焼きそば物語
焼きそばはタイミングと順番が命。一瞬でも間違えば取り返しがつかない。
俺は頭の中で、今一度レシピを思い浮かべた。
調理前に素早く油をひき、すかさず具を入れる。今回は薫り豊かなゴマ油を用意してある。
具は豚バラ肉から入れ、色がついたら野菜、最後にメインの麺。
後は炒めながら、具と麺が混ざったタイミングでソースを絡める。全体に馴染んだら完成だ。
─イケる。油断大敵とは言うが、ここまで焼きそばの作り方を必死に思い浮かべている男は他にいないだろう。
自信に溢れていた。頭の中では美味しそうな焼きそば、そしてそれを受け取る笑顔の客が見える。
これなら間違いなく絶品の焼きそばが出来上がるはずだ・・・・
しかし何かが引っかかる。本当に大丈夫なのか、第六感とも言える何かがこの違和感、胸騒ぎを消すことが出来なかった。
・・・
「国正さーん、油ひきはじめますよー?」
思考を続ける俺に話かけてくる声がする。焼きそば担当の後輩だ。
自分の世界で考えすぎていて大切なことを忘れていた。焼きそばで大切なことは調理だけではない。
今回の舞台はイベント会場での焼きそば屋台。一人でどうにか出来る代物ではない。
俺の考え、行動を助けるパートナー。アシスタントとも呼べる存在が何より重要なのだ。
その点、この後輩は優秀だ。俺が指示を出すまでも無く下準備にとりかかっている。
「おお、すまんな。考え事をしすぎていた。そのまま鉄板を熱しておいてくれ」
入念なイメージトレーニング、最高の具材、最高のパートナー。
間違いない。今回が初となる焼きそば担当の仕事は成功の未来しか見えない。
胸騒ぎがなんだと言うのだ。これでダメなら誰がやってもダメだろう。
安心できた嬉しさから思わず笑みが溢れてしまう。いけない、最後まで気を抜いては不測の事態に対応できなくなる。
「鉄板熱くなってきたんで、焼き始めますね〜」
またも思慮に耽っているところで声が聞こえてきた。やはりこの後輩は優秀だ。そこらの指示待ち人間とは一味違う。
焼く順番も心得ているようだ。鉄板に手のひらを近づけ温度を確認した後輩は、十分に熱が入ったことを確認すると豚バラ肉に手をかけていた。
これなら俺が居なくても大丈夫かもしれない。そんな安心感も与えてくれた。
バラ肉の奥には下準備で使った油が見える。鉄板を見る限り油は十分そうだが、足りなくなった時にすぐに足せるよう、近くに備えているのだろう。
流石だ。あの量のサラダ油があれば途中で無くなることもないだろう。
・・・ん?何かが引っかる・・・・・・・・サラダ・・・・・・・・油?
「ってえええええええええええええ!!!!?????」
何故だ!??!!何故サラダ油があそこにいる!!!!!!????
確かに俺が用意したのはゴマ油、しかも今回用に用意した特注品!!!!!!
「え!?どうしたんですか国正さん?!」
「ご、ごごご、ゴマ油は使ってないのか!!?」
「ああ、あれなら毒味用のサンプル品作った時にもう使い切ってましたよ?」
な、なんということだ、確かに用意したゴマ油は150mlしかなかったが、まさか使い切ってしまうとは・・・・・・
これが胸騒ぎの原因だったのだろうか?まったく気づくことができなかった。
思わず頭を抱えこんでしまった。いけない、不測の事態に対処すると先ほど考えたばかりだ。
こういう時のために念のため用意したサラダ油。
まさか使うとは思っていなかったが・・・後輩はいち早く異変に気づき対応していたということだ。
狼狽えてしまったが、こうなっては仕方ない。サラダ油でも美味しい焼きそばが作れるはずだ。
後輩に視線を戻すと、怪訝な目を向けながら調理を続けていた。
すまない、アシスタントであるお前がしっかりしているのに俺がこんなザマでは不安になってしまうだろう。
俺は気持ちを切り替え、鉄板に気を向けた。ジューっと具が焼かれている音が聞こえてくる。
なんだ、サラダ油でも十分美味しそうな匂いが漂っているではないか。
まるでソースのような匂いを漂わせる鉄板。これならゴマ油の風味がなくても問題ない・・・・・
・・・・ソースのような匂い?
「っておいいいいいいいいいいいい!!!!!!ソース入れるの早くね!?!?!?!!!!????」
そう、ソースのような匂いではない。これはソースの匂いだ。
あろうことか、鉄板の上では豚バラ肉、野菜、麺、そしてソースが同時に焼かれていた。
「ソースっていうか全部ごちゃまぜ!!??!?!?いきなりクライマックス??!!!???」
「え、量焼くから手っ取り早く全部焼くんですよ!? てか業務用焼きそばセットの袋にもこう書いてますよ!?」
な、なんということだ・・・・まさかここまで予定が狂うとは・・・・・・
俺が考えていたレシピは1人前の、自宅で作る時のやり方だったのだ。
確かにここはイベント会場・・・一度に数十人分の焼きそばを作らなくてはいけない。
端から1人前のレシピでは太刀打ち出来ない状況だったのだ。そのことに今まで気づけなかったとは・・・
きっと最初から心の何処かでこのことに気づいていたのだ。だからこそのあの胸騒ぎ。
しかし今となってはもうどうすることも出来ない。頭で思い浮かべたあの美味しい焼きそばはもう作れないのだ。
笑顔の客よ申し訳ない・・・俺が不甲斐ないばかりに美味しい焼きそばを渡すことが出来ないとは・・・
悔しさで涙がこみ上げてくる。人前で泣くわけにはいかないが、あまりに力不足だった自分が情けなくなってしまった。
万事休す。まるで本能寺で追い詰められた織田信長の気分とでも言おうか、全身を絶望感が襲った瞬間
「国正さーん?出来ましたよ〜?」
はっとした。そう、後輩は諦めていなかったのだ。
彼は俺が絶望に打ちひしがれている間も焼きそばを作り続けていた。
そして今の一言「出来た」という声、まさか・・・
「で、出来た・・?焼きそばが・・?」
「他に何があるんですか、ほら提供する準備してください」
なんと、鉄板の上には見るからに美味しそうな焼きそばが出来上がっていた。
後輩は一人で作り上げたのだ、あの絶望的な状況からこんなにも素晴らしい焼きそばを。
悔しさが感動に変わり、俺は思わず涙してしまった。まさか、ここまで優秀な後輩だったとは。
優秀な人間とは、如何に不測の事態に対応出来るかがポイントと言うが、ここまで体現されるとは思ってもみなかった。
漂ってくるソースの匂い、黄金色に炒められた具材の色、全てが完璧な焼きそばだった。
味見をするまでもない・・・これなら・・・・
「何泣いてんすかソースの匂いでも染みました?てか客来てますよ国正さん」
ふとレジのほうに向き変えると、少女がレジに並んでいた。後ろには母親と思われる女性も居る。
後輩が手際よくプラスチック容器に焼きそばを詰めると、俺に渡してきた。
「1つください!」
少女が満面の笑みでそう声を発する。俺の手にある焼きそばを見ながら。
「ご、500円になります」
ピンクで可愛らしい装飾がされているがま口の財布から500円玉を出すと、少女は俺の手に渡してきた。
俺も呼応するように焼きそばを手渡す。危うく割り箸を付け忘れるところだったが、寸前のところで気づけた。
これだ、俺が思い浮かべていた情景はこれだ!!美味しそうな焼きそば、そして笑顔の客。
通った道は違えど、目的の場所に達することが出来たのだ。
「ありがとうございました!」
晴れやかな気持ちで少女と母親に別れを告げる。二人ともお腹が空いてるのだろう、とても満足そうな顔で立ち去っていった。
よかった、本当によかった。一時はどうなるかと思ったが、何とか持ち直したといえるだろう。
この後輩をパートナーに選んでよかった。俺一人ではこの焼きそばを作り上げることは出来なかっただろう。
率直なお礼の言葉を口にしようと、後輩のほうを振り向くと手際よくプラスチック容器に残りの焼きそばを詰めていた。
一時も集中を切らさず自分の役目を果たすその姿は、神々しささえ感じる。
もはや俺に教えられることはない・・・そんな気持ちを抱きながら見ていると視線に気づいたのだろう、後輩と目があった。
「あ、こっちやっとくんで、予定通り国正さんはレジ担当でお願いしますね〜」
「あ、ああ、分かった。よろしく頼むぞ」
予定通りとは恐れいった。この状況ですら想定内だと言わんばかりの口っぷりである。
ん・・・「予定通りレジ担当」・・・・・?
何かニュアンスが違う。レジ担当とはなんだ・・・・?
・・・・・
そうしてやっと俺は冒頭から感じていた違和感の正体を突き止めた。
そう、今回の俺の役目は焼きそばを作る調理担当ではない。
俺がイメージトレーニングすべきだったのは・・・・レジの作法だったのだ。