群衆と偽善者と、群衆
赤々とした夕日が、コートを身にまとう人々をわずかながら暖めている。休日だというのに、俺はヤボ用で電車を待っている。待ちくたびれている。別に急ぐ用ではないが、この寒さの中で待つのは拷問に等しい。吹きすさぶ寒風が余計に体を震わせる。俺以外の被害者はと周りを見てみても、構内にいるのは片手で数えられるほどの人だけだ。皆揃って身を縮めている。人が少ないと、心までも寒くなる。ああ、本当に寒い。ポケットに突っ込んだ手を握っては開き、開いては握るとしていると、ようやく電車が到達した。
ドアが開くなり暖房の利いた車内に飛びこんだ。車内は暖かいな。さて、座席は、と見てみると、ちょうど一人分座れそうなスペースがある。でも、俺は三駅目で降りるんだ。駅間の距離もさほどないし、これぐらいは立っていよう。……ちょっとぐらい座っちゃえよ、と心の中の悪魔が叫ぶ。いやいや、三駅はさすがに……。
結局、ふがいない俺は、脇の人たちに目であいさつしながら座った。座ると同時にドアが閉まり、電車は次の駅へと加速し始めた。
赤い光が差し込む電車は減速し、次の駅に到着した。誰も動かない。降りる客はいないらしい。乗り込んできたのは、でっぷりと太った五十代ぐらいのオッサンとやせ細った少年だ。彼らは親子なんだろう。なぜって、少年は左手こそ杖をついていたが、右手はオッサンの腕を必死に握っていたからだ。
彼らは車内を見まわしているが、ご覧通り席はない。少年は席がないとわかると、わかりやすく残念そうな表情を浮かべた。オッサンは特に顔色も変えずにドア付近の手すりを握り、立っていた。その間に、電車は次の駅へと向かい始めていた。
走行中、ひ弱そうな少年は電車が少し揺れる度にその何十倍ほどに大きく揺れていた。揺れながら、なんとかオッサンの腕に縋りついていた。オッサンは少年には見向きもしない。夕日と自然の織りなす哀愁漂う芸術的景色を楽しんでいる様子だ。
次の駅に止まっても降りる客はいない。この駅では、ご老人が一人でそそくさと乗り込んできた。ご老人は座席には目もくれず、一目散に吊革を掴んだ。電車はもちろん発車した。
しばらくすると、俺の向かいに座っていた人が突然立ち上がった。青年だ。照れ臭そうな表情だ。彼は「席を譲ります」と、どもりながら言いきった。青年は下を向いているが、恐らくご老人に向けて言った言葉なのだろう。ご老人が聞こえぬ芝居をすること数秒。俺を含む乗客たちの視線を感じてか、ご老人はやむなく座ることとなった。青年と入れ替わりに向かいに座ったご老人の顔は、何故か硬い。青年は照れ隠しに、真っ赤になった顔で笑いながら周りに会釈している。ちょうど夕日が、青年をスポットライトのように照らし出していた。とても輝いて見えた。周りの乗客たちの顔を見てみると、皆一様に青年に称賛のまなざし。
その時、俺は気付いた。足がプルプルと震える少年がこちらを見ているのを。夕日で赤く染まった少年がこちらを見ているのを。心なしか、睨みつけているようにも……、いや、夕日が眩しいのだろう。そうだ。きっとそうだ。
俺は視線を殊勝な青年に戻し、周りの乗客と同じように目や表情で彼を誉めたたえた。チラと少年のほうを見ると、オッサンが目に入った。オッサンもこちらを見ていた。正確には青年を見ていた。笑っていた。まごうことなき称賛の笑みで。
電車は次の駅、つまり俺の目的駅に到着した。俺は暖かい電車から降りる。あー寒い。日もほとんど落ちかけてるしな。やっぱ電車の中は暖かかったな。縮こまりながら構内を見渡すと、降りる客は俺一人で、乗る客もいなさそうだ。そういえば、俺が座っていた席は誰が座ったのだろうか。振りかえり、車内を見てみた。暖かい車内を。座っていたのは、なんだか照れた顔をした、あの青年だった。
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後書きは活動報告にて書いてます。
ちなみに自作『老人と青年と少年』の書きなおしです。