第4章 その55 精霊たちに愛される者(修正)
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帰ればいいわ。儚い人間の作り出す、儚い世界へ。
精霊族の少女ラト・ナ・ルアは、そう言って、カルナック師とマクシミリアンを現実の世界へと戻した。
途端に目に飛び込んできたのは、悲惨な光景だった。
本来なら、エルレーン公国で名高い豪商ラゼル家の一人娘アイリス・リデル・ティス・ラゼルが四歳の誕生日を迎え、そのお披露目のために盛大な晩餐会を開いていたはずの、邸宅の大広間である。
そこは、大規模な爆発が起こったことによる惨状が、ありありと見て取れた。
見渡す限りの床面は、意識不明で倒れている人々で埋め尽くされ、広間の中央では床材が下から突き上げられたかのように、はじけ飛び、土台も破壊され、土の塊が小山のように盛り上がっていた。
「あらためて見ると、つくづくひどいものだな」
カルナック師の呟きに、マクシミリアンは、返す言葉もなかった。もはやどう表現して良いかわからない。
広間に溢れていた精霊火が消えて、その中から現れた彼らの姿に気づいて、ヴィーア・マルファと、その腕に抱かれた幼女、アイリスが、傍らに立つリドラが、ほっとしたように声を上げる。
「師匠! マクシミリアン! 無事でしたか!」
「カルナック様」
「お師匠さま~!」
「心配をかけた。この通り、なんとか無事だ」
「あれ? お師匠、魔力が戻りましたね。さっきセラニスに斬られたせいか、ずいぶん弱っておいででしたが。元通りか、それ以上です。回復剤とかお持ちだったんですか」
「いや、その類いの薬は持っていない。これまでは造っていなかったが。今後は研究してみるか……」
カルナック師が考え込んだので、リドラは怪訝に思った。
「どうやって回復を? はっ! ま、まさか二人で姿を消しておられた間、マクシミリアンくんから魔力補給を! なんかいやらしい方法で!」
「リドラ……そのピンクな脳、いっぺん洗い清めたほうがいいんじゃないのか。わたしが洗ってやろうか? まずはどうやって脳を取り出すかだが」
ヴィーア・マルファの怒気を含んだ声に、リドラは震え上がった。
「いやだぁ! 二人が無事だったのを見て、安心したら、つい口がすべっちゃってぇ」
「精霊の祝福よ」
カルナック師の背後に現れたのは、銀色の髪と水精石色の目をした、美少女。
セレナンのラト・ナ・ルアと、レフィス・トールという青年だった。
「精霊の祝福?」
ヴィーア・マルファに抱かれていたアイリスが、不思議そうに繰り返した。
「そう。このようにしてね」
応えるや否や、レフィス・トールの姿が一瞬にかき消え、次の瞬間にはカルナック師のすぐ側にいて、ぐいっとばかりに強く抱きしめていた。カルナックを、である。
いやな予感がしたのだろうか。カルナックは大いに慌て、逃れようと暴れたのだが。
逃げられなかった。
「うえぇ!? ちょっと、ちょっと待て! やめ」
レフィスは、そのまま、カルナックを後ろからがっちりと抱きすくめて、唇を押しつけた。カルナック師の、唇に。
しかも、濃厚な。
体格差でいえばレフィス・トールの方が、身長が高いのだった。
「えええええええ! それですか!?」
目の前で繰り広げられる光景に、特にカルナック師の弟子であるヴィーとリドラは衝撃が大きかった。
「カルナックは、我らがセレナンの申し子にして養い子。想われ人なり。彼に危機あらばセレナンと精霊火は、どこにでも赴く」
「うるさい! さも厳粛そうに取り繕うな! この、このキス魔!」
普段の威厳とか落ち着きとかを、かなぐり捨てて、カルナックはレフィスに最大級のあくたいを浴びせかけ、肘鉄を食らわせた。
「あいたたた。だって、ラトがキスしてたから。わたしも、ちょっとぐらい、してもいいかなって」
「よくない! 養父が精霊なのにキス魔とかあり得ないから!」
「小さい頃は可愛かったのに。よくなついてくれて」
「その頃は幼くて、私も無知だっただけだっ! 変態!」
まるで子供の頃に戻ったような言動だ。
カルナックにとって精霊族の二人は命の恩人であり、育ての親である。
今では自らも成人してそれなりの社会的地位にあるのだが、どうにもラト・ナ・ルアとレフィス・トールには弱い。
ことにレフィスのほうは、カルナックよりも背が高く、精霊のくせに力に溢れているときてる。いつまでも越せない父親のようでもある。
「やれやれ。あたしの恋のライバルはレフィスで手一杯なんだから。他の人は手を出さないで欲しいの。わかってるわよね、マクシミリアン?」
「うえ? は、はいっ! おれはとにかく、カルナックの騎士として誓いを立ててますから! どんな危険からも守ってみせます!」
剣を抜いて掲げようとしたマクシミリアンは、はたと何かに気づき、視線を泳がせた。
「すみません。カルナック様に頂いた剣は、セラニスという人に刺したままでした」
「……セラニスのことも忘れないでよね」
ヴィーア・マルファの腕の中で、アイリス(イリス・マクギリス)は、深いため息をついた。
「アウルの身体なんだから」
セラニス・アレム・ダル。エステリオ・アウルの身体にインストールした意識は、このとき、危機的状況に陥っていた。