第4章 その62 エステリオ・アウルの受難(2)(修正)
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「ふむ。やっぱり驚いて叫んだか」
隣の病室にいたカルナック師は、満ち足りた笑みを浮かべる。
「目が覚めて隣にアイリス嬢がいたら、エステリオ・アウルは、どうするかなと思ったんだが。一番ありふれた反応だったな」
「相変わらず人が悪い。おまえは変わらんなあ」
コマラパ老師は施療院のベッドに横たわっている。
ラゼル家の事件で死にかけたため、もともと老体ではあるし、すぐには体力が戻らないので、しばらくの療養生活を楽しんでいた。
対するカルナック師は、コマラパが横たわるベッドの側に座って、まるで何かのついでに立ち寄っただけとでもいうように、ざっくばらんな、つまりいつもの服装だ。見舞いに手土産の一つも持ってはいない。
「あなたも変わりないわ。最初に出会ったときから」
応えたのはカルナック師の右側に密着している、銀髪に水精石のような青い目の少女。
精霊のラト・ナ・ルアだ。ラゼル家の事件以来、カルナック師の側から、かたときも離れようとしない。
「精霊の娘よ。精霊の愛し子よ。そなたたちが共に在る限り、世界も安泰だ」
「あら、今さら?」
くすくすとラト・ナ・ルアは笑う。
「コマラパは人間にしては変わった、いい人だけど。出会って後悔していることが、一つだけあるわ。あなたがカルナックを精霊の森から人間の国へ連れ出したことよ」
途端にコマラパの全身に緊張が走り、汗が噴き出した。
「……すまん」
「もういいわよ。あれも《世界の大いなる意思》の導きだったんでしょ。……だけど、あたしは納得できない」
美貌の少女は顔色も変えずにはなはだ物騒なことを言い放つ。
「あの前に殺しておけば良かったわ」
そう言った後に、艶然と微笑んで。
「本当はいつだって森に連れて帰りたいと思っているのよ。人間は貪欲ね。カルナックをあてにして」
カルナック師に誰も近づけたくないと、正直な気持ちを吐露する。
少しばかり気まずい空気が流れる。
「……ラト。そろそろアイリスの様子を見に行ってやろう」
「そうね、そろそろ、いいかも」
「何しろエステリオ・アウルは、前世からの片思いをこじらせている。手綱を引き締めておかないと、暴走するかもしれん」
息災でいろよ。
声には出さず、そう言い残してカルナック師はラト・ナ・ルアを伴い、コマラパ老師の病室を後にした。
※
エステリオ・アウルの病室は、施療院の中で最も奥に位置している。
扉を開ければ、そこには、大勢の人間がたむろしていた。
なにか面白そうなことがあれば駆けつける。
好奇心旺盛な、というか好奇心でできているような者達なのだった。
魔法使い、とう人種は。
「おじさま、ひどい! あんなに驚くなんて」
涙ながらにアイリスは訴える。
「わたしがいたら迷惑だったの?」
「ちょっと、なんとか言いなさいアウル。アイリスちゃんは、事件の後、なかなか意識が戻らないアウルを心配して、ずっと付き添っていてくれたのに。ご両親のお赦しをもらって泊まり込みまでして」
リドラはアイリスの背中をさすり、なだめながら、アウルに厳しい目を向ける。
「お師匠様が。アウルは弱っているから、傷の近くに、触れているといいって。それで、わたし……でも、迷惑だったのかしら」
「ご、ごめん、アイリス! 迷惑だなんて! 自分でも、わからないんだ……なんで、あんなに驚いたのか」
「でもさ。エステリオ・アウル、アイリス嬢で、いやらしい妄想してたんだってね。セラニスが言ってたもんな。変態だよね」
部屋に詰めていた魔法使いの中には、そう言う若者もいた。
「……! そ、それは……」
変態でもいいじゃないかと開き直れるほどには、エステリオ・アウルの精神は強靱ではなかった。
事件の時には、魔法使いたちの『目』や『耳』が常駐していた。
そのためセラニスがアウルの妄想について暴露したことも含めて全てあからさまになってしまったので、エステリオ・アウルにプライバシーはないのだった。