境丘に雨の下しる頃 (十一)
……が、この蔡才俊の主張に、尊寶は四つの点で疑義を持つ。
一つに、法が唯一公正で適切なものと、何をもって言えるのか。
一つに、法の起草時の想定が、世のすべての事象を網羅できるのか。
一つに、法の適用にあたり、斟酌の余地を規定することができるのか。
そして最後のひとつに、一度施行された法によって生じた結果を後に問えるのかどうか、またそれはどのように糺すことができるのか。
尊寶が思うに蔡才俊は、完成したものを語っているが、どのように創り出すのかを語っていない。
「昌公の巻き返しか。――姚姓の国同士で相争うなどと、いにしえの文王・武王は思っていただろうかな……」
洪大慶の言葉が、思索へと落ちてゆきかけた尊寶をひき戻した。
蔡才俊の奇才は、ただ法治の功利を説くだけに止まらなかったことである。法治によって国家の仕組みを変えた先に、天子主導の集権体制と富国強兵とを掲げてみせたのだ。これに頃王が心惹かれ、すかさず太傅(三公の次席)にあった昌公が彼を引き立てて、逢の朝廷に招き入れた。
そうして現在、逢の宮廷では、〝変法〟という国の仕組みを丸ごとそっくり組み直す、いわば改革・維新の試みを〝政争の具〟として、同祖である姚姓の二強国――『王淑』と『昌』――が権力闘争を繰り広げている。
改革派の中心は頃王の意を享けた昌公緩(逢宮廷太傅)。対する守旧派の領袖は鷲申君(逢宮廷太師)と恵粛公(現王淑公にして逢宮廷太保)である。
このような事態となったことも昌公緩の側から見れば、それなりの理がある。
本来、逢の宮廷では、王淑と昌、二つの公爵国がそれぞれ三公の一角を務めるのが習いである。(※残りの一席は、王族または五富族中の雄者が任命された)
それが、王室に〝王子淵の廃嫡〟が起きた末、ようやく淵の子の遺子(つまり王子淵の孫)・曉(頃王)に王統が復し、同じ頃に王淑公室を襲った〝斑洲の乱〟(王淑における公位継承争い)が治まってみれば、頃王の守役であったかつての王淑公子・鷲申君が三公筆頭となっており、そのうえ鷲申君の甥で王淑の君たる恵粛公もまた三公の地位に就いていたのである。
これには五富族の卿士に眉を顰める者は多かったし、むろん昌公もまた、これを唯々として受容することなどできなかったのだろう。本来、王の家から分かれた姚姓の国主の昌公であるが、鷲申君・恵粛公憎しの感情が勝ったがゆえに、蔡才俊の叫ぶ〝変法〟を是として宮中に引き入れた。
昌公に本当に国の法を改める意志があったかといえば、それは疑問である。が、彼は自分の心さえ欺くことのできる生来の役者だった。ゆえに何の疑問もなく蔡才俊を宮廷に招き、自身の閥に加えた。蔡才俊の方も、そういう昌公の本性をわかったうえで王宮に入ったふしがある。
とまれ蔡才俊が現れた逢の宮廷は、改革派と守旧派とに割れた。
改革派は鷲申君の栄華を苦々しく思う卿士に加えて、若い士大夫層の支持を集めており、守旧派は鷲申君に阿る五富族と、その後見を得た官吏らに支えられている。
鷲申君に見出された境丘の学者の多くは、彼の側に同情がある。章弦君の代に見出され直接に知己を持たない洪大慶や蕭尊寶でさえ、国の根幹は人であり仁であると考え客人を招くことを始めたかつての鷲申君に敬慕の念を抱いている。
だが同時に、この数年の鷲申君に増長の影が見えるのもまた事実であった。
ながく三公の地位に在り、また新たに三公の一席に王淑の血筋の者を迎え、さらには官の要職に一族の者や彼の食客の下に学んだ者を配し始めている。
尊寶の目にも、伝え聞く鷲申君の逢の朝議の専横は、阿漕に思える。
「――…章弦君は、やはり傍観か」
大慶が酒気を帯びた熱い息で、いまひとりの王淑の公子の動静を訊いてきた。尊寶は慎重に言葉を選ぶように説明してやった。
「鷲申君はあのご気性だ。いまはもうご自分の考えが主上の心を捉えるておらぬことをしっても、ご自分が退くことなど考えまい。となれば章弦君はつらい立場だ」
章弦君もまた、鷲申君同様、王淑の公室に生まれ頃王より封地を授かっている身の上で、逢と王淑に両属している。そしてこの冊封は鷲申君の引き立てであり、鷲申君が桃原に残した食客をそのまま譲り受けたことからも、鷲申君の政治的遺産を引き継いだ身と目されている。
つまり彼は、頃王と鷲申君、双方に恩のある身といえた。
そしてそのうえに〝章弦公主〟の存在がある。章弦公主とは章弦君が養女として迎えている頃王のただ一人の異母妹のことをいう。名を娥姚。
この年十二歳の少女は、六歳にして章弦君の養子女となって彼の庇護の下にあった。これもやはり鷲申君が主導した政略で、つまりは〝人質〟である。この国では同姓の婚姻は忌避されていたため、このように養子縁組の形で家と家の関係を強化することが姚姓の家ではよく見られた。
これまでのように鷲申君の権勢が盤石で王淑公家が権門勢家の筆頭なのであれば、この縁組は誰にとっても有益であった。が、他ならぬ王家と王淑家の関係に軋轢が生じ、鷲申君の世に翳りが見て取れれば、章弦君の立場もまた難しいものとなっていた。




