第4章 その57 世界の終わりの予感は幸福の中に(修正)
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銀色の光に包まれて空中に浮き上がっていたエステリオ・アウルの身体が、光が消えるとともに、ドサッと音を立てて落下した。
その髪は、もともとのレンガ色に戻っている。
「アウル!」
有栖はすぐにも駆け寄りたいみたいだけど、ヴィー先生にしっかり抱っこされているし、下ろしてもらえるとは思えない。カルナック様が、ヴィーア・マルファ・アンティグアに、アイリスの身を託したのだから。
システム・イリスが、セラニス・アレム・ダルを完全にアンインストールしたのは間違いない。
それは、わかる。
システム・イリスは同時に、あたし、イリス・マクギリスでもあるのだから。
彼女は嘘をつかない。その必要も無いのだ。
カルナック様から溢れ出た精霊火に持たされたことによる、この異質な空間では、システム・イリスと、あたし、イリス・マクギリスの意識が表面に出ているアイリス本体とが向かい合うという、不思議な体験を、今、あたしたちは経験している。
こんなことは、きっと、もう二度と無いだろう。
『これで、わたしの為すべきことは全て終わったようね。またわたしが必要になることが、起こらないと良いのだけれど』
「セラニスはアンインストールされても、そのシステムは残っているんでしょう。またいつか、有栖を狙ってくるかもね。そのときは、頼りにさせてもらうわ」
『どっちも同じ魂なのに』
「まあね。わたしとあなたは、いつか融合するのかな? 姿はそっくりだけど……」
『そうね。イリス・マクギリス。本当に、わたしたちはそっくりなのね。きっとあなたのパーソナルデータが、わたしの元になっているんだわ。管理局員は、みんな、過去に存在した人類のデータからアトランダムにピックアップされて造られていたから』
「あなたの言うことは半分もわからないけど。本当に助かったわ。不思議ね、もう一つの前世の意識であるあなたと、直接会話できるなんて」
『いまだけは、この空間は精霊火と同じ、セレナンの領域だから。でも、それももうじき終わるわ。彼らが帰ってしまえば』
セレナンのラト・ナ・ルアと、レフィス・トール。
彼らがいるから、ここは特殊な空間になっているのだ。
「今のうちに話しておきたいことが、山ほど在るような気がするのに」
『けっこう、思いつかないものね。語り尽くせるものではないのでしょう』
黄金の髪、緑の目をした六歳のアイリスと、アイリスがそのまま成人したような、美貌の女性は、穏やかに笑みを交わした。
『こういう場合に言うのかしら? じゃあ、グッドラック』
それを最後に、システム・イリスの投影した姿は、幻のように消えた。
「また、いつか。シーユーアゲイン」
イリス・マクギリスは、一人、つぶやいた。
「本当に美しい女性だったなあ……」
アイリスを腕に抱いているヴィーア・マルファは、ほうっと息を吐いた。
「ではアイリス嬢が成人する頃には、あのようになっているのだろう。先が楽しみだ」
「そ、そうですか。それは光栄ですわ……」
イリス・マクギリスは、緊張しつつ答えた。
何しろヴィー先生は、女性を好きな女性なのだから。
「大丈夫だよ、アイリス。わたしはセレナンの女神スゥエ様一筋に誠を捧げているのだからね! 他の女性には目移りしないよ。たとえ君がわたし好みの年齢になっても!」
信じていいのでしょうか。女神さま!
それは、ともかく。
あたしはカルナック師のほうを見やる。
マクシミリアンくんが炎の剣を引き抜いて、カルナック師はエステリオ・アウルを診療している。
カルナック師の腕は信用しているけれど。
あたしは別の不安が、黒雲がわきあがるようにむくむくと形を成してきたのを強く感じている。
天涯孤独かと思っていたカルナック様には、仲の良い家族みたいな、精霊がいた。
ラト・ナ・ルアと、レフィス・トール。
今もまだ二人はカルナック様の側に居る。
ヴィー先生はリドラさんと一緒に、カルナック師の傍らに張り付いている。
そうだよね~。
ラト・ナ・ルアは、スゥエ様そっくりなんだもの。
十五歳くらいに見えるから、スゥエ様より年齢が少し上だけど。
「ねえねえカルナック! もういいじゃない。精霊の森に帰りましょうよ。もうずっと長いこと帰ってこないじゃないの~」
ラト・ナ・ルアって、こんなに甘々な表情もするんだ。カルナック様の首に抱きついて、頬をすり寄せて。まるで恋する少女だわ。
「ごめんね。まだ治療の途中だから。そのうち暇になったら里帰りするよ」
「嘘だもん。暇になったことないし。この子の治療が終わっても、ここにいる倒れた人間たちも全部、カルナックが回復させることになるんでしょ。他の魔法使いに、そんな大がかりなことできるはずないもの。それでまた、疲れ切っちゃうんだわ」
「まあまあ、ラト。それまでわたしたちが付いていよう。それでカルナックが消耗したぶんは、回復させてあげればいいよ」
「ごめんキスは無理」
ラトはカルナック師の右側にすがっていて。
レフィスは、左側にしっかりと、いる。カルナック師とラトの両方を、抱きすくめているのです。時々、カルナック様に、ちゅーしてます。レフィスが。
カルナック様は、すごく嫌がっているけど。
手もふさがっているし二人にホールドされているので逃げられない。
「お師匠さま、すごいです! こんなにも#精霊__セレナン__#に愛されているんですね」
治療を手伝っているリドラさんは目をキラキラさせて感激してます。
「重そうな愛だなあ」
ヴィー先生は思わず本音をもらしてしまった。
「ひさしぶりだから、あたしたちに甘えていいのよ?」
「カルちゃんは甘え下手だからなあ」
セレナンたちは何も耳に入っていない。
「その呼び名は禁止!」
カルナック師の顔が、赤くなっている。
「治療に集中したいから、しばらく黙っててくれないか」
「え~」
「え~」
見事にハモって、二人は不満を漏らしたけれど、言われるままに、静かになった。
じっとカルナック師を見守っている。
愛おしそうな、優しい顔で。
まるで仲睦まじい親子のような、カルナック様とラト、レフィスを見ていたら、あたしの不安は、ますばかり。今や、はっきりと確信に変わった。
家族のような、この二人の精霊は、カルナック師の最大の弱点だ。
もしも、ラト・ナ・ルアが。
あたしが前世の記憶を持ったまま生まれ変わるときに、あの何もない白い空間で出会った、未来のラト・ナ・ルア自身が女神となって教えてくれた、その予言通りに。
五十年後に、人間に、殺されたとしたら。
これまでずっと人間の世界を守るために力を尽くしてきた、カルナック様は。
人間を、見限る。
むしろ自ら滅ぼすことになってもおかしくない。
レフィス・トールもまた、絶対に、人間の敵になるだろう。
そして人間の世界は……滅びる。
イリスが出会った女神としてのラト・ナ・ルアは、
自分が50年後に殺される運命だと教えてくれたのです。そして自分の死によって、後悔し続け苦しんでいる者がいると。
それを防ぐためにアイリスに過分なほどの魔力をくれたのでした。