『対甲賀:四回裏』
迎えた四回裏、甲陰高校の攻撃は二番の日烈から。剣蔵はこれを分身投法等を駆使して三振に仕留めた。ただ、最後の空振りでバットを飛ばしてくるあたり、さすがに甲賀者はただでは転ばなかった。だが、
「やられるかよ!」
剣蔵はこの凶器を素手で掴み取った。そして、勢い良く甲賀ベンチへ転がした。このプレイには場内も沸いた。学が駆け寄って来る。
「手、大丈夫か」
「問題ねえよ」
「いい集中力だ。次だぞ」
「ああ」
そして、打席には問題の時任を迎えた。
「来やがったな。ここで化けの皮を剥いでやる」
「ふっ、何をいきり立っているのかわからぬが、無駄なエネルギーの浪費だぞ」
時任は剣蔵の意気込みを小馬鹿にする。
「うるせえ。これを打てるもんなら打ってみやがれ」
剣蔵は当てつけるように初球から三日月カーブを投じた。剣蔵の手を離れたボールは綺麗な半円を描きつつ、時任の懐を抉らんばかりに伸びていく。だが……
「なっ……」
剣蔵は認知出来なかったが、いつの間にか時任はこれを打ち返しており、左中間を抜ける二塁打となっていた。
「今、いつ打たれた?」
唖然とした表情の剣蔵。周りに集まって来た内野陣も首を傾げる中、
「奴が時間を止めた」
才之助が呟く。
「そんな馬鹿な……」
「初めて認識出来た……。時任の奴が、ボールがホームベース上に来た瞬間に時を止めた。この時、皆が固まったように動かなくなった」
説明する才之助自身も信じられないと言った顔をしていた。
「マジかよ」
尋ねた剣蔵をはじめ、マウンドに集まった全員が呆けた表情をする。
「うむ。そして、止まったボールを強振したのだ。信じ難いが、まぎれもない事実だ。これまで剣を交えた際には一度も認識出来なかったが、ようやく奴の術を感知する事が出来た。散々やられた経験が、やっと活きてきた」
才之助は今度は断言した。
「ちょっと待った、才之助。という事は、まだお前でも奴に術を使われたらなす術ないって事か」
学が尋ねる。
「ああ……。残念ながらそうなるな」
「オイオイ。って事は、あいつのやりたい放題になっちまうのかよ……」
「そうはいかん。次に術を使った時は俺が動いてみせる。この為に修行してきたのだ。今こそその成果を示す時……」
才之助の表情は若干曇っていたが、それでも目に強い力があった。
「わかった。頼んだぜ」
伊賀中央ナインはその言葉を信じる他なく、皆で才之助の身体を叩いて鼓舞するのであった。
四番・鬼頭が打席に入った。前の打席と変わらず異様な雰囲気を漂わせている。
「こいつか。しかし、今は塁上の方が気になるぜ」
剣蔵はセットポジションで念入りに二塁の時任を見る。時を止めればリードなど関係ないという事か、奴は何事もなかったような顔でベースに張り付き、全く動いていなかった。
「これじゃ二塁へは投げれんな」
「剣蔵、とりあえずバッターだ」
学が声を掛ける。
「わかってるよ」
意を決し剣蔵は初球を投げ込む。だが、予想通りと言うべきか、彼の手からボールが離れた瞬間、時は止まった。
「ふはははは。俺の時術の前にはどんな警戒も意味を成さん」
時の王者たる時任は笑いながらランニングのペースで三塁へ向かう。この時、グラウンドにいる全員、そして甲賀ベンチやスタンドの観衆さえも、皆、石になったかのように固まっていた。応援団は拳を突き上げたまま、チアの足は上がったまま、そして飲料を飲んでいる者の液体までが止まってしまい、時任だけが動ける空間が形成されていた。
止まっている時間に「時」と言うのもおかしいが、時任がショートを通り過ぎようとした時だ。時任は才之助を一瞥し、
「弱き者め」
と蔑み、足に蹴りを入れようとした。だが、止まった時間に固められている筈の才之助に何故か当たらなかった。訝し気な表情をする時任。
「まさか……な」
当たらなかった己れの足を再確認する。しかし、時任は再度彫刻のように動かない才之助に目を留めた。
「妙だな……。微かだが、呼吸音、そして心の音が聞こえる気がする……」
警戒しているのか、時任は少し距離を置いて観察する。そして、全身を見下ろすと、
「見えているのか!」
と叫んだ。才之助はピクリとも動かない。
「見えているのか、と聞いているんだ!」
無音の世界で時任の叫びだけが響く。だが、何の反応もない事を見て取ると、
「ふはははは」
と高笑いした後、才之助の顔に唾を吐きかけた。それでも微動だにしない相手に、時任は意地の悪い笑みを浮かべて殴りつけようとする。
だが、次の瞬間、吹っ飛んだのは時任の方だった。これまで美術品のように鑑賞されていた才之助がカウンターで蹴りを入れたのだった。
「ようやく借りを一つ返せたな……」
才之助は顔色一つ変えず、時任に近付く。時任は蹴られたものの、空中で反転して奇麗に受け身を取り、さほどダメージもなさそうで、
「お前……動けるのか? この中で」
と尋ねてくる。才之助はその問いには答えない。時任は言葉を続ける。
「この空間に入り込んで来るとは少々驚かされた。伊賀者の恐るべき執念よな……。だが、どうせ今のが限界だろう」
その言葉が正しい事を証明するかのように、才之助はこの後繰り出された時任の攻撃をかわす事も防ぐ事も出来なかった。時任の術に食い込むことは出来たが、まだ自由自在に動けるまでには至っていなかったのだ。
「そこで寝てろ」
最後に強烈なハイキックを食らった才之助の身体は、苦悶の表情を浮かべたままその場に止まった。止まった時間の中では、動ける者以外は静止してしまうようだ。
「ふははははは」
高笑いをしながら、時任は三塁へ。サードの幸太郎が中腰で構えたまま固まっている。
「お前もここで訳のわからぬ内にぶっ飛ばされる!」
走りながら無防備の頬に殴り掛かろうとするが、
「うっ……」
時任は慌ててその手を引っ込めた。幸太郎は全く動いていない。しかし、時任は置物のような幸太郎から何かを感じ取ったようだ。
「何かヤバい……。何なんだ、こいつの殺気は……。ええい、ここは見逃してやる……」
時任は独り言を呟きながら、額から汗を流していた。結果、幸太郎に手を出すのを諦め、三塁を踏んだ。
「再び正常なる時の流れに身を任せるか……」
呟きと共に時間は流れ出す。
「ぐうっ……」
時が動いた瞬間、才之助の身体が吹っ飛び、グラウンドに転がった。時が止まっている時に打撃されたダメージが現出したのだ。
「貴様……いつの間に? 一体、何をした」
幸太郎が認知せぬ内に三塁に来ている時任を詰問する。
「さあな、身の程知らずが、己れの力をわきまえぬまま未知の領域に踏み込んだ結果じゃないのか」
そらとぼける時任に幸太郎は怒りを露わにし、「貴様っ」と掴みかからんばかりの勢いであったが、証拠がない以上どうする事も出来なかった。
「タイム」
学が内野陣を集める。皆が心配そうに見つめる中、才之助は砂を払って立ち上がった。その顔は腫れ、口は切れて流血していた。
「何があった? いや、そもそも何であいつが三塁にいるかってのも疑問だが……」
「奴が時を止めた……というのは皆もそろそろ納得しただろうが、その中で戦った」
「戦った? 止まった時の中でか」
皆がお互いの顔を見回す。誰も認知出来ていた様子はない。
「時を止められている認識が出来た事で、ようやくその中で少し動けるようになった」
「時が止まるとか、その中を動くとか……ちょっと理解し難い話だな。だが、奴が不可解な盗塁をしている以上、間違いないんだろう……」
学が首を傾げながら呟く。
「奴の術の正体は人間の感覚にある。例えば、常人が一秒を「いーち」と数える間に、奴は「いちにいさん」という時を動ける……とでも言えば良いか。奴が時を止めている、という着想を得てから、俺はそれを突き詰めてきた」
「それで誰も認識出来ない中、奴と対峙出来るようになった訳か」
幸太郎の言葉に才之助は頷き、話を続ける。
「だが、奴が自由に動ける時間とは大きな差がある……。一撃は与えたが、その後、俺は動けなくなり、一方的にやられてしまった……」
そう語る才之助の表情は暗い。ダメージで身体もふらついている。
「このままでは本盗されるんじゃ……」
学の悪い予想に誰も答えられない。才之助以外、誰も動けないとなると、なす術がないのは厳然たる事実だった。
「君達、まだかね。速くしなさい」
主審が長いタイムを注意してくる。
「むう……ここは才之助に賭けるしかないか」
皆が頷き、守備位置に戻り、プレイは再開した。
剣蔵がセットポジションに入った瞬間、投げさせもしないという時任の魂胆か、再び時は止まった。
「貴様っ!」
今度は才之助が最初から追い掛ける。
「ふはははは。ここまで来られるかな」
時任は笑みを浮かべながらホームベースまで軽快に走る。ショートから追う才之助は、最初こそトップスピードだったが徐々に失速し、時任の目前で動けなくなってしまった。
「それが限界だろう」
時任は残忍な表情で才之助の顔面を蹴り飛ばすと、マウンドへ向かう。そして、グラウンドの砂を掴んで、固まっている剣蔵の顔に押しつけた。
「このまま目を貫き、潰してやってもいいが、多少はフェアにやらんとな。ふはははは」
ゆっくり三塁ベース付近まで戻ると、自らを神とする世界の愉悦に浸りながら呟いた。
「再び正常なる時の流れに身を任せるか……」
時が動き出した瞬間、才之助は吹っ飛び、剣蔵は突如砂が目に入り、マウンドでのたうち回った。審判は投球動作を止めた事でボークと判定し、時任がルールに則りホームインした。伊賀中央はついに先制点を奪われ0対1。甲陰側のスタンドが湧き返る。
「くっ……やりやがったな」
訳も分からぬまま砂を目に入れられ、怒りに震える剣蔵。
「すまん。止めるまでは及ばなかった……」
立ち上がった才之助が頭を下げる。顔を蹴られた為、頬の下辺りが内出血していた。
「仕方ないだや。誰も防げぬものを一人で何とかしようとしてるだや」
猿飛がかばい、皆が頷くが、幸太郎が口を挟む。
「いや、そうも言ってられん。あらゆるプレイにこれを応用出来るのだとしたら、俺達に勝ち目はないぞ」
「確かに……」
戦略家の学ですら不安な表情を隠せない。
「おそらく、術の最中は他の甲賀者も動けない筈だ。そういう意味では、何でもかんでもやられる事はないだろうが、ヒットをアウトにされたりする可能性はある」
才之助の顔色も冴えない。
「まあ、いいさ、使いたきゃ使わせようぜ。その方が才之助も慣れんだろ」
ここで楽天的な発言をするのが剣蔵だ。皆がお互いの顔を見合わせるが、
「うむ。こっちがヒットを潰されるだけ、才之助が術に慣れるなら、それもまたプラスの要素だな」
学が納得して頷いた。皆もひとまず状況を理解したようで、守備位置に戻る。
「とりあえずこれ以上の失点は避けないとだぞ、わかってるな、剣蔵」
「あたぼうよ」
その言葉通り、剣蔵は鬼頭を三振に仕留めた。仕留めたというよりは、鬼頭が全く振る気配を見せず、何もしなかったというのが妥当であるが、三振には違いない。
「薄気味悪い野郎だぜ。打ち取ってもスッキリしねえ」
一打席目に鬼に見えた影響か、三振に取った剣蔵自身ももやもやとするのであった。しかし、続く五番の武者も分身投法などを駆使して三球三振に斬って落とし、最少失点で切り抜けた。
「ナイス剣蔵」
守備陣が囃し立てる。剣蔵も拳を握ってそれに応える。
「おうよ。打つ方頼むぜ」
「っしゃ~! 逆転すっぞ」
点を取られた事で、逆に伊賀中央ナインが燃え上がった。




