第4章 その53 ラト・ナ・ルアとレフィス・トール(修正)
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青年と少女の、青みを帯びた銀色の長い髪が、歩くたびに揺れている。
二人がこちらに向けた瞳は、無機質な、水精石を思わせる、淡いブルーに染まっていた。
あどけなさを残す少女の面差しも、精悍さと優しさが同居する青年も。二人とも、あたかも女神か神々の眷属のように、美しかった。
「カルナック様、あの人たちは……?」
腕に抱かれながらアイリスは問いかける。半信半疑ながら。
なぜなら、この場に出現したラトは。
アイリスが知っているセレナン族の少女ラト・ナ・ルアの姿とは、少しばかり違っていたからだ。
生まれ変わる前の白い空間で出会ったラト・ナ・ルアよりも、ずっと、生き生きとしている。それに、あの青年は、誰なんだろう?
カルナック師の身体は、まだ本調子ではないようだ。
息が荒くなっている。
「彼女たちは、精霊族だ。この世界に、セレナンに、最も深く繋がっている存在。そして、私の恩人だ。昔、生命を救ってくれた。あの少女はラト・ナ・ルア。青年は、レフィス・トールという」
「相変わらず無茶してるわね、カルナック」
「人間などのために、そんなに疲れ果てて」
少女と青年が、軽やかな足取りでやってくる。
「おかげさまで、なんとか生き延びているよ。しかし、なぜここへ?」
カルナックは、いくぶん安堵したように息をついた。
「滅多なことで私は助けなど呼ばないのだが」
「悪い癖ね。あなたは昔からそうだけど、カルナック。もう少しあたしたちを頼ってくれてもいいんじゃない?」
銀色の髪の少女が、肩をすくめた。
「だって、あたしたちの階層までアイリスの守護精霊達がやってきて、頼むんだもの。そんな深いところまで降りてきたら、人から生じた精霊なんて、圧力に負けて雲散霧消してしまうのに。どの子も、アイリスを助けられるなら、消えても構わないというのよ。ね、胸きゅんじゃない?」
胸きゅん?
とリドラは思ったが、精霊族にツッコミを入れる勇気はなかった。
「ラト。その使い方は間違っているのでは? 人間の言い回しを引用するときはよく考えてからにすることだよ」
「んもう、レフィスってば細かいわねえ。いいじゃないのよ。カンジンなのは、精霊達のお願いのことよ」
ぷんとラトは唇を尖らせる。
レフィスは微かに笑い、ラトの頭に手を置いた。
「そう、精霊たちが、アイリスとアウルを助けてほしいと言うんですよ。守護精霊として、何もできないのが耐えられないと」
「だから、頼まれちゃった!」
ラトは屈託なく明るく笑った。
「セラニスの造らせた、あの変な色した円環呪を壊してあげる。起動したら、人間には、近寄れないでしょ。あたしたちは、そのために来たの」
再び、激しい爆発が起こった。
広間の中央。
赤い円環が脈動していた土面が吹き飛んだのである。
地面は盛り上がり、その衝撃が円環を歪め、たわんでいた。
やがてそれは、ひずみに耐えかねたのか、高い音を響かせて砕け散った。
「これでいいかな? 変換吸収装置? まったく奇妙なものを造るわね」
ラトは、カルナック師のもとに歩み寄り、手をさしのべた。
カルナック師は、近くのヴィーア・マルファに、アイリスを預けた。
間近で見るラト・ナ・ルアの姿に、アイリスはじっと見入った。
このラトが、女神さまのいる不思議な空間で出会った、五十年後に死ぬ運命にある少女なのか。
自分が死んだことで捕らわれ続けていると彼女が嘆いていたのは、もしや、一緒に居るあのレフィスという青年のことなのだろうか。
アイリスの内心の葛藤も知らず、ラトはカルナックだけしか見ていないようだ。
何しろラト・ナ・ルアは、まだ、この時系列ではアイリスと出会ったことはない。ただ初対面の見知らぬ人間でしかないのだ。
「大いなる意思は、あなたに消えてほしくはないと告げているわ。五百年前のあのとき、せっかく生き返らせてあげたのだから。カルナック。あたしたちは退屈してるの。あなたがいなくなったら、人間なんか滅びたって構わないのだけれどね。そんなの寂しいし、つまらないわ。ほら、手を取って」
カルナック師の手を、しっかりとラトは握る。
「ところでカルナック。魔力核を分け与えたわね。そこの死にかけた子供を助けるために。なんであなたは、自分が損をするようなことができるの? そのせいなのよ、こんなに弱ってしまっているのは」
眉をひそめ、カルナックの手をつかんだまま引き寄せる。
「カルナック。そろそろ重い荷を背負うのはやめてもいい頃合いじゃないの。あなたは、もうほとんど、あたしたちと同じなのよ。こっちに、来ればいいじゃない?」
「私にはまだ、やるべきことがある」
「なら、精霊火を返してもらってもいいのよ。もういいでしょ、世界に還元されても」
とたんにカルナックの周囲に、その姿をすっかり覆い隠してしまうほどの、数え切れない精霊火が押し寄せた。
「カルナック!」
恐れも何もかも忘れて、マクシミリアンがカルナック師のもとへ駆け寄り、何も見えない中に身体ごと飛び込んだ。
目映く青白い光に包まれた空間の、ただ中に。
意識を無くしぐったりと倒れ込んでいるカルナック師と、ラトという精霊族の少女の姿があった。
「カルナックが生命を削ってまで助けたのは、きみなのよね!? おかげでこの人が、どんなに弱ってしまったか、わかってるの?」
ラトの目には、強い憤りが満ちていた。
「おれは、その人の騎士です」
マクシミリアンは精霊の少女に、まっすぐな眼差しを向ける。
「あなたは、世界なのか? スゥエ女神さまが忠告してくれたんです。いつかカルナックを世界が連れていってしまうって。今がそのときなんですか? お願いだ、その人を連れていかないで。この世では、ずっと、そばに。一緒にいるって、誓ったんです!」
「スゥエ? きみも『先祖還り』なの?」
意外だというように。
銀色の髪の少女はつぶやいた。