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外の世界

これは、レンジがミッドナイト部隊の基地を出て初めての任務だった。コクメとして選ばれて以来、彼はずっと部隊内での訓練に明け暮れていた。

外部での任務に出るのは、簡単なことではない。すべてのコクメは、体内のクロモノ感染拡大を抑える薬を服用し、部隊指定の黒いマスクを厳重に装着しなければならなかった。

レンジのマスクには、反射素材で作られた青いクジラの尾が描かれており、彼が仲間たちと並んでワゴン車に座っていると、その模様が少しだけ覗いていた。

そして、その車を運転しているのは他でもない——訓練教官のハヤトだった。彼はロックミュージックを爆音で流しながら、車内全体をまるでコンサート会場のようにしていた。後部座席のコクメたちがどれだけうんざりしていようが、お構いなしだった。

「ロックが嫌いってわけじゃないですけど……もう少し音を下げてくれたら助かるんですが……」

オイダイラが前の座席から声を上げた。彼のマスクには、ひときわ目立つ反射仕様の雄牛の頭が描かれている。

「なんだって? よく聞こえねぇ! もう一回言ってみろ!」

ハヤトは振り返ってそう返したが、音量を下げる気配はまったくない。

「音が大きすぎるんです! これでも全力で叫んでるんですけど、聞こえてませんよね!」

オイダイラはスピーカーの轟音に負けじと、必死に声を張った。

「もっと大声で言えっての! マジで聞こえねぇからさ!」

——カチッ。

(それでは、今夜の天気予報をお伝えします……)

突然ロックが止まり、代わりにニュース番組の音声が流れ始めた。

ボタンを押してチャンネルを変えたのは——ミドルシートに座る女子コクメ、リンだった。彼女は、さっきから続いていた二人の怒鳴り合いに耐えかねたような顔で、手を伸ばしてラジオのボタンを押したのだ。

「たまにはニュースもいいですよね。最近、全然アップデートされてないですし……そう思いません? レンジくん、ミキちゃん」

リンは後部座席に目をやり、賛同を求めるような視線を送った。

レンジとミキは目を合わせてから、無言でうなずき返した。

「はいはい、ニュース聴きたいなら聴けばいいさ……」

ハヤトはぶつぶつ文句を言いながらも、音を戻すことはしなかった。

淡いピンクの狼の頭がデザインされたマスクをつけたリンは、自分の小さな勝利にほくそ笑んだ。

現在、コクメたちは皆、任務に出る準備を整えていた。

ヒロキはライオンの鼻とオレンジ色の瞳を描いたマスク、

ミキは緑色の蛇の目をモチーフにしたマスク、

そしてタツヤのマスクには、真紅の瞳を囲うように大きな翼があしらわれていた。

「……オレンジレベルのクロモノ感染者が第十四区域で確認されました。該当区域の住民の皆様には、安全のため自宅待機をお願いいたします。現在、関係機関が対応を進めております……」

ラジオから流れるアナウンスは、はっきりとした口調でそう伝えていた。

リンは眉をひそめ、周囲を見回しながら言った。

「聞いた? 感染者が見つかったみたいよ」

そして続けざまに言葉を継ぐ。

「第十四区域って、私たちがイエロークロモノを制圧しに行く場所の近くじゃなかった?」

「えっ……そんなに近いのか?」

レンジが少し驚いた声を上げた。

「じゃあ、どうすればいいの……?」

ミキが不安げな声でたずねる。

「命懸けの任務だってのに、運転はまるで日曜にスーパー行くオジサンレベルだな」

タツヤが不機嫌そうにぼそりと口を挟んだ。

「落ち着けっての」

ハヤト教官はまったく焦った様子もなく、ハンドルを握ったまま答える。

「メインの制圧部隊が既に現地を調査中だ。もし救援要請が来たり、感染者を確認したりすれば、ちゃんと情報がこっちに回ってくるさ。お前たちの出番じゃねぇよ、今はな」

一瞬だけ言葉を切ってから、淡々と続けた。

「まずは、自分の任務をちゃんとやれ」

「それで……今回の任務では、どんなクロモノ感染者を相手にするんですか?」

レンジは前を見ながら、ゆったりと運転を続ける教官に問いかけた。

「コクメのお前たちにとって、感染者と直接やり合うのはまだ荷が重い」

ハヤトは淡々と答えた。

「それに、そもそも俺の担当でもねぇしな。だから今回の任務は実戦じゃなくて、あくまで訓練レベルだ。お前らが向かうのは——ある小学校に現れた、クロモノに感染したウサギの処理だけだよ」

「ウサギ……ですか?」

ヒロキが怪訝な表情で聞き返す。

「クロモノの病気って……動物にも感染するんですか?」

「うん、そうだ」

ハヤトはうなずいた。

「外の世界の人間の多くは、この病気が人間だけに広がってると思い込んでる。けどな、本当は動物が発端なんだよ。感染の原因は——人間がクロモノに侵された肉を食ったからだ」

「そんな話、聞いたこともないな……」

ヒロキが小さくつぶやくように言った。

「そりゃそうだ。聞けるわけがねぇ」

カエルの頭を模したマスクの下から、ハヤトは苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。

その語気の強さに、車内のコクメたちは思わず黙り込む。

「世間には『普通に社会が回ってる』ように見せかけたいんだよ。だから本当の感染源なんて、絶対に公表できねぇ」

続けざまに、ハヤトは皮肉まじりの声で言う。

「経済への影響を恐れてるんだ。ペットが妙な症状を見せ始めても、奴らはただ俺たちを呼んで、こっそり処理させて、ニュースには『不治の病』だって報道させるだけ。……それだけで片付けちまうんだよ」

彼はため息をつきながら、さらに続けた。

「まぁ、動物の感染力は人間よりずっと低いから、対処しやすい分まだマシだがな……」

「ウサギくらいなら……そんなに難しくはない、ですよね」

オイダイラがそう呟きながら、窓の外へ目をやる。

「ウサギだと思って油断しないようにな」

ハヤトは振り向きざまに、真剣な声で釘を刺した。

「今日の昼に急遽この件の対応命令が下ったんだが、ちょうどお前たちの訓練時間と重なってたんでな。そのまま訓練任務に組み込むことにした。……まぁ、いいテストになるだろ」

ハヤトの言葉が終わると同時に、ワゴン車はゆっくりと減速し、ある小学校の前にある広場に停まった。

校舎の周囲は高いフェンスで囲まれており、制圧部隊の職員たちがすでに現場を掌握していた。出入口すべてに封鎖を施し、クロモノ化したと疑われるウサギが敷地外へ逃げ出さないように警戒を強めていた。

「ここが第十五区域だ」

ハヤトは車を降りると、6人のコクメたちを振り返り、目の前の校舎を指差した。

「この学校内に、クロモノへの変異が疑われる生命体がいる。お前たちの任務は……そいつを排除することだ」

レンジ、ミキ、オイダイラ、ヒロキ、リン、そしてタツヤ。

6人のコクメたちは整列し、目の前の教官からの指示を黙って聞いていた。

「時間は、今夜まるごと使っていい」

ハヤトは落ち着いた声でそう告げた。

「だからこそ、頭と勇気、そしてお前たち自身の力を最大限に使え」

そこで一拍置き、口調を強めた。

「今回の対象はイエロークロモノだ。……決して油断するなよ」

「えっと……教官は、今夜ずっと僕たちと一緒にいてくれるんですか?」

オイダイラが訊ねつつ、暗闇に沈む校舎へと目を向けた。

「俺かい?」

ハヤトは自分を指差しながら肩をすくめた。

「悪いけどな、最近の俺、けっこう人気者でね——夜の予定がパンパンなんだよ」

「……人気者?」

ミキが首を傾げ、戸惑ったように訊ねた。

「どうして人気者なんですか? どうして皆さん、教官を欲しがるんですか?」

ハヤトはふうっと小さくため息をつき、明らかに疲れた様子で答えた。

「俺はコクメじゃないんだよ……。お前たちみたいに夜はぐっすり寝て、朝起きて訓練受けて、なんて生活はしてねぇ。

少なく見積もっても、俺は毎日3〜4件の実戦案件を担当してる。戻ってこれるのは、早くて朝方ってとこさ」

「……それ、相当ハードですね」

リンがぽつりと、同情するように呟いた。

「仕方ないですよ、これが仕事ですから」

ハヤトはそう言いながら、ズボンのポケットに手を入れた。

彼が取り出したのは、小型の通信機だった。

「任務中は、お前たちの様子をずっと見てる時間はないかもしれない。だから、あらかじめ謝っとく。

もし予想外のトラブルが起きたり、任務が完了したら——これで連絡してくれ」

そう言って、彼は前に立つコクメに通信機を手渡した。

それを受け取ったのはヒロキだった。

「えっ……教官、僕たちと一緒にいないんですか……?」

オイダイラが不安そうな声で問いかける。視線は、まるで廃墟のように真っ暗な小学校の建物へと向いていた。

「チームで動けば、何も怖がることはないさ」

ハヤトはそう言って、レンジの方へ頷いた。

「それとレンジさん……持ってきた武器、しっかり活用してくれることを期待してますよ」

そう言い終えると、教官はさっさと車に乗り込み、迷いなくワゴンを走らせて学校前の広場から去っていった。

夜風が吹く中、コクメたちはその場にぽつんと取り残された。

レンジは去っていく車を見送りながら、重たい装備の肩紐を直しつつぼやいた。

「こんな能力、正直しんどいな……他のみんなみたいに、身軽でいられたらよかったのに」

彼の能力は、血液を弾丸へと変換するもの——そのためには、様々な種類の銃を常に携帯しておく必要があった。

スナイパーライフル、ハンドガン、ショットガン……それらを隠すため、彼はロングコートを羽織っていた。

「……重いっての、まったく。はぁ」

「さてと……これから、どうする?」

ヒロキが小さくため息をつきながら、夜中の小学校に仲間だけを残していった教官の行動に首を横に振った。

「たぶん……与えられた任務を遂行するだけ、ですよね」

レンジが、無人の校舎を見つめながら答える。

「じゃあ、任務を始めるとして……誰が先頭を歩くの……? ここ、小学校だよ? しかも夜中だよ?

……みんな知ってるじゃん、小学校ってさ……絶対に、なんか出る……」

オイダイラの声はだんだん小さくなっていき、やがて沈黙へと変わった。

なぜなら、仲間たち全員の視線が一斉に彼に向けられていたからだ。

「……ねぇ、オイダイラくん。自分がチームのどんな役割だったか、忘れたわけじゃないよね?」

リンが淡々とした声で言った。

「……タンク役、です……」

オイダイラは泣き出しそうな顔で目を伏せた。

「でも今日は……今日だけは、無理かも……別の日じゃ、だめですか……?」

「だーめっ」

リンは即答し、オイダイラの肩をつかんでぐいっと振り向かせ、正面の校門に向かってぐいぐいと押していった。

「俺は学校の裏手を見てくる」

タツヤがそう短く言い残し、誰の同意も待たずに暗がりの中へと姿を消していった。

ヒロキはその背中をしばらく見つめていたが、やがてレンジのそばへ歩み寄り、ひそひそ声で囁いた。

「レンジ、君は後衛だよな? だったらさ……ちょっとタツヤを追ってくれないか。

護衛としてもそうだけど、あいつの様子を見ておいてほしい。なんかこう……怪しい気がしてならないんだ」

「うん、わかった」

レンジは淡々と答えた。

「じゃあ、そういうことで。君はタツヤと一緒に。俺はオイダイラくんたちと動く」

「了解」

任務の割り振りを受けたレンジは、それ以上何も言わず、静かにその場を離れた。

彼が闇の中へと足を踏み入れたそのとき——

ミキは仲間とともに立ち止まったまま、その背中をどこか不安げな眼差しで見送っていた。

タツヤの向かった先は、校舎裏にある「ウサギ小屋」だった。

彼は真っ直ぐそこへ歩いていき、慎重に体をかがめて中へと入り込んだ。

そこで目にしたのは——

数えきれないほどのウサギの死体だった。

小屋の中は血の跡と、金網に残された引き裂かれたような痕で覆われていた。

その傷跡は、普通のウサギがつけたとは到底思えない大きさだった。

ちょうどそのとき、レンジが後を追ってやってきた。

彼の目には、タツヤが足跡や地面の乱れを調べている姿が映っていた。

レンジはバッグから懐中電灯を取り出してスイッチを入れ、タツヤの視線の先を照らした。

「何か手がかりがあるといいけどな」

レンジはそう言いながら、ライトを少し高く掲げた。

その光に反応するように、タツヤはふと動きを止め、顔を上げてこちらを見た。

そして、淡々とした口調で問いかける。

「……誰の指示で俺を追ってきた?」

彼は一瞬だけ黙り込んだあと、小さくため息をついて言った。

「……あのヒロキか」

「……誰かに頼まれてついてきたかどうかなんて……そんなの、どうでもいいさ」

レンジは懐中電灯の光の中でじっと立ちながら言った。

「この任務はチームでの行動だ。それだけで、君についてくる理由としては十分だろ」

「フン……俺みたいな奴に、助けなんて必要ないさ」

タツヤは冷ややかに言い放った。その声には明らかに見下すような響きがあった。

「お前が助けに来たつもりかどうか知らないけど……足手まといにならないことを祈るよ」

だが、その言葉にレンジは動じなかった。

しばらく黙っていたが、やがて力強い声で答えた。

「君の足を引っ張るつもりはない。……それは約束する」

レンジはまっすぐにタツヤを見つめた。

「近くにいるのが邪魔だって言うなら……狙撃手として適切な距離を取って動くよ」

タツヤは彼をちらりと一瞥しただけで、ふっとため息をつくと視線を地面へ戻し、足元の足跡に再び意識を向けた。

「好きにしろよ。どうせ俺は口数多い方じゃないしな」

レンジはそれ以上返事をせず、ただ静かに足元に視線を落とし、再び懐中電灯を灯して調査を始めた。

タツヤが近接戦に長けていることは、彼もよく知っている。

そして、自分がその真逆の存在であることも——

近接戦は苦手だ。だが、それでも——

いつか自分の弱点を、強みに変えるために。彼は、今を全力で戦うと決めていた。

光が地面を這っていくなかで、レンジの目が何かを捉えた。

「……ん?」

そこには、二つだけだったはずのウサギの足跡が、四つに増えていた。

「えっ……この足跡、なんか変じゃないか……?」

レンジは眉をひそめながらつぶやいた。

「……ああ、俺もそう思ってた」

タツヤが低い声で返す。

「可能性は二つ。ひとつは、あの化け物が変異して四足になった……

もうひとつは、そもそも最初から一匹じゃなかったってことだ」

彼は間を置いてから、淡々と続けた。

「……もしかしたら二匹、いや……三匹って可能性もあるな」

「三匹……?」

レンジは思わずその言葉を繰り返した。信じがたい、という声色だった。

彼は視線を足跡の先へと送った。

そして懐中電灯の光が、ひび割れた校舎の窓を照らし出したとき——答えはそこにあった。

足跡は、校舎の裏から建物の中へと続いていた。

「マジかよ……あいつら……」

レンジはタツヤの顔を見た。互いに、同じ結論にたどり着いていた。

もう言葉は必要なかった。

二人は同時に走り出した。

目指すは、仲間たちがいる校舎の中——

全速力で。



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