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不運

「よし、売上の精算は完了した。蓮司、お前は? 窓とブラインド、全部閉めたか?」

キムラ副店長はレジの引き出しを「カチャン」と閉じながら尋ねた。

「はい、閉めました。窓もブラインドも全部。外の音はほとんど聞こえませんよ」

「この店が閉まるところを見るのは、初めてか?」

キムラは口元に笑みを浮かべた。

「まあ、そうでしょう。何せ、コンビニってのは24時間営業だからな」

蓮司はふっと笑いながら、シャツの袖をまくった。

二人とも、今は私服に着替えて帰る準備を整えていた。

「さあ、帰ろうか。今日もお疲れさま」

「お疲れさまでした」

蓮司はキムラに軽く頭を下げ、バックヤードの方へと歩き出す。

その通路には日用品が並ぶ棚が続いていた。

キムラもすぐ後ろからついて行こうとした、まさにそのとき——

ガッシャーンッ!!

突如、血まみれの警官の体が自動ドアを突き破って店内へと吹き飛んできた。

ガラスが砕け散り、商品棚は倒れ、店内のネオンがチカチカと点滅し始める。

電線が断たれたのだろう。

蓮司は驚いて尻もちをつき、キムラは反射的にカウンター裏のタバコ棚の方へと身を隠した。

蓮司の瞳は大きく見開かれ、恐怖に凍りついて言葉も出なかった。

足は一歩も動かず、ただその光景を呆然と見つめる。

床に倒れた警官は、腹を巨大な爪にえぐられたような傷を負っており、

そこから飛び出した内臓を震える手で押さえようとしていた。

血の海に伏したその体は、苦悶に歪みながら、蓮司の足元へと手を伸ばしてくる——

蓮司は反射的に後ずさり、吐き気をこらえて唾を飲み込んだ。

店内は血の匂いで満ちていた。

「な、なんなんだよこれ……」

キムラの声も震えていた。恐怖と衝撃で目が見開かれたままだ。

そして次の瞬間——

店のドアが閉まりきらなかったことに気づく。

「……グルルゥオォォォォ——!」

狼の遠吠えのような、けれどどこか獣を超えた何かの咆哮が、

店の外から響いてきた。

「ブロォォォ……」

外から響いたのは、まるで狼の遠吠えのような、

いや、それ以上に異様でおぞましい咆哮だった。

その瞬間、蓮司とキムラは即座に察した。

ここにいてはマズい。何かが……来る。

キムラが最も近かったのは、店内にひとつだけあるトイレだった。

彼は迷わずその扉に飛び込み、すぐに鍵をかけた。

「キムラさん、開けてください! 一緒に入れてください、お願いです!」

蓮司は扉を叩きながら必死に叫ぶ。

「お願いです、キムラさん! 外に“あれ”が来ますよ! 開けてください!」

だが、返ってきた声は——絶望だった。

「……ごめんな、蓮司……」

扉の向こうから、キムラのかすれた声が響いた。震えていた。

「俺には……花子がいる。あの子には母親がいない。俺が死んだら……あの子はどうやって生きていけばいい……ごめん、本当に……すまない、蓮司……」

「……キムラさん……っ」

裏切られた。尊敬していた大人に、信じていた人に。

怒りと恐怖、失望と悲しみが一気に押し寄せ、

蓮司の目に涙がにじんだ。

そのとき、店内に低い唸り声が近づいてきた。

ヤツが……すぐ近くにいる。

逃げるなら今しかない。

だが、正面からは出られない。危険すぎる。

裏口へ——あそこなら出られるかもしれない。

だが、倒れた棚や商品が行く手を塞いでいた。

パリッ

菓子袋を踏む音がした瞬間、蓮司は即座に床に身を伏せた。

息を殺し、這いつくばって、棚の隙間を通り抜けていく。

店内の明かりはチカチカと断続的に点滅していた。

その暗さが、唯一の味方だった。

彼が這っている途中——

黒い毛並みの足

血まみれの巨大な獣の脚

それが目の前を通り過ぎた。

(……っ!)

蓮司は目を見開き、両手で口を塞いで声を殺す。

心臓が爆発しそうだった。

彼は少しずつ、音を立てずに動き、裏口へと向かっていった。

体は震え、呼吸は乱れ、

それでも必死に“生きたい”という本能だけで動き続けた。

ガリッ……!

その瞬間、耳元で聞こえた——

“あの獣”の歯ぎしりだ。

(やばい、気づかれた……!?)

けれどそのとき——

ゴホッ、ゴホッ!

トイレの中から咳払いの音が響いた。

……キムラさん。

獣の動きが止まった。

そして、ゆっくりとトイレの方へと歩き出していく。

蓮司は、それを見て決断した。

今しかない!

彼は棚の隙間から飛び出し、裏口へと走り出した!

物音に反応した獣が振り返る。

けれど蓮司は立ち止まらない!

冷蔵庫、ロッカー、什器を次々と倒して通路を塞ぎながら、外へ飛び出す。

裏口を抜け、蓮司は必死で走った。

自転車は、店の裏手の木陰に停めてあった。

「鍵……鍵……!」

コートのポケットを探る。手が震える。

カランッ!

鍵が落ちた。

「くそっ、くそっ……!」

焦りと恐怖で指がうまく動かない。

それでもなんとか鍵を拾い上げ、錠を開ける——

その瞬間、

視界の端に、肉片と臓器の山が広がっていた。

——警官、不良たち、そして通行人までも。

看板には、腕がぶら下がり、

血の海が駐車場を染めていた。

「う、うそだろ……こんなの……」

ドンッ!

振り向くと——

“あれ”が、来た。

三つの頭を持つ、巨大な黒い獣

その一つは蓮司をロックオンしていた。

「うわああああああっ!!」

蓮司は自転車に飛び乗り、急な坂を下る!

店は高台にある——それが唯一の救いだった。

風を切りながら、必死にペダルを踏む。

「どうすれば……どうすれば逃げられる!?

ミッドナイト部隊に連絡しないと……!」

恐怖で頭が真っ白になりかける中、彼は後ろをチラリと振り返る。

そこには——

人狼のような頭部

全身真っ黒な毛

赤く光る三対の目

3メートルはあるだろうか、その巨体が全速力で追ってくる!

(ま、間に合わないっ……!)

蓮司は決死の思いで、

住宅街の細い路地へと自転車を突っ込ませた。

「この路地なら……!」

電線が低く垂れ、道幅は人一人がやっと通れるほど。

奴には通れない——!

案の定、三つ首の化け物は、その路地に引っかかり、動きが鈍った。

(今だ! 今逃げるしかない!)

蓮司はペダルを踏み続ける。

やがて路地を抜け、自宅の前までたどり着いた。

ゼェ……ゼェ……

息を切らせながら、蓮司は家の前に辿り着いた。

自転車を降り、門の前に立つ。

だが——

足が止まった。

カーテン越しに見えたのは、

笑顔で踊る母と義父、そして弟だった。

暖かい電球の下、楽しげに肩を寄せ合っている。

(……僕が、いなければ)

そう思ってしまった。

自分さえいなければ、

あの光景が“日常”だったのかもしれないと。

蓮司はゆっくりと踵を返し、自転車にまたがった。

——彼がそこにいては、

彼らは“安全”ではないかもしれない。

そう思った。

彼は、近くの小さな公園へと向かった。

人気のないその場所で、ベンチに腰を下ろす。

心臓はまだドクドクと鳴っていた。

(……ミッドナイト部隊に連絡しよう)

スマホを取り出し、通報ダイヤルを押す。

「……はい、見ました。はっきりと。

まだ服に血がついてます」

『了解しました。すぐに隊員を派遣します。ご協力ありがとうございました』

「……お願いします」

通話を終え、スマホをしまう。

気が抜けた瞬間——

ぽろっ……と、涙が零れた。

「……どうして……」

止まらなかった。

嗚咽までは出ないが、ただ静かに、涙が流れ続けた。

怒り、恐怖、悲しみ、絶望……

全部が一度に押し寄せてきて、どうすることもできなかった。

「ノワールさん……外って、こんなに寒いんですね。

少しだけ……あなたが羨ましいかもしれない」

微笑みながら、自嘲のように呟いた。

どこにも行けない。帰る場所もない。

彼はただ、ここにいた。

誰かが“あの怪物”を倒してくれるまで。

もしそれが終わったら——

こっそり家に戻ろう。

誰にも知られずに。

けれど、あの家を“自分の家”と呼べる自信は、もうなかった。

“家族”の中に、自分はいない。

ただの“居候”みたいな存在だったのだ。

「……ホタルくんの家、行こうかな。

今メッセージ送れば、泊めてくれるかも」

その時——

グルルルル……オォォォ……!

聞き慣れた“あの声”が、すぐ近くから響いた。

「……また……?」

体が固まる。

振り向く暇もなかった。

右手の茂みから、三つ首の怪物が飛び出してきた。

「っ……!!」

避けきれない——!

本能がそう叫んだ。

蓮司は思わずしゃがみ込み、両腕で頭を抱える。

「やめろぉぉぉっ!!」

ギィィィン!!

金属音が、空気を裂いた。

蓮司がそっと目を開けると、そこには——

全身黒のスーツに身を包んだ男が立っていた。

仮面には、金色に光る「Ͷ」のマーク

胸には、同じ色の獅子のエンブレム

ミッドナイト部隊——!

男は片手に持った刀で、

三つ首の爪を受け止めていた。

「大丈夫か、坊主」

変声機越しに、落ち着いた声が響く。

「は、はいっ……!」

「よし、走れ! こいつは俺が引き受ける!」

「っ、わかりました!」

蓮司は立ち上がり、逃げる準備をする。

だが——

怪物の三つの頭のうち、二つが彼を睨んでいた。

逃がす気はない。

それが“本気”で伝わってきた。

そして——

怪物は公園の街灯を引き抜き、それを蓮司へと投げつけた!

「っ……!!」

その一撃を、誰も止められなかった。




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