『最後の対決』
時は流れ一月末、プロ野球のキャンプ前、東京スターズ入りする風間幸太郎が母校・伊賀中央高校に顔を出した。この日が彼が高校に通う実質的に最後の日で、野球部員は記念にユニフォーム姿でグラウンドに集まった。甲子園優勝という偉業を達成しながらも、後に続く部員がいない為、この日は部の解散日でもあった。雨雪は降っていないものの、気温は低く、冬らしい曇天の午後であった。
「風間、世話になったな。プロでも頑張れよ」
「俺達が甲子園出場はともかく、優勝までするとはな」
「お前のお陰で命が繋がっただや」
伊賀者達は幸太郎に感謝と労いの言葉を掛ける。これを受け、幸太郎の表情も和んでいた。
「前にも言ったが、それはお互い様さ。俺一人では決して達成出来なかったし、お前達が命懸けで戦ってくれた賜物だ」
この三年間を振り返ると、とても当初いがみ合っていたとは思えない光景であった。そんな中、この輪に一人加わらない者がいた。誰あろう、剣蔵だ。
「服部……」
離れて佇む剣蔵に近寄り、声を掛ける幸太郎。
「あ、ああ……頑張れよ、風間」
剣蔵は気持ちが入っていない様子だ。
「俺の事はいい。お前、どうするんだ」
「どうするって……何がだ?」
「ドラフトで大阪ナンバーズに指名されただろう、お前は行かないのか」
剣蔵は球団から挨拶は受けたものの、まだ返事をしていないのであった。
「さあな……」
「気のない返事だな。あの燃えるようなお前は何処に行ったんだ。燃え尽き症候群か」
「うっせえな。こういう時もあるさ」
剣蔵は不貞腐れた顔をする。
「そうか。あまり気が乗ってないところすまんが、俺から一つ頼みたい事があるんだ」
「頼み? お前が俺にか?」
「うむ。俺と最後に一打席勝負してくれ」
「何っ?」
思いも寄らぬ誘いに剣蔵は驚いていた。
「俺にとってこの三年間の始まりはお前との対決だった。ここを去るにあたり、最後にもう一度お前と対決したい。まさか甲子園決勝のアレで勝ったつもりじゃないだろうな」
幸太郎は鋭い目で挑発する。
「……面白え。やってやるぜ」
剣蔵の瞳に輝きが戻った。対戦を受諾すると、彼はグラブを取りにベンチへ向かった。
「久々に見ただや、あんな剣蔵は」
「修業はしていたが、甲子園以降、目標を見失っているような感じだったからな。やはり風間は剣蔵を燃え上がらせる特別な相手のようだ」
伊賀者達も二人の様子を見て、感じ入るものがあるようだった。
サード以外が全員守りに就き、剣蔵もマウンドに上がった。
「服部、最近投げているのか」
打席に入った幸太郎が声を掛ける。
「お遊び程度にはな。腕は落ちてねえ筈だ」
「確かに体格は夏より一回り大きくなっているな。とはいえ、寒いからいきなり飛ばすなよ」
幸太郎の指摘通り、剣蔵の上半身は以前に比べて筋肉の張りが増していた。
「そんなにヤワじゃねえ。甲子園以後、修業は積んでるし、今朝も身体は動かしている」
「ならば、遠慮はいらんな」
「勿論だ」
幸太郎は打席の中で足場を整え、構えに入る。
「風間もデカくなったんじゃないか」
剣蔵の投球練習を受けながら、キャッチャー学が尋ねる。元々鋼のような身体付きをしていた幸太郎だが、それが夏に比べて胸板や尻がさらに太く厚くなっていた。
「自主トレしているからな。高校生レベルのままじゃ通用しないだろ」
「そうか」
言葉を交わしながら剣蔵は数球を投げ込み、いよいよ対決の時を迎えた。
「ルールだが、一打席勝負でいこう。判定は真田に任せる。サードはいないが、ヒットかどうかくらいはわかるだろう」
「サードはいるぜ」
ちゃっかり四つ子の四人目・紫太が守備に就いていた。
「そうだったな」
苦笑する幸太郎。
「ルールはお前の言った通りでいいぜ」
剣蔵が応える。
「ならば何でもありでやろう。忍法でも何でも使うがいい」
「へっ、どうせ全部封じられるんだろうが、どっこい、こちとらそれを打ち破った前例があるんだからな」
「わかっている。それも含めての勝負だ。だが、今日は大観衆もいないから、甲子園の時のようにはいかんぞ」
「最初からプレッシャー掛けてくるかよ。いいだろう、どんな手を使ってもお前を倒す!」
剣蔵の強気の宣言で対決が始まった。初球、ボールになる外角への逃げるカーブで、幸太郎はこれを見送る。捕球した学が「ボール」と判定する。
「さすがにこんな手には引っ掛からんか」
剣蔵は苦笑い。
「今のを打ったら凡打になるからな」
「へへっ。この感じ、思い出して来たぜ。そうだよ、投手として、打者のお前を倒す事は俺の目標の一つだったんだ。ここでそれを達成させてもらうぜ」
「最後まで俺の勝ちでプロへ行かせてもらうさ」
「いや、勝つのは俺だ。俺に負けたままプロへ送ってやるぜ」
言い合いの後、次の一球は剣蔵お得意の殺人シュート。ストライクゾーンをよぎりながらも相手の体を抉りに行くえげつない球だ。幸太郎は球が体へ届く前に強振。バットにしっかり当たったかと思われたが、球の威力が勝ったか、後方へのファールとなった。
「球威が増したんじゃないか」
「修業はしてるって言ったろ」
「なるほど、夏から更にパワーアップしていると見た方が良さそうだな。だが、それは俺も同じだ」
「わかるぜ、体格もプレッシャーも増してやがるからな」
剣蔵も幸太郎のさらなる成長ぶりは実感していた。
「だが、想定内だ。元々、俺はお前を過小評価していないしな」
次の一球は何と甲賀誠児が使用した三日月カーブ。ファールグラウンドまで出たボールが急激に曲がってストライクゾーンに入ってくる。甲子園では幸太郎により封じられたが、今回は完璧に投じられている。
「投げられた事には少々驚いたが……、この球は攻略済みだ」
幸太郎のバットはボールを点で捉えた。快音が響いたが、一塁線を切れるファールになった。剣蔵の記憶にはないかも知れないが、幸太郎は時任に巻き戻される前の時間では三日月カーブをホームランしているのだ。
「あぶねぇ……。だが、いきなりヒットには出来んと思ったぜ」
「ミートしたつもりだったが、甲賀の球よりキレがあったか……」
幸太郎は打ち損じた自分のバットを見る。
「それより剣蔵、よく三日月カーブを放ったな。甲子園決勝では風間に阻まれて、投げられなかった筈だが」
キャッチャー学が少し驚いた顔で尋ねる。
「当たり前よ。こんなの忍法でも何でもねえ。甲子園でその線引きは出来た」
剣蔵は胸を張る。幸太郎はその様子を見て、
「なるほどな……忍の極意は相手の心の持ちようを試す技でもある。服部は忍法とそうでない投球の線引きを自分の中でしていると見える。奴の心が強い証だろう」
と分析した。
「心か……伊達に鍛えてねえんだよ」
剣蔵はこの対決を通して己の成長を感じていた。今までならば、幸太郎には全く通じていなかったのだ。それがこの二球、当てられているとはいえ、快打を許していない。
「さすがに甲子園で優勝する投手だけの事はあるか」
幸太郎も一層表情を厳しくして、剣蔵を見据えた。
「それならこいつはどうだっ」
ここで剣蔵は分身投法。これも忍の極意をかいくぐり、しっかりと発動した。
「くっ……分身か」
幸太郎は何とかカットした。分身の効果もさることながら、球にもキレがあった。
「どうやら分身も問題ねえな」
剣蔵は笑みを浮かべて、分身を続けるが、幸太郎のバットは対応する。前後に飛ぶファールが三球続いた。
「ちっ……分身じゃ仕留められねえか……」
そこから剣蔵は変則投法を駆使して打ち取らんと工夫を重ねたが、どうしてもバットは空を切らない。ただし、幸太郎も快打出来ているとは言えず、一進一退の攻防が続いた。剣蔵は間違いなく進化していた。
「さすがだな。容易に打ち取らせてくれねえ」
「お前もだ。ここまで力を付けているとは予想外だった」
「まだ、全てじゃねえ。俺の本当の成長を見せてやるぜ」
宣言すると、剣蔵は印を唱え始める。そして、投球モーションに入った。
「あくまで忍法で来るつもりか……。だが、妙な真似はさせん」
「うるせえ。行くぜ。ぬおおおっ」
勝負の一球、剣蔵は吠えながら大きく振りかぶると、相手に背中を見せ、昔の日本人大リーガーを彷彿させるトルネード投法で投げ込む。外角低め、ストライクゾーンに掛かる直球で、幸太郎は打ちに行く。確かにバットは真芯でボールを捉えたかに見えたが、何とそのバットの先端が木っ端微塵になり、ボールは学のミットに収まった。
「何という球威だ……」
折れたバットを手に呆然とする幸太郎。
「よっしゃ。ついに打ち取ったぞ!」
対して剣蔵はマウンド上で歓喜の雄叫びを揚げていた。その様子は甲子園優勝の時よりもさらに嬉しそうであった。守備に就いていた伊賀者達も駆け寄る。
「やったな」
「ついに風間を三振に取ったな」
「さすが剣蔵だや」
皆が打倒幸太郎を成し遂げた剣蔵を賞賛する。その輪に幸太郎も近寄って来た。
「負けたよ。まさか正攻法で来るとはな」
「お前に勝つには技じゃねえ、力しかないってな」
「球の威力自体はもちろんだが、その前に色々と工夫して投げてきたのがカモフラージュになっていた。最後も忍法で何かしてくるのではという頭があったところに、あの剛球だ。投球術も見事だった」
「たまたまよ。これまで何回負けたと思ってんだ」
剣蔵の中にもいつしか素直に幸太郎を認める気持ちが芽生えていた。一回勝ったとはいえ、完全に勝ったとは言えない事も承知していた。
「だな。これは何百戦の内の一敗でしかない。だが、今ので改めてお前の力を確認出来たよ。服部、プロに来い。俺と何度でも勝負だ」
幸太郎は鋭い眼差しで見つめてくる。剣蔵はその視線を避け、背を向けた。
「俺がこの三年間で見つけた最高のライバルがお前だ。お前がいなければ俺は甲子園もプロへ行く事も出来なかっただろう」
幸太郎の口から最大級の賛辞が出て、伊賀者は皆、驚きの眼差しで二人を見た。剣蔵はしばらく沈黙していたが、
「ちっ、俺だってそうだ。認めたかないが、お前がいたから大願成就出来た。そんなのわかってるんだ」
と悔しげな顔をして幸太郎の言葉を肯定する。
「そんな言葉がお前から出るとはな」
「決めたぜ。俺もプロへ行く。何度でもお前に勝ってやらあ」
「おお、剣蔵!」
伊賀者達が沸き立った。
「その言葉を待っていたよ」
幸太郎が手を差し出してきた。しかし、剣蔵はその手を叩き、弾いた。
「これから敵となる奴に握手なんか出来るか」
「お前らしいな」
「風間、お前、いつだったか、忍びの宿命って言ったよな。こうしてまた戦ってみて、今わかった。宿命……それは俺とお前が対決する事だ!」
「宿命か……。確かにここで俺達が出会った事が宿命だったのかも知れんな」
幸太郎も剣蔵の言葉を受け止め、頷いた。
「俺がプロに行くからは覚悟しておけよ。お前には絶対に打たせない」
「ふっ。ただし、俺に忍法は通じないがな」
「それもわかんねえぞ。甲子園の決勝しかり、さっき野球で、力で打ち取った事もしかり。お前程の術者でも、精神を乱されればこういう結果になる。今の対決で、忍の極意を破る光が見えたぜ。いずれ忍法でもお前を倒す。じいちゃんにも風魔の小倅に負けてるんじゃないって言われたしな」
「萬蔵翁がそんな事を……。だが、お前ならやりかねんな。今だから言うが、甲子園決勝で忍の極意を破られたのには肝を冷やした。あの時、はっきりお前に追い付かれたと感じたよ……」
「そんな事考えてやがったのか……」
「だから、俺もお前に負けまいと意地になる。そして、そんな相手と全力で戦い、倒すのが俺の一番充実した時なんだ」
「わかるぜ。そりゃ俺も同じだからな」
剣蔵は首を縦に振る。よく仲間にも指摘される通り、強敵と戦う事に喜びを見出すのは幸太郎と剣蔵の共通点だ。
「だよな。そんな俺達だから、何度対戦したって楽しいんだ」
「そうだな。そこは否定しねえぜ」
お互いが見つめ合う。いや、見つめ合うというよりは睨み合う感じで、瞬間的に火花でも散りそうな闘志と殺気が渦巻いた。程なく幸太郎が視線を外した。
「では、服部、プロの舞台でまた会おう」
「ああ」
「それじゃあな……」
幸太郎は背を向け、皆に手を挙げて去って行った。二人の有望な忍者の新たな門出を祝うかのように、伊賀の冬に似つかわしくない陽光がグラウンドを照らしていた。




