第4章 その46 インストール(修正)
46
そのとき。
広間の中央には、さまざまな料理を盛り上げた大きなテーブルが置かれていて、周囲には招待客たちが集って歓談していた。
そこに、エステリオ・アウルの姿を乗っ取ったセラニス・アレム・ダルは進み出た。
大きく手を上げて。
優雅に、お辞儀をした。
そして、こう言った。
「今宵の宴に足りないものがある。それを今から、お見せしましょう」
招待客たちは、歓声をあげた。
まだ何も気づいていないのだ。
「コマラパ老師! ティーレ! 彼を止めて! あれは、あたしのエステリオ・アウルじゃない!」
驚いたようにコマラパ老師が振り向く。
「あれは、セラニス・アレム・ダルなの!」
「なんじゃと! なぜ、おまえさんが、その名前を知っておる」
コマラパ老師の声には不審げな響き。
そうよね。普通なら知るはずもないよね。あんな……生命全てを呪うモノの存在を、六歳児が知るはずない。たとえ『先祖還り』でも。
どうやら魔法使いの間でも、個人情報の保護はちゃんとなされているらしく、あたしがセラニス・アレム・ダルと関わっていることは、コマラパ老師は知らなかったのだ。
うまく説明できない。もう時間がなさそうだもの。
ふいに、突風が巻き起こった。
あたしのテーブルのまわりには、あたしの守護精霊である風の精霊シルルが、突然の旋風を遮る見えない壁を造り上げてくれていた。
守護精霊達は懸命に力を行使している。けれど、圧倒的な力を、現世に降臨したセラニス・アレム・ダルは、持っていたのだ。
「本当の祈りが足りないんだよ。なんでこの世の最高神に本気で祈らない?」
嘲笑う声がする。
やめて! アウルの声で、そんなイヤなことを言わないで。
「心の底から祈るのさ。夜と死の支配者に。『死者と咎人と、生まれながらにして罪を背負いて生まれし嬰児の護り手、真月の女神イル・リリヤ』へと。願う者は『魔眼』に贄を捧げよ。最も大切な宝を捧げよ!」
突然。広間の中央の床が、爆発した。
大テーブルの真下の床だ。
まるで爆弾でも仕掛けてあったみたいに。
爆風のただ中に、アウルがいる。
重さを持たないもののように、爆風の吹き上げる中に浮かんで。
風に逆立つその髪の毛が。みるみる、鮮血の赤に染まっていく。
「おお! 混沌なる、忌名の神よ。我が贄を受け取り給え!」
セラニスのそばにいるのは、だれ?
天を仰いで、無情の幸福に包まれているような顔をしている老人は。
「我が最愛の息子を闇に捧げる。その代償に、我が望みを叶えたまえ」
「……老人。おまえも、たいがいしつこいな。で、なにが望みだったかな。おまえが誓願を立てたのは十数年も前のこと。願いの内容までは、我も覚えてはいない」
セラニスの声が、変わった。
音域が、上がった? エステリオ叔父さまの優しい声よりも、少しだけ高く、中性的な響き。声色もまた、性別をうかがわせない感じになった。
……それはダウンロードファイルが解凍されて、エステリオ・アウルへのインストールが完了したからだわ。
あたしの胸の中に。誰かの声がした。
知っているような気がする。
この上なく冷静な、感情を出さない、けれど、とても澄んだ、きれいな声が。
あたしは彼女を、よく知っていた、はずだった。
「ああ、思い出した。老人、おまえの望みは、長男を廃して、自分が永久にその地位を保ち続けること。それと、この国、ひいては大陸全土を手中におさめることだったな」
動脈を流れる血よりも赤い髪。
静脈を流れる血よりも昏い赤の目をして。
エステリオ・アウルの身体にインストールされた、セラニス・アレム・ダルの意識が、この世の全てを嘲笑う。
「そうだ! 忌名の神よ、叶うならば、我が息子も、孫も、一族全ての生命も、好きになさるがよい」
歓喜に打ち震えて、お爺さまは高らかにうたいあげる。
「……昔、同じようなことを願った者がいたな。この国ではなく、レギオン王国だったが。あの者も、我に血族全ての生命を捧げてきたが……」
「その者も、願いを叶えたのですな?」
「叶えてやったよ。そいつは、人という弱い身体から解き放たれて、神にも等しい生き物になり、長寿を手に入れた。そして南の地へ赴き自分だけの帝国を築き、不死の皇帝となった。今でもそのまま、生きた灰色の鎧に覆われているだろうさ。孤独なままでね。だって、彼は、長寿だけを願い、幸福も、愛情も、願わなかったから」
ほんの僅かな間、ヒューゴーお爺さまの顔に、困惑と、躊躇いが生まれた。
けれどお爺さまは、すぐに、迷いを振り切った。
「この世の至高神に、御願い奉りまする。我は御母上のために神殿を新たに築きましょう。夜と死の支配者、死者と咎人と嬰児の護り手なる、白き腕の真月の女神イル・リリヤ! 父なくして生み出されし御身の愛し児のため、望まれるかぎりの贄を捧げ奉りまする!」
ひとこと、ひとことが。
まるで呪詛のように、空間をひずませていった。
人々が、ばたばたと倒れていく。
駆け寄ろうとした魔法使いたちまでも、なぜか、なすすべもなく倒れていくのだ。
「生命を捧げよ。まだ足りぬ。全ての生命を捧げよ」
セラニス・アレム・ダルが、荘厳に、声を発した。
「御意」
深く頭を垂れた、ヒューゴーお爺さまは。
ふいに、高らかに笑い出した。
「はは! ははははは! 愚か者め、マウリシオ! 事件を隠蔽するためとはいえ、この館は、改築するのでは足りなかった。いったん全て解体し、土台まで掘り起こして無に帰すべきだったのだ!」
老人が、床に、何かをたたきつけた。
とたんに爆風が巻き起こって、広間の中央に、竜巻のようなものが出現した。
竜巻は、床材をみるみるはぎ取って、夥しい土砂とともに消滅させていく。
その周辺では、人間が次々に倒れていく。
もう、立っている者の姿はない。
「ティーレ! エルナト! おまえたちはアイリスを守れ!」
コマラパ師が、残る魔法使いたちを率いて飛び出していく。
「老師!」
あたしを守るコマンドが最優先であるティーレとエルナトさんが、あたしとお父さま、お母さまを挟むように立った。
「カルナック、来るな! 危険すぎる」
それがコマラパ老師が発した、最後の言葉で。
あたしは、老師と共にセラニス・アレム・ダルに向かっていった、全ての魔法使いたちが、糸が切れた操り人形みたいに、次々に倒れていくのを、どうすることもできずに見ていた。
床材も土台もむちゃくちゃに堀り返された後の地面には。
赤い、円形の意匠が、浮かび上がっていた。
血管のように脈動する、真っ赤な、円が。
それを見たあたしは、ものすごい恐怖がわき上がってくるのを感じた。
これは違う。
願いなんか、かけちゃいけない!
「やめて! お爺さま! 忌名の神は、人の願いなんか、絶対に、ちゃんとは叶えてくれないに決まってる! そんな神に願ってはだめ!」