条坊の辻に秋風の吹く頃 (七)
鄭氏の邸を出た徐云と何捷は、道すがら、いっしょに付いてきた麗雯から、その身語りを聞かされている――。
王淑一の大坐賈(大店)の主に見初められた翠雅雯がいよいよ鄭氏の邸に迎えられることとなったとき、雅雯は〝妹分〟ともどもの身請を願って、ふたりを青翠院から連れ出してくれた。そのこと一つとっても雅大姐には返し切れぬ恩があると麗雯はいう。引き受けてくれた鄭承にもその恩を感じている、だから鄭の家に泥を塗るようなことは決してできないのだと。
そう言ったときの麗雯の顔に、何捷の表情がすこし変わったかもしれない。少なくとも何捷のことを知るようになっていた徐云には、そう感じられた。
一見して不遜と見られがちの何捷であるが、実は義理堅い性格である。同じような〝不器用な義理堅さ〟を他人に感じ取ると、常の不愛想な顔にようやく表情が現れるのを徐云は知っていた。
このときも何捷は、麗雯が、
〝あんたたち男には香火姉妹の絆なんてわかりゃしないでしょうけれどね〟 という表情をしてみせるや、
「――…殊勝な心掛けだな。おまえのような〝根無し草〟を身内としてくれた翠雅雯に感謝せねば」
と、ぼそりと言って返した(まぜっかえした)のだった。
「……〝根無し草〟ですって?」
それまで一人で喋っていたような麗雯が、不意に割って入ってきた何捷に反応した。
「言ってくれるわね。あたしの本当の種姓(生まれついた階級や家柄)を知ったら、そんな言い様なんてできないんだから」
鼻先で明るく笑ったその言いようは別に〝何捷に不快の念を抱いた〟というふうではなく、何捷の言葉を受け流している感じだ。
それでは、と、
「いったいどんな〝止ん事無い〟生まれなんだか……」
何捷の方も誘いに乗って、さてさてと、かぶりを振るようにしながら訊いてやった。
麗雯は勿体つけるように、つんと澄ました顔をまえに向けると、どこか面白がるふうにふたりの一歩前に出ると、凛と張った声になって言った。
「北涼伯 崇威が後胤・崇嘉君の流れを汲む崔氏が七代の末裔…――」
何捷の顔色が変わったが、背中を向いた麗雯は、そのことに気づかずに続ける。
「…――証だってあるのよ」
そうして、とっておきの秘密を教えてあげる、というふうにふたりを振り見遣った麗雯は、突出された腕に怪訝となった。
足を止めた麗雯に、何捷は〝見せてみろ〟と掌を拡げて伸ばした。
いったい何よ……、と面食らった麗雯は徐云の方を向く。だが徐云も何捷の豹変に戸惑うばかりのようで、麗雯は息を一つ吐くと、胸もとから紐に吊るした碧い璧の〝首飾り〟を外し、何捷の掌の上にのせた。
それは円孔(中心の丸い孔)に紐を通した二寸五分ほどの璧で、とても上質な月光石で造られていた。恐らく魔除けの飾りとして造られたものだ。北涼の地は月光石の産地である。
何捷は掌の上のそれを確かめると、低い声で麗雯に訊いた。
「どこまで遡れる」
「なにを」
「血続きのことさ。遡れないのか」
めずらしく、何捷の口調が急いたものになっている。
その何捷の気配に圧されて、麗雯は遠い記憶をさぐるような表情になって応じた。
「――…崔氏五世の範までは嬴姓を名乗っていたって、そう……母は言っていたわ……」
「崔氏の五世……崔範……」
何捷は今度こそ神妙な面持ちとなって麗雯を向いた。彼女の手を取り、璧の首飾りを丁重に戻す。そしてやにわに拱手をし、こう口上したのだった。
「…――我が祖父・何前は、かつて北涼の地で、崔範さまのご父君、崔宇さまにお仕えしておりました。これまでの非礼を、平にお詫びいたします」
そう深々とひざを折った何捷に、それをされた麗雯の方は困ったように二歩、三歩後退った。それから衆目が集まり始めると、今度は面倒そうに顔を曇らせることになる。
なんとなく気まずくなった空気の中、璧を握りしめた麗雯は、
「あたし、もう帰らないと……」
ぎこちなげにそれだけ言い、あとはふたりを置いて、もと来た大路を逃げるように戻って行ったのだった。




