桃原に花の咲く頃 (一)
盛りとなった桃の花が、そよと風に揺れている。
大路の先に聳えるように見える境丘門(東壁の第二門)の青い瓦が、陽射しを鈍く撥ね返している。
その上には、やわらかく澄んだ空が広がっていた。
中原を東から入り北西へと流れる白河が北に折れる畔に建つ〝王淑の国都〟「桃原」は、いま、春の訪れの活気に満ち満ちている。
逢の頃王の十四年、三月――。
そんな桃原の門道の大路を一心に歩いてきた簡 明璇は、坊(街区)を一つ抜ける度に、その十三歳にしては大人びた端麗な顔をころころと変化させていく。――勝気なその目を真っ直ぐ前に向けていたかと思えば、つぎの坊では不安気に伏せがちとなり、つぎの坊に入ると自分を鼓舞するようにまた面を上げる……というふうに。
もしも少女の脳裏を覗いたならば、
(今日こそは〝小云〟を取り戻せるかしら……)
――十三歳の明璇の、揃えた前髪の下の色白で勝気な面差しに浮かんでは消えてゆく表情の裏に、そんな〝決意〟と〝不安〟とが入れ替わり立ち替わったりするのを見て取れたろう。
すると、乱吹の木の葉ずれを聴いて、明璇は足を止めた。
一拍の後、強い風を背に感じた。春疾風だ。
肩をすくめた明璇の、まだ笄礼(髪上げ)まえの、頭の後ろに小さく纏めて垂らした二房の髪が、身に着けた襦裙(短い上着と裳)の裾といっしょに大きく靡く。
風が抜けるのを待って、明璇は歩を再開した。埃を払うような仕草もない。
ここ桃原では、大路であろうと小路であろうと、埃が舞うということはない。街中の路という路の端には白河の流れを引き込んで水路を巡らし、景趣と潤いとが供されている。事実上の〝中原の盟主〟たる「王淑」の国都は、その品格に相応しい清潔な都なのである。
その清潔な都の大路に相応しくない存在を見たと思った明璇は、踏み出そうとした一歩を止めると、市中の東の端の最後の坊を隔てる〝坊の大路〟の南の側に目を遣ることとなった。
大路の端に沿う水路の上に渡された蓋橋の上で、質素な白い深衣に身を包んだ処士(=在野の士)が、明璇と年齢の頃のそう変わらない娘と往来の真ん中で対峙していた。
〝素衣・素裳・素冠〟は他国へ亡命するときの礼装である。そのことから、南方の「昌」か「佳」の国あたりから流れてきた野心家と見て取れる。……が、出で立ちこそ素衣・素裳・素冠であるものの、その風体がよろしくなかった。とくに世辞の似合う軽薄さの裏側に狡猾さと横柄さが透けて見えるその顔の相は、父が先々代の王淑公の公孫という臣籍ながら高貴な生れの簡明璇には、警戒こそすれ近づくことを躊躇わせるものがある。
ありていに言えば〝然して才があるわけでないにも拘わらず、自らを大きく見せようと他者を貶める〟…――そういう輩と見えた。
父の周囲にはそんな輩も多くおり、明璇にとり、彼らは生理的嫌悪の対象だった。
処士は条の大路を貫く水路の蓋橋の上で、往来を塞ぐように娘の前に立っている。
一方、娘の方は、春の陽光に似合う艶やかな色の襦(短い上着)の上に、薄手の半臂(半袖の上衣)を羽織り、片手を当てた裙(裳=巻スカート)から覗く足を軽く開いて、〝仁王立ち〟に処士を見上げている。勝気な顔立ち、という評価では人後に落ちない明璇に輪をかけて、向こう気の強そうな顔をしていた。
年齢は明璇と同じか少し上くらいで、笄礼を終えていた(成人している)かも知れない。もしそうであるなら、豊かな巻き毛を正しく結い上げず、そのまま垂らしているというのは、妓女(娼婦)だからだろうか……。
大振りな唇の娘の顔立ちは決して美貌というわけではなかったが、男好きするだろう、ある種野生めいた魅力を漂わせていた。
大路の真ん中で一触即発のふたりを目にしたとき、明璇は、そのまま立ち去ることもできたのにそうしなかった。
処士の表情に傲慢からくる狡猾さを見て取り、娘に無知ゆえの軽薄さを感じたとき、果してこの顛末がどういうことになろうか――。
場を取り成す者が居たほうが良いだろう。