第4章 その48 本物の魔女(修正)
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「あなたが、壊させたんでしょ! あたしのアウルを返して!」
「返さないよ? もともと、ぼくのものだもん」
子供みたいに、セラニスは笑う。
「それにきみも。ぼくの婚約者だ。うふふ。楽しいな。どこか行きたいところがあったら一緒に連れて行くよ。ああ、きみはまだ館の外に出たことなかったんだっけ。行きたいところも何も、知らないんだね。世界はこんなに広いのに……生まれてからずっと、館に閉じ込められてさ……かわいそうだね」
不思議なことに。
人間のことなど何も考えていない、残酷な存在なのに、あたしはほんの一瞬、優しさを感じてしまった。
ふと、薬指がうずいて。
見ると指輪が、柔らかく光っていた。
エステリオ・アウルが、あたしの誕生石のエメラルドをはめ込んで贈ってくれた婚約指輪。永遠の愛をこめて、あたしとアウルの名前を刻印して。
アウル。アウル! もう一度、あたしを呼んで。あたしの名前を、囁いて。
その柔らかな優しい声で。
そう思うと、涙が、溢れる。
「おかしいな」
セラニス・アレム・ダルは、首をかしげた。
目の端から一筋の涙が、こぼれ落ちていた。
「なんだろう? 胸が苦しい……月宮有栖、きみを見ていると。ほんとに小さくて細くて。ほんのちょっと力を入れれば、首を折って、それで死ぬだろうな……でも、そしたら……寂しいな」
涙をこぼしているのは、アウルだ。
セラニスの中に閉じ込められている、あたしの、エステリオ・アウル。
「この感覚……身体を持たないときには、なかった。縛られているような、感じが。きみを見るたびに、生まれてくる、情動が……これは、なんだ?」
目をすがめて、セラニスは、あたしとアウルを繋いでいる、かすかな結びつきに、気がついた。
「これは、魔法……か?」
「そうだ。今夜、晩餐会に入る前に、私とコマラパが立会人となって、アイリスとエステリオ・アウルの婚約を承認した」
一切の物音を立てずに、カルナック師が、その場にあらわれた。
「二人はすでに魔力で結ばれている。もっとも、魔力だけの結びつきではない。おまえには理解できないだろうが。人には、愛情というものがあるのだ」
カルナック師とリドラ、ヴィー先生。それに、マクシミリアンくんが、いた。
涙が出るほど嬉しい、援軍。
だけど、来て欲しくはなかった。
他の魔法使いたちのように、みんな、きっと、死んでしまう。
「カルナック様! コマラパ老師は、来るなとおっしゃったのに」
それが、最後に聞いた、老師の言葉だったのだ。
だけどカルナック師は、唇の端をかすかに持ち上げて。
「それで引き下がるような私ではないことくらい、コマラパはよく知っているさ」
カルナック師とセラニス・アレム・ダルが対峙する。
こうして見ると二人は、全く違うのに、それにも関わらず、なぜか、似ているような気がした。
鏡に映った像のように。
違いは、カルナック師が、人間を愛していること。
セラニス・アレム・ダルが人間を憎悪していること。
「誰かと思えば。ぼくの器になるはずだった人間じゃないか。五百年前だったかな?」
楽しいことを思い出すようにセラニスは笑った。
「悠長に、おしゃべりなどしているゆとりがあるのか?」
カルナック師の表情には、何の感情の揺れも、浮かばなかった。
「あいつは最低だったよね。不老不死を望んだ。レギオン王国を壊すか新しい国を興すと言って。血族すべてを殺して『魔眼』に捧げ。器に用意したのは、いたいけな末の男子。つまり、きみだ」
さっきお爺さまに話していたのは、カルナック様のことだったの?
そうだ、カルナック様は、前におっしゃってた。
血族は全て死に絶えているって。
冗談みたいな軽い口調だったから、あたしは聞き流してしまっていたけれど。
「魂を壊すためといって、きみもずいぶん酷い目にあったじゃないか。人間って、残虐だよな。あれには、ぼくも呆れたよ。死ぬまでヤっちゃうなんて」
低く、しのび笑う声。
悪意に満ちて。
それは、衝撃的な内容だった。
カルナック師が、五百年前、セラニスのために用意された器!?
昔にも、いたのか。
ヒューゴーお爺さまのように、他の人間を犠牲にすることを躊躇わない者が。
身の程知らずな大望の代償に、自分の子供を、セラニスを降臨させるための空っぽな器にする、なんて!
空の器にするために、子供の魂を壊した。
壊すために、ひどいことをした。
ためらいは、なかったの?
「……おまえが、我が父を唆したのだろう?」
カルナック師の声に、怒りの色はなかった。事実だけを突きつける。
「まさか。あそこまでやれなんて言わないよ。死んじゃったらもう器としては使えないし。ぼくだって、あまり損傷の激しい器に入るのは気持ち悪いんだから。理想は、クローンかな。サウダージで科学を発展させるようにすすめているんだけどね」
「そもそも、おまえが父の前に現れなければよかったのだとは思わないか?」
「あー、それ言っちゃう? ひどいなあ」
「事実だ」
「今思えば、きみのことは惜しかったよ。器に使えないと思って放置していたら、セレナンに取られちゃうんだもんなあ。あんなにひどく損なわれた身体に、精霊火を入れて生き返らせるなんて反則だよね」
「おまえが言うか?」
カルナックの周囲に、精霊火の青白い光球が、集まり始めた。その姿が、霞むほどに。
その光景を見て、セラニスは鼻白む。
「ふふん。でも、まあいいや。この身体は気に入ったよ。成人で健康だし、魔力っていうやつ? けっこう多いみたいだし」
「おまえに魔力がうまく行使できるとは思えないがな。この世界における魔法体系は、私が造り上げたものだ」
「一度死んで。セレナンが生き返らせてから。きみの魂は、いわゆる前世を思い出したんだ。ぼくにはよく理解できないけど。きみこそ本物の魔女だ。カオリ」
その名前を耳にしたとき、マクシミリアンは、衝撃を受けた。
魔女、カオリ。
彼は、確かにそれを知っていたから。
「カルナック! だめだ、それ以上、そいつに近づかないで!」
じっと控えているように言いつけられていたのに。マクシミリアンは我を忘れて駆け寄ろうとし、隣にいたリドラに肩をつかまれた。
「師匠には、深いお考えがあって、なさっておられること。迂闊な行動を起こせばかえって師匠の身を危うくしかねない」
「でも」
「待っていろ。わたしだって我慢しているんだ」
低い声で、呟く。いつものリドラの口調でも声でもなかった。
「ティーレを倒すなんて」
はっとして、マクシミリアンはリドラの顔を見上げた。
その隣にいるヴィーア・マルファも、非常な決意で、動かずに待機しているのだ。
「魔女カオリ。カルナック。セレナンが生き返らせてから、きみは、ぼくの掌握できない力の流れを構築し、政治に干渉し、手に負えない魔法使いたちを育てあげた。なんのために?」
セラニスの声に、苛立ちが混じりはじめた。
「おまえが不老不死を与え、力を与えた、災厄を生み出す存在。ガルデルの統治するグーリア帝国から、私の愛する世界を守るためだよ」
「愛? なにそれ?」
再び、セラニスは疑問を発する。
「おまえにはわからなくても、おまえが今、入っている身体の持ち主には、わかる。その証拠に、まだアイリスを抱いて、離さない。おまえなら、少し反抗されれば、気まぐれにすぐ殺していたはず」
「! そんなこと、あるもんか」
セラニスは明らかに動揺した。
そのとき。セラニスにも予想できなかったことが、起こった。
彼の意思ではないように、アウルの手が、動いて。
そっと、あたしを、テーブルに下ろして、離れた。
「有栖。愛してる。きみをセラニスの好きにはさせない」
「アウル!?」
離れる直前、あたしの耳元で囁いた、優しくあたたかい声は。
次の瞬間に、くぐもった呻きになった。
エステリオ・アウルが『覚者』の装備として持っていた、儀式用の銀色のナイフが。
ありえない場所に突き出ていた。
尖った刃の先端は、彼の喉を破って。首筋の後ろに、突き出ている。
ほとばしり噴き出す血は、鮮やかな赤。
「あああああああああああああああああああああああ!」
叫んでいるのは誰?
喉が切れて、血を吐いて。叫んでいるのは、
あたし。
「アウル!」