまあいいわ、許す。けどね。ティーレに妄想してるヤツは前に出な。殺す。百万回殺す」
凄んだのはリドラだった。
「自分はいいの? 寛大だなあ」
「気にするの、そこじゃなくね?」
「ティーレ? え? あの脳筋美少女で? 誰が妄想するって?」
「リドラ姐さん、まさかのティーレがタイプ!?」
「百合?」
「おまえらそこに一列に並べ! 全員殺す!」
どうやら自分は彼らの興味からそれてしまったようだと、このときエステリオ・アウルは悟ったのだった。
突然、パン! と、手を叩く音が響いた。
そうやって注目を集めたのは、病室の入り口に立ったカルナック師だった。
「まあまあ、リドラ。落ち着きなさい。みんなも、妄想するのは別に悪いことではない。そのことによって青年期の衝動や欲望を発散し、犯罪行為に及ぶのを抑止できるならば、実に有益なことだ」
ずかずかとエステリオ・アウルの病室に入るなり、カルナック師はこう言った。
「ただし。まさかとは思うが、私の精霊、ラト・ナ・ルアを妄想の対象にしている者はいないだろうね? そんな命知らずの愚か者は」
病室を見回し、詰めかけた魔法使いたちをねめつける。
「だいたい、きみたちはそんなに暇だったかな?」
指摘を受けた魔法使いたちは、互いに顔を見合わせる。
「いえ、見舞いだけです」
「心配だったもので」
「大変な事件でしたからね」
若い魔法使いたちや学生たちがほとんどである。本来なら彼らは学院で勉学に励んだり研究したり体力作りをしたり日々の課題を提出する準備を進めているべきなのだ。
彼らが落ち着いた頃合いを見てとって、カルナック師はリドラに尋ねた。
「アウルの容態は?」
「記憶に混乱が見られます。体調も万全ではありません」
「よし。今のところ、ある程度は仕方ないだろう」
カルナック師はアウルに近づいた。
「エステリオ・アウル。無事で良かった」
ねぎらいの言葉をかける。
「お師匠様。ありがとうございます。いろいろ、ご迷惑をおかけしました」
エステリオ・アウルは横たわっていた身体を起こそうとする。
カルナック師はそれを押しとどめた。
「なに。私も君に隠していたこともあるからね」
つまり、マクシミリアンに命じて、カルナック師が自らの魔力で造り上げて与えた、炎の精霊を宿す剣で刺させたのだとは言わなかったのである。
「まだ身体がどこかおかしいですが。早く治します。わたしには、償いをしなければならないことがあるのです」
カルナック師は、ふっと笑って。
「きみは固いな。青すぎる。少し肩の力を抜きたまえ。いいかげんなくらいが、きみのような若者には、ちょうどいいだろう」
「しかし」
「ねえ、エステリオ・アウル」
なおも言いつのろうとするアウルに、声を掛けたのは、ラト・ナ・ルアだった。
腕に、アイリスを抱いている。
「アイリスちゃんが、あなたに言いたいことがあるって」
ちょこんと、ベッドの脇の椅子に、アイリスを座らせた。
「わたし、あの……。叔父さまが早くよくなってくれたら、いちばんうれしい」
「アイリス、そんな……わたしなんかに」
顔をあげて、エステリオ・アウルを真っ直ぐに見上げる、アイリス。
アイリスを、魅入られたように見つめる、エステリオ・アウル。
そんな二人を、リドラの他、若い魔法使いたちは興味津々で見守っていた。
カルナック師とラト・ナ・ルアも同様だった。
「セラニスが言ってた、いやらしいことって、よくわからないけど。もしアウルが、したいことだったら。わたし、がまんできるから……だから、して……も、いいの」
一瞬の静寂の後。
エステリオ・アウルは、盛大に鼻血を噴いて、突っ伏した。
「叔父さま!? アウル!? どうしたの!」
「わー!」
「アイリスちゃんが、アウルにとどめを刺した!」
若い魔法使いたちは大受けである。
「こ、これは、きついな。アウルは当分、立ち直れないぞ」
カルナック師は額を押さえ、冷汗をぬぐった。そのハンカチはラト・ナ・ルアが素早く差し出したものだった。
「アイリスちゃん、今回の事件の後、少し精神年齢が後退したみたいで。イリス・マクギリス嬢の意識が出てこないんです。どうやら月宮有栖ちゃんも、眠っているか、アイリスちゃんの身体の年齢に強い影響を受けているようで。ここ一週間は……」
「それは問題だな!」
リドラの報告を受けて、カルナック師は悩んだ。
「大人の精神であるイリス・マクギリスがいてくれないと、いろいろと問題が起こりそうだ……」
先が思いやられる。
「これから、一ヶ月はかかるだろうが、大規模な人身売買組織の摘発を行う予定だ。アウルも駆り出そうと思っていたのに」
「カルナック様、人使い荒いですよ」
リドラはため息をついた。
「自分としてはティーレにも早く復帰してもらわないと、厳しいです」
「ああ。そういえば、きみ、彼女に、ちゃんと告白したのかね」
「なんですかそれ!」
リドラの顔は、真っ赤になっていた。
「だって」
カルナック師は、この上なく楽しげに、言うのだった。
「前世から片思いをこじらせてるのは、きみもだろう? リドラ・フェイ。いや、嵐山律くん? ティーレが倒されたと思ったときの、きみの顔ったら。男らしくて、ものすごく鬼気迫っていたよ」
「それティーレに言わないでください、お師匠様。後生ですから!」
リドラは情けない悲鳴をあげた。
「ティーレが……前世の課長が男性だったら、ほんとにジャストミートだったのにっ!」