『邪道甲子園』
「ここまで来たら勝ちたいな」
迎えた甲子園決勝、試合開始前のベンチ裏で学が呟く。
「勝ちたいじゃなくて勝つんだ。俺達ならいける」
強い口調で幸太郎が言う。その様子に全員が目を見張る。
「そうだな。風間の言う通りだ」
才之助が頷く。
「やるだや」
「勝つぞぉ~っ」
猿飛と太が続き、
「ここは」「勝つしか」「ない!」
三つ子も意気込みを見せる。そして皆は一人だけ何も言わない剣蔵を見た。
「ん? 何だよ」
剣蔵はまるで意に介してない風で素知らぬ顔をする。
「剣蔵、正真正銘最後の一戦だぜ。伊賀の跡継ぎとして、気合いの一つでも入れて見せろよ」
皆が剣蔵の物言いに注目する。
「俺に言葉なんて期待すんなよ」
剣蔵は照れた素振りを見せるが、皆はまだじーっとその顔を見ている。
「ちっ、仕方ねえな……。やるぞ。勝って終わらなきゃ気分悪いだろ。ここは絶対勝つ」
「お、言えたじゃん」
「剣蔵にしては良いセリフだや」
皆、応答よりも、剣蔵の言葉の解説をしている。剣蔵はそれを見て苛立って、
「ばっきゃろう。ここは、おう!とか言えよ」
と語気を強めた。
「おう」
「お~う」
「おうだや」
まばらに返事が行き交う。その様子がおかしくて皆が笑う。
「どうしようもねえ奴らだなぁ……。ま、しかし、俺達らしいか」
剣蔵は納得したように頷く。皆も同様に頷き、笑みを浮かべ続けている。
「よし、最後だ。勝って終わるぞ」
学が改めて気合いを入れると、
「おおっしゃあ~」
全員の息が合い、天に腕を突き上げるのだった。
猛烈な日差しの下、開始された決勝戦は、愛知県代表・名光学園との対戦となった。甲子園出場回数が二十回を超える名門で、今大会の優勝候補の一角に挙げられていた強豪に、伊賀中央高校は堂々とした戦い振りを見せた。初回、猿飛が快足を活かしたバントヒットで出塁すると、四番の幸太郎が相手エースの決め球を完璧に捉え、バックスクリーンに叩き込んだ。既に本大会でも六本のホームランを打ち大活躍の幸太郎だが、決勝という大舞台でのこの一発は観客の度肝を抜いた。
「あいつ、やっぱりすげえな」
「こんな大舞台でもまるでプレッシャーを感じてないだや」
味方の伊賀者も感心するばかり。
「まあそれは俺達も一緒だが、相手のベストショットを打ち砕くあたりがあいつらしい」
「さすが風魔小太郎と言うべきか……」
この幸太郎の一発に剣蔵が燃えない訳がない。反発心から、快投で大観衆を沸かせる。忍投は出来ないものの、変化球と百四十キロ台後半の直球を駆使して、強打を誇る名光学園に的を絞らせなかった。普通の投球でここまでの力を見せ付けるあたり、まさに全国クラスの投手に成長した証である。五回までを死球と内野安打のみで、ほぼ完璧に相手を封じ込めていた。
剣蔵の好投に打線も応えた。四回に迎えた二度目の幸太郎の打席は、投手がやや逃げ気味の四球となったが、続く才之助が右中間を破る三塁打で加点。さらに三つ子が相手投手を揺さぶってミスを誘い、ワイルドピッチで4対0とした。
剣蔵は六回に失投で七番に一発を浴び、4対1となったものの、引き摺る事無く、以降も丁寧なピッチングを続けた。相手も様々な揺さぶりを掛けてきたが、まるで動じず、己れのピッチング―忍法を使っていないのでこの言い方は語弊があるかも知れないが―を貫き通した。特にコントロールと変化球のキレが素晴らしく、相手はことごとく打ち損じや見逃し三振をする始末。名光学園の四番・堂島はドラフト候補にも挙がっている強打者だが、彼ですら剣蔵の前に沈黙し、三打席連続三振を喫した。
そして九回表にまたも幸太郎の特大ホームランが飛び出し、5対1と点差を広げた。これも相手の球は決して失投ではなく、外角低めの難しい球をすくい上げるように打ち、ライトスタンドまで運んだのであった。大歓声で球場内が唸るような轟音を揚げる。
「あんにゃろう……何処までも気に食わねえ野郎だぜ」
力を見せ付けられた剣蔵は思わず舌打ちをする。しかし、これで彼の闘志に火が付いたのは間違いない。
九回裏、4点のリードを得た剣蔵は、鬼気迫るピッチングで二番・三番を連続三振に仕留めた。ここまでの球数は百三十球を超えていたが、疲れを見せる様子もない。あと一人という事もあってか、内野陣がマウンドに集まってきた。
「剣蔵、最後だ。四番だが、ここで仕留めるぞ」
学が強気の言葉を吐く。
「おう。最後は絶対三振だ。お前に負けてられっかよ」
剣蔵は右側に立つ幸太郎にグラブを突き付ける。
「ふっ。へばっている様子もないし、その意気なら問題ないな。頼むぞ」
幸太郎は軽く笑みを浮かべて言うと、サードへ戻って行った。
「カッコつけやがって。見てろ風間、最後は俺が勝つ」
剣蔵がその背中に向かって力強く言い放つと、
「こんな場面で何を風間に敵対心剥き出しになってるんだ。相手は敵の四番・堂島だろ」
「変な意地っ張りがまた始まっただや」
「しっかり頼むぞ、剣蔵」
皆が呆れ顔をして、注意する。しかし、剣蔵はお構いなしで、
「いいから、散れ」
と皆を守備位置に戻すのだった。
「見てろよ……」
マウンド上で一呼吸した剣蔵は、今一度幸太郎を睨む。疲労感はさほどでもないようだが、猛暑にさらされ、大量に汗を掻いていた。その剣蔵を観客の大歓声が包む。九回裏のツーアウトまで来ている事もあり、球場内の盛り上がりも最高潮であった。
注目の初球、剣蔵は何と背中側から腕を回した背面投げを敢行。コースも甘かったが、意表を突かれた堂島は手が出ずワンストライク。この重要な場面での奇手に、場内がさらに沸く。
「こんなもんじゃねーぞ」
二球目は速球が相手のバット目掛けて行く。これまでにも何度か見せた、相手に振らせずバットを狙うボールだ。堂島は身体に向かって来ると思ったのか、必死に避けようとするが、ボールはそのバットを追跡し、ファールをもぎ取った。頭を下げる剣蔵だが、無論、これは演技だ。
「お膳立ては完了した……、行くぞ風間ぁっ」
何故か幸太郎への敵意剥き出しに投げた勝負球は、何と分身投法。しかし、突如、マウンド上で身体が硬直し、足をもつれさせて倒れた。幸太郎の忍の極意が発動したのだ。
「ちっ……、分身は動きで生み出した技だぜ」
剣蔵は砂を払いながら立ち上がり、不平を言う。この様子を見て内野陣がマウンドに駆け寄る。大観衆も剣蔵が負傷したとでも思ったのか、騒然となった。
「剣蔵、何やってんだ。今更、忍術を使おうなんて頭がおかしくなったのか」
学が半分怒ったような顔をして言う。剣蔵は答えず、代わりに猿飛が口を開いた。
「剣蔵は打者の堂島と戦ってるんじゃないだや。風間と戦ってるだや」
「そういう事か……」
才之助が納得した顔で頷いた。
「何で分身が封じられるんだよ。忍術と言うよりは高速の動作だろうが……」
不満を言う剣蔵に、
「お前が忍術だと思っていれば忍術だよ」
幸太郎は涼しい顔で言う。
「剣蔵、お前、風間への反発心で、あくまで忍術で打者を打ち取ろうっていうのか」
学が再度尋ねる。
「悪いかよ……。俺にも意地があらぁ」
剣蔵は悪びれない。
「全くお前は……この場面でよくそんな真似を……」
皆が呆れ顔をする。
「仕方ない。あとワンストライクだ、この場面、忍の極意による封印を解くか」
幸太郎が提案するが、
「バカ野郎、そのままだ。俺がそれを打ち破るんだ! 下手な情けを掛けるんじゃねえ」
剣蔵は反発する。
「味方同士で何をバカな争いを……」
学が困惑顔で呟くが、
「仕方ない、やらせよう」
「こうなると剣蔵は止まらないだや」
才之助と猿飛が容認姿勢を見せた。
「いいのか? 服部の意地に付き合っていたら、逆転負けを喫しかねんぞ」
「負けねえさ。相手にも、お前にもだ」
剣蔵は凄まじい形相で言い放ち、指を銃のようにして幸太郎の胸に照準を合わせる。幸太郎は少し考える仕草を見せた後、頷き、
「いいだろう。この場面、俺とお前の忍者としての対決といこうじゃないか」
と受けて立つ姿勢を示した。
「風間まで……」
学一人が未だに納得いかない顔だ。
「こいつが一度言い出したら聞かないだろう。だったら好きにさせた方が力を発揮するやも知れん」
「そんなバカな事言って、逆転されたらどうすんだ」
「万が一、1点差まで詰め寄られたら、忍の極意を解くか、バカげた真似を辞めさせるさ。それでどうだ?」
「何だかバカにされた気分だが、それで納得してやるよ。もし、1点差まで来るような事があれば、正当なピッチングで打ち取ってやる」
剣蔵は自分の身勝手さを棚に上げつつも、幸太郎の提案を了承した。
「もう……。甲子園の決勝でこんなバカな事になるとは……」
学は頭を抱えながら戻って行った。
「おい、風間ぁ。俺は今、提案を呑むとは言ったが、そんなところまで引っ張るつもりはねえからな。このバッターで必ず決めてやる」
「ふっ、やってみるがいい。これが高校野球での俺とお前、最後の対決だ」
幸太郎までその気になったようで煽って来る。
「言ったな。ならば今までの無念、ここで晴らす」
剣蔵の目が闘志で燃え上がった。拳を握り、幸太郎に突き付ける。この重要な局面で、気持ちは全くバッターには向かっていない。
「勝負だ」
幸太郎は剣蔵の手を振り払い、真正面から見据えた。二人はしばらく黙って睨み合っていたが、程なく幸太郎が背を向けて、守備位置に戻って行った。
「よっしゃ、見てやがれ~!」
剣蔵は気合十分、この場面、甲子園へ来て一番乗っているようであった。ツーストライクからの勝負球は、三塁ベンチ側に緩やかな軌道のボールを投げ込んだ。県大会決勝戦で甲賀誠児が繰り出した三日月カーブだ。しかし、ボールは三日月を描く事無く、三塁ベンチ手前で失速してグラウンドに落ちた。
「これも、変化球の一つでしかない筈。俺の身体と心が忍法だと認識してるのか……」
暑さに加えて焦りや苛立ちもあってか、剣蔵はこれまでになく大量の汗を掻いていた。
「ならば、これだっ!」
次の一手は上野城の比土弟を仕留めた、汗を利用した光る球だ。剣蔵に射す陽の光を利用して、ボールごと光らせる忍投だ。だが、投げ込む瞬間に剣蔵の身体が硬直して転倒し、ボールはホームへ転がって行くだけだった。
剣蔵のただならぬ様子に再び場内が騒めく。彼を応援する大声援と、罵倒するブーイングが交錯する。主審も異変に気付いて駆け寄ろうとするが、キャッチャーの学が何やら囁くと頷いて動くのを止めた。おそらく問題ない旨説明したのだろう。
「ちっきしょう……」
立ち上がる剣蔵にあらゆる観客の声が集中する。
「服部~っ!」
「頑張って~」
「ふざけてんのか!」
「堂島、打っちまえ」
様々な思いが声になって球場内を駆け巡り、音の洪水が押し寄せんばかりだ。
「うっせえなあ~、集中させろい」
うるさいという顔をして一度は憤った剣蔵だが、
「待てよ。音……そして集中を乱すか……これならイケるかも知れねえ」
何かを閃いたように目を輝かせた。そして、彼は腕をぐるぐると回し、シンガーがライブで観客を煽るかのように連続で拳を突き上げた。
「オラァッ、もっと声出せ!」
剣蔵が何を言っているかは聞こえないだろうが、マウンド上のパフォーマンスに大観衆は沸き上がった。プロ野球の試合でもなかなかお目に掛かれない程の音が、剣蔵一人に降り注ぐ。
「こらっ! 何をやってるんだ」
主審が注意するが、その声は全く届かず轟音に掻き消された。
「行くぞ行くぞ行くぞっ」
剣蔵はさらにバック転などして見せて観客を挑発する。球場全体の音の渦が剣蔵に集中していた。そして、
「風間っ、てめえにこれを、四万人のパワーを抑えられるかよ」
幸太郎を見て叫ぶ。憮然とした表情の幸太郎だが、この剣蔵の振る舞いにさらなる怒号が渦巻く。暴動でも起きそうな唸りが巻き起こった瞬間、彼は投球動作に入った。それでも場内は静まり返る事無く、音響の嵐に包まれている。
「忍の極意、破れたりっ! 忍投・邪道甲子園っ」
その時、球場内全ての爆音が剣蔵に乗り移ったかのように物凄い勢いでボールが投げ込まれた。投球自体は多少ダイナミックなフォームなだけで、いたって普通のオーバースローであった。しかし、投じられたボールは違った。剣蔵の手から離れた瞬間、ボールは破裂音を立てて、キャッチャーミットに吸い込まれた。破裂どころではない、その勢いは捕球したキャッチャー学を主審ごと三メートルも後方へ吹き飛ばした。
あまりの光景に、場内のあらゆる音も一緒にミットに吸い込まれたかのように静まり返った。審判も吹っ飛んだせいか、なかなか判定が下されず、静寂が続く。しかし、さすがに判定を下すプロ、剣蔵のボールのコースを見切っていたのか、
「ス、ストライクバッターアウトッ。ゲームセット」
立ち上がるとはっきりとコールした。
「おっしゃ~。勝ったぜ」
飛び上がって全身で喜びを表現する剣蔵。勝ったと言ったのは勿論、相手の名光学園でも打者の堂島でもない、幸太郎にだ。
何処まで狙ったものかはわからないが、剣蔵が最後に投じた一球は、観客の声援や罵声を力にしたものであった。彼は自分に降り注ぐ無数の音のパワーを感じ取り、こんな真似をしてのける事を思い付いた。勿論、こんな事は誰にでも出来る芸当ではなく、天才忍者たる剣蔵の資質あってのものであろう。さしもの幸太郎もこの四万人以上の大観衆のエネルギー全てを封じることは能わず、剣蔵に思いのまま投じさせてしまったのであった。そして、この強大なエネルギーを内包した一球の威力は凄まじく、捕球したキャッチャーと後ろに立つ主審を後方に吹っ飛ばす程であった。かつ球速も半端なく、バックスクリーンの球速計は百六十七キロを示していた。
「じいちゃんよ……、甲子園に出る意味、確かにあったぜ」
一人呟く剣蔵に大声援が降り注ぐ。学校から駆け付けた応援団も狂喜乱舞して、ナインの勝利を讃えていた。
「やられたな……」
幸太郎は頭を掻きながらマウンドへやって来た。
「へっへっへ、俺の勝ちだ」
「嬉しいような悔しいような、どっちとも付かない気分だな」
幸太郎は苦笑いする。
「そんな事言うなよ、風間。勝ったんだし、喜ぼうじゃないか」
「ホームラン二本も打ってるんだしな」
学や松岡兄弟が促すと、
「そう……だな。変な形にはなってしまったが、ここは喜ばないとか」
伊賀者がハイタッチを交わす中に幸太郎も混じった。
「む……」
ハイタッチが止まった。改めて幸太郎が剣蔵と相対したからだ。
「俺の勝ちだな。やっと一矢報いたぜ」
「俺の負けだ……とは思わん。確かに今の投球は見事だった。そこは認める。だが、俺が直接お前に負けた訳じゃない」
幸太郎にしては珍しく負けを認めない。確かに間接的には技を破られた形になったが、幸太郎自身が剣蔵に負けた訳ではないのも事実だ。
「あくまで負けを認めないってか……。まあいいだろう。俺は満足だ」
剣蔵は笑みを浮かべて背を向けた。主審に整列を促されたのだった。両校が並び、挨拶する。悔しそうな名光学園の選手と対照的に、伊賀者達の顔は皆晴れやかでにこやかであった。
そして、勝利した伊賀中央高校の校歌が流され、続いて閉会式を迎え、キャプテン・学に深紅の大優勝旗が手渡されたのだった。
「まさか、俺達が優勝しちまうとはな」
「びっくりだや」
「言いたかないが、風間のお陰だな。忍術を使えない分、ここでの戦いは必死だった」
「悔しいが、お陰で野球の実力も付いたようだぜ」
「だろ、剣蔵?」
「ふん」
剣蔵は拗ねた顔でそっぽを向いた。
「礼を言うのは俺の方だ。お前達がいなければこんな栄誉は勝ち取れなかった」
幸太郎は伊賀者への感謝を述べた。伊賀者達も笑顔でそれを見つめるのだった。
ちなみにこの伊賀中央高校の優勝を見て、「そら見た事か」と叫んだ男がいた。昨年の夏の甲子園優勝校、大和学園の主砲で、プロ入り一年目からこの時点でホームラン三十本を放っている大阪ナンバーズの岩本である。彼はインタビューでこう言った。
「昨年、俺が優勝した時言ったでしょ。奴らなら当然の結果ですよ。こう言ったら他の高校に失礼かも知れんが、地力はあんなもんじゃないですよ」
そして、一年前同様、またインタビュアーからマイクを奪って絶叫した。
「服部剣蔵、俺はプロで待ってるからな!」
その年のドラフト会議で、幸太郎は東京スターズから一位指名を、そして剣蔵が大阪ナンバーズから五位指名を受けたのだった。




