応急処置
銃声が広いホール中にこだまし続けていた。
多くの人が倒れ、悲鳴を上げながら銃弾に打たれていく。
中には……クロモノ病の免疫が十分でない者もいた。
死への恐怖により、その体は――
人間とは呼べぬ怪物へと姿を変えてしまったのだ!
そして、変異が起きたその瞬間、
特殊部隊の隊員たちはすぐさま銃を持ち替え、
ためらいもなく引き金を引く――
まるで一撃で息の根を止めるかのように。
「蓮司くん! 蓮司くん! 聞こえてる!?」
這い寄ってくる美姫の声が、蓮司の意識を呼び戻した。
彼は仰向けに倒れていた。
その顔には苦痛が浮かんでいる。
「うっ……僕は……」
体を起こそうとするも、動けるのはわずかだけ。
右下腹部に鋭い痛みが走る。
――さっき、銃弾が貫通した場所だ。
「僕は大丈夫……美姫ちゃんと雄平くんは……」
「私は無事だよ」
美姫の返事は早かったが、声には緊張が混じっていた。
少し離れた場所で、雄平がすかさず口を挟む。
「自分の状態、分かって言ってるか?」
「俺と美姫ちゃんよりもよっぽど酷いぞ?」
蓮司は息を止め、痛みを和らげようとする。
視線は広いホールをゆっくりと見渡していた。
同じように倒れている仲間が何人もいた。
負傷者は多いが……その場で死んだ者はいないようだった。
ただし、変異を遂げた者を除いては。
その混乱の中で、蓮司の目を引いたのは——達也だった。
少年はその場に立ち尽くし、動こうともしない。
彼の視線の先には、銃を構える一人の隊員がいた。
「撃つなら——正確に撃てよ」
「頭か、胸の中央がいいな。遠慮はいらない」
彼は腕をゆっくりと広げ、まるで自らを標的に差し出すようだった。
バンッ!
銃声が響く。
だが、弾丸は達也の左肩をかすめただけだった——まるで外すように意図されたかのように。
達也の体はわずかに揺れたが、倒れることはなかった。
彼は目を伏せ、深く息を吸ってから静かに言った。
「は……結局、“それだけ”かよ」
そう言って、彼はその場に座り込んだ。
まるで心底から失望しているかのように。
間もなく、マイクから鋭い電子音が響いた。
全ての感染者の視線が、再びステージへと集まる。
苦しみのうめき声が会場に響き渡る中、再び司会の女性がステージに現れた。
今回はぴったりとした黒の軍服を身にまとい、折りたたみ椅子を持って登場した。
彼女はその椅子に座り、ゆったりと構えた。
「さて、ここからは“最初のレッスン”について説明しますね」
その声ははっきりと、静かに、だがどこか威圧感があった。
「さっき私たちが皆さんに撃った弾丸——あれは“普通の弾”です。
人間や普通の動物を撃つためのものです。」
「でも皆さんは、そうじゃないでしょう?」
女性の顔に皮肉めいた笑みが浮かぶ。
まるで子供をからかうような口調で、彼女は言葉を続けた。
「よく聞いてくださいね——
クロモノ病に“免疫を持つ者”にとって、普通の弾では殺せません」
彼女は一呼吸おいて、言葉の重みを増す。
「クロモノを殺せるのは、同じくクロモノ由来の武器だけです」
「さっき言った言葉、覚えてますか?“ヴァンパイア”って……そういうことですよ」
誰の呻き声にも構わず、彼女は続ける。
「最初の試練で皆さんが証明すべきなのは——“身体の制御”です」
「意識を集中させて、呼吸を整えて、自分の傷口に力を集めてください」
「内側から“熱”を送るんです……そうすれば、傷はゆっくり癒えていきます」
「“ただ傷が治るだけなのに、どうして俺たちを撃つ必要があるんだよ!?”」
舞台の端から怒りに満ちた叫び声が上がった。
「“あっ、それは良い質問ですね”」
司会者は甘い笑みを浮かべながらも、声は冷たく響いた。
「“だって…浅い傷じゃ、あなたたちの『本当の力』を呼び起こすことはできませんから”
“クロモノの力っていうのは、『死にかけたとき』にこそ目覚めやすいものなんです”
“それはもう、本能そのものですよ?”」
彼女は足を組み替えながら話を続けた。
「“もし自分で傷を治せないなら——その場で死んでもらいます”
“私たちは何の責任も負いませんから”」
一瞬の沈黙が訪れる。ホール内は呼吸の音さえ聞こえるほど静まり返った。
「“忘れないでくださいね。普通だったら——
あなたが『感染者』だと分かった時点で、私たちには『排除』する権利があるんですよ?”
“だから、私たちがあなたたちの命を『延ばしてあげている』って考えるのは間違いじゃないですよね?”」
彼女の笑顔は変わらなかったが、その言葉は聞けば聞くほど心を刺す。
「“あなたたちが死んでも、私たちは何も失いません。
むしろ『抗ウイルス薬』を節約できて助かるくらいです”
“あの薬、高いんですよ?知ってました?”」
その後、彼女は小さくくすくすと笑った。
「“そして何より、こうして銃で本能を刺激することで、
『偽の免疫力』を持っている連中を早めに排除できるんです”」
彼女は目を細め、意味深に微笑んだ。
「“あ、それから……一発も『急所』には当たってませんよ?”
“うちのスタッフは全員、命に関わらない部位だけを狙うように『訓練』されてますので”」
「“腹のど真ん中って…ふざけんなよ……”」
レ ンジがかすれた声で悪態をつき、傷口を押さえながら呻いた。
額には汗が滲み、出血によって呼吸も乱れている。
「“とにかく、がんばってくださいね〜♪”」
ステージからは相変わらず明るい声が響いてくる。
だがその声は、レンジ、ミキ、オダイラの誰一人として
気を楽にさせるものではなかった。
「“俺たち…どうすりゃいいんだよ…”」
オダイラが苦しそうに呻きながら、傷口に手を強く押し当てる。
「“…言われた通りに、やってみるしかないんじゃない?”」
ミキが小さく言葉を添えるが、その声にはまだ迷いが残っていた。
「“でも、具体的にどうやれば…”」
オダイラが再び動揺し始め、顔色もどんどん悪くなる。
「“落ち着いて、呼吸を整えて…それから熱を傷に送るって……”」
レンジが言葉を噛み締めるように繰り返し、ふたりに思い出させるように語る。
その言葉を聞いて、ミキとオダイラは仰向けに寝そべった。
血で汚れた冷たい床の上で、ふたりは必死に呼吸を整え始めた。
「“うっ……!”」
ミキは目を固く閉じ、全力で集中しようとする。
「“…全然、治ってこない……”」
「“俺も…ダメだ…”」
オダイラもまた、眉をひそめて目を閉じたまま呟いた。
ふたりは必死に心を整え、自己治癒を促そうと試みる。
だが、効果は現れなかった――。
その頃、
自己治癒に成功した感染者たちは、
少しずつ床から立ち上がり、広間の出口へと歩き出していた。
その付近では、黒い制服を着た職員たちが待機しており、
「第一試験」を突破した者たちを、それぞれの個室へと戻す準備をしていた。
達也もまた、ゆっくりと立ち上がった。
彼の傷はすでに完全にふさがっているようだった。
出口へと歩みを進める彼の道は――蓮司たちのすぐそばを通ることになっていた。
達也が回復しているのを見て、
雄平は思わず叫ぶように問いかけた。
まるで、最後のチャンスを逃すまいとするかのように。
「達也! どうやったんだ!? その傷、どうして治ってるんだよ!」
達也は立ち止まり、
ほんの一瞬、蓮司たちを一瞥した。
その視線には、あからさまな「鬱陶しさ」がにじんでいた。
「まったく……面倒な連中だな、君たちは」
彼は淡々と呟き、そっぽを向いた。
「何が難しいんだよ。
“集中するのが無理”とか思うくらいなら――いっそ何も考えるな」
それだけ言い放つと、
達也は蓮司たちを振り返ることもなく、無言で立ち去っていった。
「……何も考えるな、か……」
蓮司はその言葉を小さく繰り返した。
そして、ゆっくりと床に仰向けに寝転び、瞳を閉じる。
「お、おい、蓮司くん? 何やってんだ?」
雄平が戸惑った声で訊く。
「達也さんの言葉……試してみようと思って」
蓮司は静かに答えた。
「僕の身体には――疑問を抱いてる暇なんてない。
答えが見つからないままじゃ……本当に死んでしまうかもしれないから」
蓮司はゆっくりと起き上がり、まだ呼吸を整えながら、美姫と雄平を見つめた。
「美姫ちゃん、雄平くん……。何も考えないで。“怪我なんて最初からなかった”って、自分の身体を騙すんだ。気持ちを静かにして、体が自然に治ろうとしてるって信じるんだよ」
二人は蓮司の言葉に頷き、静かに床に横たわった。目を閉じ、呼吸を整え、集中する。
──その時、体内からふわりとした温かさが広がり始めた。
傷口の激痛が、いつの間にか痺れへと変わっていく。
「うそ……弾が……!」
雄平が自分の腹を見つめ、目を見開いた。
「外に出てきた! 弾丸が!」
美姫も驚愕の表情を浮かべていた。
「私の傷も……本当に治った……」
目にはうっすらと涙が浮かぶ。その声は安堵に満ちていた。
「僕もです」
蓮司が穏やかに微笑みながら、かすかに息を吐いた。
彼の体はまだ出血による疲労が残っていたが、“生き残った”という感覚は何よりも強烈だった。
「……やったな、俺たち」
三人は、互いに顔を見合わせながら喜びの声を上げた。
──その歓声は、静まり返ったホールの中に響き渡った。
舞台の上。
黒い軍服を着た司会者の女は、ポディウムにもたれながら、喉の奥でくすりと笑った。
隣にいた部隊長らしき人物もうなずいている。
「今年は……面白い子が多そうね」
彼女の視線はホール全体を見渡す。
立ち上がって前に進み始める者、まだ努力している者、そして動けなくなったままの者。
「こんな程度で全員が生き残れるわけじゃない」
口元に妖しい笑みを浮かべながら、彼女は続けた。
「普通の弾でこのザマなら、いずれ“あれ”に触れたとき、どうなるかしらね」
そして、小さな声でつぶやいた。
「さあ……これからどうなるのかしら。楽しみね――」
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試験が終わった後、蓮司、美姫、そして雄平の三人は、それぞれの居室へと戻され、再び休息を取ることになった。
出血の影響で体力は限界に近く、三人ともフラフラになりながらベッドへと倒れ込んだ。
「次の選抜試験は二日後か……少しは息をつけそうで良かったよ……」
蓮司は枕に顔をうずめながらぼそりとつぶやき、顔を上げて、背を向けて寝ている雄平に向かって声をかけた。
「でさ、お前はあれだけ張り切ってたし、嬉しすぎてダンスでも踊り出すんじゃないの?」
雄平は一言も返さず、ただ中指を立てて蓮司に見せるだけだった。
「ぶはっ……!」
蓮司は噴き出して笑い、涙を浮かべながら肩を震わせた。
「蓮司くん、雄平くんをからかっちゃダメだよ」
美姫がたしなめるように言った。
「これだけでもう、みんなヘトヘトなんだから……」
「こいつは変人だから気にしなくていいよ……」
雄平はぶつぶつと文句を言いながら、体を少し横に向けた。
「にしても、たった一回目の試験でこれだぞ? 二回目はどんな地獄が待ってるんだか……」
「次は“能力の資質”で選別するんだっけ? けど、俺らはまだ何の力も持ってないじゃんか……」
「うーん……絶対キツいよね……」
美姫は不安そうに小さくうめいた。
「でも、これで最後の試験だし……最終選抜ってやつ。で、ふたりはどの部隊に入りたいとか、あるの?」
「俺? そりゃあ“獅子部隊”一択だろ!」
雄平は自分を指さしながら、ドヤ顔を浮かべる。
「金色のマークとか、威厳もあってカッコいいし、誰だって憧れるだろ? な、美姫ちゃん?」
「うーん、私はね……正直、どの部隊でもいいかな」
美姫は少し首をかしげながら答えた。
「まだ自分の黒物がどんなタイプかも分からないし……」
「じゃあ蓮司くんは?」
「僕? 僕も美姫ちゃんと同じだよ」
蓮司は天井を見つめながら、ゆっくりと言った。
「どんな系統でも構わない。……誰かを救えるなら、それだけでいいんだ」
そう言って、彼は静かに微笑んだ。
「でも、もし選べるなら……“クジラ部隊”に入りたいかな」
「はっ、まるで少年漫画の主人公じゃん……」
雄平はあきれたように口をへの字に曲げて、顔をそむけた。
「つーかさ、自覚ある? お前のセリフ、まんま昭和のジャンプ漫画みたいなんだけど」
「だって僕……」
蓮司は照れくさそうに微笑むと、自分の前に差し出した手を見つめた。
「父さんみたいになりたいんです。最後の一息まで、人を助ける人間に……」
「死が近づけば近づくほど、僕は気づかされました。人間は、自分がいつ死ぬかなんて分からない。もしかしたら……明日、僕はもういないかもしれない」
「だからこそ、限られた時間の中で……僕は夢を全部叶えたい。どんな代償を払ってでも」
「……蓮司くんなら、きっとできるよ」
美姫は優しく微笑み返した。これまでにないほど穏やかな眼差しだった。
それを見た蓮司は、美姫の方に体を向けながら尋ねる。
「じゃあ、美姫ちゃんは? 将来、何になりたいの?」
「わたし?……」
美姫は目を伏せ、自分の手のひらを見つめながら小さく答える。
「先生になりたかったんだ。小さい頃からずっと……でも、今の状態じゃ……無理かもしれないね」
彼女の声には、隠しきれない苦味が滲んでいた。
「そんなこと言わないでください」
蓮司は勢いよく起き上がり、美姫をまっすぐ見据えた。
「僕、約束します。いつか絶対……僕が美姫ちゃんの“はしご”になります。先生になるための、ね!」
「ふふっ……まずは病気を治してからにしようか」
美姫は小さく笑いながら、肩をすくめる。
そして今度は、雄平の方へ視線を向けた。
「で、雄平くんは? 将来、何になりたいの?」
「おいおい、聞くまでもないだろ」
雄平は自信満々に胸を張った。
「俺がどれだけゲームに真剣か、見てただろ? 当然、世界一のeスポーツプレイヤーに決まってる!」
「いつかは日本トップクラスのプロチームに入って、世界大会を荒らしてやるぜ!」
「じゃあ、その日を楽しみにしてますね」
蓮司は微笑んで答える。
「……うるせぇ! そういうの、わざわざ言わなくていいの!」
雄平は顔を赤くしながら怒鳴り返した。
美姫は吹き出しながら、手をひらひらと振った。
「もう、二人とも。ここは休憩室なんだから、ケンカしないの」
三人の賑やかな会話が続く中、部屋の隅に横たわっている達也だけは一言も発しなかった。
目を閉じたまま、まるで世界から切り離されたように沈黙を守っている。
その姿は、次の選抜に備えてすでに心身を整えつつある戦士そのものだった。