後編
その後、思いもしない方向へ事態は加速していった。
学園内が私とルリアの純愛を応援する派と、貴族の慣習や序列を厳守するべき派に分かれて対立するようになった。
私とルリアが恋仲という前提で話が進むのも悩ましい話だが、私にとって不快なことは、貴族の慣習を守るべきと声高に叫ぶ者達の多くが、結果的に母上を冷遇した家の者ばかりだったことだ。
これはあらゆる意味で北部最大のクレイル公爵家のアーシエルがその派閥の中心となっているため、北部や規律を重んじる東部の貴族が多く集まったことによる偶然ではあったが、私からすればどの口が……としか思えない。
そうして私は自分が義母と兄上を支持する北部に嫌悪感を抱いていることを初めて自覚した。
このまま母上を追い詰めた北部に婿入りして、アーシエルの影にされながら、国や兄上や北部のために一生を費やすのか。
王になりたいなどとは思わない。
だが、私達親子に優しくなかったこの国のために、どうしてそこまで私がすり減らされなければならない。
嫌だ。ーー嫌だ!
気付いてしまえばもう自分を誤魔化すのは無理だった。
ルリアへの態度を理由にアーシエルを避け、アーシエルの傲慢さを懸念するような事を口にするようになった。
アーシエルが学園にルリアの休学を願い出たのを手を回して曲解されるように仕向け、衆人環視の最中で婚約破棄を宣言した。
本当の意味ではアーシエルが悪い訳では無いのは分かっていたが、鬱屈した気持ちは吐き出す先を見付けて止まれなかった。
彼女が悪いのだから石を投げても良いと思えば、罪悪感を感じながらも、仄暗い喜びと共にすぅっと気持ちが晴れる気がした。
婚約破棄を撤回するには騒動が大きくなりすぎた上に、アーシエルを庇えば過去の義母と父上の不義とも言える事件を掘り返すことになる。
結局、私の思惑通りアーシエルとの婚約は破棄され、アーシエルは王都を去ることになった。
アーシエルが王都を去った後、父上に呼び出された私は、謁見の間で膝を付いて顔を伏せていた。
「…何か申し開きはあるか?」
頭上から重く響く声に、いいえ何も、と静かに答える。
不満は数多くあったが、この人に言い立てるのは今更なことだ。
何らかの処分を受ける事は覚悟の上だった。
「ルミエラもいつも同じように言っていた。
不満がなかった訳ではないだろうに、それを人に打ち明ける事が出来ない人だった」
久しぶりに聞いた母上の名前に思わず顔を上げると、疲れ切ったような顔をした父上が眉間を指で揉んでいた。
「唐突に衝動的になってしまうのは私譲りか。
親の厄介な所ばかり引き継がせてしまったな」
「ーーいいえ。全ては私の不徳の致す所です」
てっきり頭ごなしに処分を言い渡されると思っていたので、後悔を感じさせる様子に戸惑いながら再び頭を下げる。
「貴方は父親だと言うのに何をしていたのだと、ウィルミーネに叱られた。
憎い義母にあれこれと口出しされるのは嫌だろうと遠慮していたがもう我慢ならん、きちんと話し合いができるまで王妃の部屋は出入り禁止だと」
どちらかといえばおっとりという印象の義母の言葉に驚いて再び顔を上げると、父上は苦笑してため息を付く。
「サミュエルも一緒に叱られていた。
兄弟とはどんな時も支え合うべきものだ、現に姉は実家から苦言を貰っても妹の子である貴方を支えてくれているというのに、貴方も何をしていたのだと。
サミュエルは自分が出ていくと余計に捻くれるだけだったと不満そうだったがな」
それはそうだっただろうと、想像して自分の眉間にもシワが寄る。
兄上が出てきたら、私は余計に反発を強めただろうと確信出来る。
「ーー私がウィルミーネを諦められていれば良かったのだろうが、どうしても出来なかった。
親の因果を子に報いさせてしまった」
言い訳だと思った。
けれど同時に、時に理屈では心はどうすることもできない事があることも、私はもう知ってしまっている。
「沙汰を告げる。
通常の婚約破棄の賠償以上にクレイル公爵家からフィリスを弾劾しない代わりに、アーシエルの当主継承を認める事になった。
あの子は誰かを支えるのではなく、自分の足で歩く事を選んだようだ」
「ーーそれは…!」
この国に女性継承権がない訳では無いが、実質は後継ぎとなる男子が幼い場合の中継ぎでしかない。
大々的に、しかも筆頭公爵家の女性継承を認めたとなれば、また王家…父上に非難が集中するだろう。
呆然と父上を見上げる私の元へ、何かを持ち上げて立ち上がった父上が、ゆっくりと階段を下りてくる。
「頼りなく情けない父だが、それくらいは共に背負わせてくれ。
それでもまったくお前を罰しない訳にはいかないだろうが……」
アーシエルから預かったと渡された包みを、促されて開けると何かの本と手紙が入っていた。
『貴方が拾い上げた手が、貴方に傷付けられた私を癒しました。
だから私も貴方を赦してみようと思います。
二度とお会いしたくありませんが、貴方がどこかで自由に生きていけることを祈ります』
一緒に入っていたのは外国の珍しい薬草について書かれた図鑑だった。
鼻の奥にふわりと蜂蜜と薬草の香りが蘇ったような気がする。
「……ッ!」
アーシエルは私が本当は何を望んでいたのか、私より知っていたのかもしれない。
そう思えば、情けなさと申し訳なさに涙が溢れた。
知っていた。
彼女はただ、まっすぐに努力していただけだと。
ちっぽけなプライドを後生大事に抱えて捨てられなくて、苦しいと言う事さえ出来なかった自分の八つ当たりでしかなかったと。
でもそれを認めてしまえば、才能がない出来ない自分が悪いという結論しかなくなる。
置いていかれたくなかった。
道具ではなく、王族としての才能がなくとも愛してほしかった。
「ーーすまない。すまなかった…」
歯を食いしばって泣く私に戸惑いながら、父上が私の肩を抱いて顔を伏せる。
震える声で謝る父上に子どものように縋り付いて、そのまましばらく二人で泣いていた。
その後、私は王族籍を抜けて、私を引き取る事を子爵家の罰とした形でルリアの子爵家に婿入りすることになった。
ルリアを愛しているかと言えば分からないが、私の都合に巻き込んでしまったルリアに少しでも報いたいと思った。
父上とはめったに会うことは出来なくなったが、年に何度か決まった時期に手紙をやり取りしている。
義母や兄上も含め、そう簡単に仲良くというわけには行かないが、物理的に距離を置けば鬱屈した気持ちはだいぶ和らいだ。
私の側近だった者達は平民落ちになった者もいたが、一部は子爵家で雇い入れることが出来た。
今は護衛だったり、西部の伝手を頼って子爵家の財政に貢献してくれたりしている。
アーシエルは数年後に、功績が積み上がるのを待って爵位を継承した。
もちろん反対や反発は強かったが、実力で捻じ伏せたのはさすがだった。
及ばずながら我が子爵家も彼女の擁護に回ったりもした。
外国の珍しい薬を主に輸入するようになっていた私が、敵対勢力への売り渋りをしたのは多少の助けになっただろうか。
執務室の窓からふと空を見上げる。
雨上がりの晴れた空を、祝福するように虹がかかっていた。
人生万事塞翁が馬。
良くも悪くも因果は廻る。
あとは能力至上主義の欠陥とかプライドってものの厄介さとかごちゃ混ぜ詰め込んだので、読みにくかったらごめんなさい。
最後まで読了ありがとうございました。