第4章 その45 セラニス・アレム・ダル降臨(修正)
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「エステリオ・アウルの精神的防御は強かったけど。崩すのなんか簡単さ。彼が後生大事に守ってきた、月宮有栖を。アイリスを。壊してしまえばいいんだから」
いかにも楽しげに、いじめっ子みたいに言う。
「どういうこと?」
あたし、だんだん怒りが抑えられなくなっていく。
「この身体の中に今、入っている魂は、邪魔だから。彼には、一番見たくないものを見せてやって、精神防壁に穴を開けたんだ」
くくっと笑う。
「何を……見せたの」
聞くのが怖い。本当は、聞きたくなんかないのに。でも、アウルが、どんなことをされたのか、あたしは知っておかなければならない気がした。
「一番恐れていること。一番、見たくないもの。彼の宝物、有栖と、アイリスを、自分自身が穢すところだよ」
いったい何を、こいつ(セラニス)は、言ってるの?
アウルの顔で。アウルの声で。
「泣いて嫌がるきみをアウルが無理矢理、力尽くでさ……後は、説明しなくてもわかるだろ? 彼はそれを、一番、恐れていたんだよ。実際に、そうしてしまいそうな衝動を抱えこんでいたからね。なぜって……」
ああ、あたしも、一番聞きたくないことかもしれない。
「アウルは、誘拐されて売られ、性的虐待を受けた。本来のアウルの魂は壊れた。いくら記憶を操作して、身体に受けた傷をあとかたもなく消しても、時空間に刻まれた事件の記録までは、消せない。それは世界の持つ地磁気に記録されてしまうものだから」
世界の持つ、地磁気に記録する。
その言葉は、あたしの無意識の深いところで眠っていた、もう一人のあたしに、刺激を与えた。セラニスは知るよしもないだろうけど。
「あれ? 有栖。きみ、驚かないの? エステリオ・アウルが四歳のお披露目の晩餐会で誘拐されて、行方不明になって。レギオン王国の貴族に売られてたって、もしかして知ってた? お節介な魔法使いたちが、もう話したのかな?」
「知ってる。あたしは、エステリオ・アウルの許婚よ。彼のことは、なんでも知ってるわ」
「でもこれは知らないだろう? 空っぽになった身体に、魔法使い達は彼の前世の魂を蘇らせた。その魂は、四歳で壊れた本来のアウルとは違って、成人年齢まで生きていたらしい。だから、幼児よりは強靱な精神だった。けれど男性の方が、性犯罪の被害者になったとき、精神が壊れやすいみたいなんだよね。ぼくは長い間、人間ってものを観察してきたから知ってるんだ。だから断言する、アウルは、とっくに壊れているよ」
「誰が壊したと思ってるの!」
「アウルは、きみに対するよこしまな衝動を懸命に抑えつけて、より良く完璧な庇護者になろうとして苦しんできた。けれど本当は、ずっと、いっそ衝動に身を任せてしまいたいと思っていたんだよ。ぼくは彼の妄想をそのまま見せてやっただけさ。くくく。さぞ快感だったろうねえ! その後にやってきたのは壮絶な自己嫌悪さ。自分を殺したいと願うアウルを、魂の内側に追いやった。だから今も、ぼくの目を通じて外を見ているのかな。きみをね、月宮有栖。面白いだろ?」
セラニスは、あたしを見て、不思議そうに言った。
「どうしたの。泣いてるの? アウルのこと、気持ち悪くない? 引かない? きみで、いやらしい妄想してたんだよ?」
涙がこぼれていたことに、気づいた。
かわいそうな、アウル。
アウルを見ていると、時々、捨てられた子犬のような気がした。
寄る辺なく頼りなく。けれど、それは一瞬で。いつもは、とても優しくて頼れる素敵な大人だった。
あたしの、アイリスの、大好きな叔父さま。
「気持ち悪くなんかない。心にどんなものを抱えていたって、アウルは、あたしにひどいことなんか、絶対にしなかった。ずっと大切にして、助けて、守ってもらったわ。あなたに何がわかるの!」
驚いたように、セラニスは、暗赤色の目を、すがめて。
「きみは、ちょっと可愛いから、そばに置いてやってもいいと思ったのになあ。うるさくするんなら、もういらないや」
酷薄な表情で、薄く笑う。
アウルなら絶対にしない表情。
「返して! アウルを返してっ!」
あたしは夢中で叫んだ。
「アウルは、あなたが玩具にしていいものじゃない。返して! あの人は、あたしのものなの!」
正式な婚約の契約だって交わした。
セラニス・アレム・ダルが奪おうとしている、アウルは。あたしと魔力で結ばれている。絶対に離れないって誓った。
あたしの必死の懇願に、セラニス・アレム・ダルは、戸惑ったようだ。
「まあいいや。ともかく準備をしておこう。カルナックの邪魔が入らないうちにね。本当の話、カルナック一人が、邪魔だった。あっちには、せっかく、元気の良い囮を贈ってあげたんだから」
エステリオ・アウルの身体に入った、セラニス・アレム・ダルは。
あたしをテーブルの上に、ちょこんと置いた。
それから身を翻して、広間の中央に躍り出る。
「アイリス! アウルはどうしたんだ?」
「おいで、アイリス! 叔父さまはどうかなさったの?」
お父さまとお母さまが、手をさしのべてくれて。
あたしは二人の腕にすがった。
何か恐ろしいことが起ころうとしている。
だけどうまく言えない。
あたしのエステリオ・アウル叔父さまは、どうなるの。