『対甲賀:二回表~裏』
バッターボックスに入った幸太郎に対する甲賀誠児の初球は相変わらずの棒球であった。猿飛が見破った通り、やはり瞬時に見えない糸を巻き付けて投げているようだ。
「おい」
突然、幸太郎がマウンドの誠児に呼び掛けた。
「何だぁ?」
「この投球、まだ続けるのか」
「はぁ? 何か文句でもあるのかい」
「いや。ただ、これを続けるなら覚悟しておけよ」
幸太郎は眼光鋭く言い放った。
「覚悟だぁ?」
言われた誠児の顔が憎悪で醜く歪んだ。
「オイ、またか君達。口汚く罵り合うのは止めなさい。まだ続けるようなら、二チームとも出場停止にするぞ」
二人のやり取りを見た主審が怒声を揚げる。試合開始から再三、注意しており、うんざりした顔だ。
「はい。すみませんでした」
幸太郎が一礼して引いた。甲賀誠児の方は仏頂面のままだ。その顔のまま、次の一球を投じてくる。やはり糸付きボールのようで遅い棒球であったが、幸太郎がそれを打った瞬間、倍以上の速さで投げた相手へ戻って行った。
「くうっ」
幸太郎の打球は相手の太ももに命中。そのまま一塁を駆け抜けセーフとなった。
「おのれっ」
甲賀誠児は強烈な一打を受け、太ももを押さえていたが、怪我はしておらず、頭に血を上らせていた。
「強い打球が行った割には元気じゃないか」
一塁から再び幸太郎が挑発する。
「何だとぉ」
「セコい真似をして逆ギレとは呆れる他ないな。俺は汚い真似をするつもりはない。ただ、野球のルールの範囲内であれば、やれる事はするぞ。それが、伊賀者と組んで得た教訓だ」
幸太郎は自信満々の表情で言い切った。
「くそっ」
誠児は怒りが収まらない。
「タイム」
ここで幸太郎がタイムを取り、次打者の才之助に歩み寄る。
「霧隠、あんな球なら狙えるだろう。糸をくっつける手間がある分、難しい球は投げられん筈だ。ルールの範囲内でさっきの報復にもなるしな。やられっ放しのお前達じゃないだろ」
「ああ。続けてくるようなら目にもの見せてくれるさ」
才之助は頷く。それを見て幸太郎は一塁へ戻って行った。
才之助への初球の前に甲賀誠児は牽制球。それも高速で明らかに幸太郎の身体を狙って投げてきた。幸太郎は笑みを浮かべてそれを難なく避けた。そして、悪送球になったのを見届けると二塁へ向かう。
しかし、幸太郎もランナーになって忘れていた。今の牽制球にも糸は付いていたのだ。甲賀誠児は逆再生のようにボールを瞬時に手繰り寄せ、二塁へ送球。
「アウト」
幸太郎はスライディングするも間に合わなかった。観衆からしたら魔法のような光景だったであろう。
「くそっ、まさか、牽制球でわざと暴投するとは……」
「馬鹿め、俺がいつまでも怒りで我を忘れると思うか。所詮、伊賀者と組むようなお前もその程度という事よ」
「くっ。迂闊だった……」
幸太郎は悔しさを滲ませながらベンチへ戻る。それを見て高笑いの誠児はボールを指で弄ぶ。
「さて、そろそろ同じネタは飽きた。お前にはこれだっ」
才之助への初球、何と奴の投げたスローボールはサード手前からファールグラウンドへ出てしまった。
「散々、能書き垂れて暴投かよ」
伊賀中央ベンチでは剣蔵が呆れていたが、次の瞬間、驚くべき事が起きた。ファールグランドに出たボールが大きく半円を描き、キャッチャーミットまで曲がって来たのだ。
「ス、ストライク……」
審判も困惑しながらコールするが、確かにベースは過っておりストライクであった。
「見たか、三日月カーブ」
驚愕の一球を投げた誠児が勝ち誇る。
「手裏剣の応用だな。甲賀流だとブーメランのような円を描く投げ方があると聞く」
ダグアウトで学が解説する。
「確かに珍しいけどよ、あのくらい俺でも出来らあ」
バットを持ち、ネクストへ向かおうとしていた剣蔵が強気な態度を示す。しかし、その表情には奇抜な事をやられた悔しさが滲み出ていた。
二球目、今度はやや内角寄りの速球。先程の球でバッティングアイが狂わされたか、才之助は見送りツーストライク。
「終わりだ」
甲賀誠児は舌を出し、挑発すると、再び三日月ボールを投じてきた。ボールはまたも三日月の軌道を描きながら三塁側ファールグラウンドからホームベースに向かって来る。これに才之助は強振するが、ボールはバットをすり抜けてキャッチャーのミットに収まった。
「バッターアウト」
才之助はあえなく三振した。続く剣蔵も三日月カーブを見せられた後、速球に詰まらされショートゴロに打ち取られた。
「見た感じかなり打ちにくそうだな」
学が渋い顔で呟く。
「球の入ってくる角度が厳しい。あれを前に飛ばすのは至難の業だ」
才之助が述懐する。
「楽しみだな。やっと野球らしくなってきたじゃないか」
と嬉しそうに話すのは幸太郎だ。
「風間、野球はいいが、この一戦、楽しんでばかりは……」
学が言い掛けたところを幸太郎は遮り、
「わかっている。だが、こういう土俵なら任せておけ。俺は絶対に負けん」
自信満々に言い切るのだった。
「風間、お前はあの球が打てると?」
「ああ。次の打席を見ていろ。俺が必ず打つ」
「へっ、お手並み拝見といこうじゃないか」
剣蔵が不貞腐れ気味に言う。
「その前にこの回だぞ、服部。点をやる訳にはいかんからな」
「わかってら。この回の俺を見ていろ。必ず抑えるからな」
宣言すると、剣蔵はマウンドへ駆けて行った。
そして迎えた二回裏、甲陰の四番・鬼頭が打席に入る。整列の際に不気味な印象を残していった男だ。いかつい顔の割に虚ろな目付きと、筋肉質な癖に若干猫背なところが、この日の曇天に相応しく妖気を漂わせていた。
「こいつ……、何とも言えねえ迫力があるぜ。殺気や闘志という意味では、風間や比土からも感じるが、こいつのは何か違う……」
大胆不敵な剣蔵をしてこんな感想を抱かせる相手であった。その気持ちが作用したのか、初球は大きく外れる外角のボールとなった。
「俺としたことが……、ビビってるってか」
一球投げただけで剣蔵は汗を掻いていた。これまでに何度か行った演技とは違う。
「ここは強気だ」
剣蔵は自らに言い聞かせると共に内角へストレートを投じた。今度はギリギリ入ってストライク。しかし、その後見えた光景に、彼は思わず自分の目を疑った。
「嘘……だろ」
剣蔵には見送った鬼頭の顔が鬼になり、バットがこん棒に変わったように見えたのだった。タイムをかけて、内野陣を呼び寄せる。
「どうした? 投げにくそうだな」
学が尋ねる。剣蔵はそれには答えず、
「なあ、お前達もあいつが鬼に見えるかよ」
と皆に聞いた。
「何を馬鹿な事を言ってるだや」
「鬼……」
「確かに異様な雰囲気はあるがな」
猿飛、山嵐、幸太郎が続けて言う。残る才之助が
「剣蔵、お前にはそう見えるのか」
と逆に尋ねる。
「一瞬そんな風に見えたもんでな。お前達に聞いてみようと……」
「異様な雰囲気は感じるが、鬼に見えるなどという事はないな。とは言え、何か幻術の類を仕掛けてきているのかも知れん。気を付けていけ」
「ああ。すまなかったな。戻っていいぜ」
剣蔵は皆を守備位置に戻した。
「いずれにしても相手のペースではなく、自分のペースで投げるんだ」
戻り際、学が言うと、剣蔵は頷いた。
「さてと、確かにビビってる場合じゃねえな」
剣蔵の三球目は殺人シュート。自らを奮い立たせる意味も込めて、鬼頭にぶつけんばかりの勢いだ。これを鬼頭は振らず、そのまま胸板に命中。しかし、不気味な顔付きはそのままで、痛くも痒くもなさそうな素振りだ。
「デッドボール」
審判が進塁を命じ、鬼頭は黙って歩いて行く。
「ちょっと待った。今のベース過っているでしょ」
剣蔵はアピールするが、相手にぶつけている既成事実もあってか、審判が耳を貸す気はなさそうであった。
「くそっ」
歯噛みして悔しがる剣蔵に
「ドンマイだ。気にするな。次を打ち取るぞ」
学が声を掛けて宥めた。
打席には五番の武者を迎えた。二メートル近い巨漢で、全身筋肉の塊のような男が右打席に入る。その名の通り、歴戦の兵士みたく鋭い顔つきで、腕は丸太の如き太さを誇っている。
「これはまた、いかにも馬鹿力って野郎が出て来やがったな」
剣蔵はセットポジションで一塁をちら見する。鬼頭に動く様子は全くない。それを見て取ると、バッター目掛けて投げ込む。外角低め、ボールになる直球だ。
武者はこれを打ちに来て、若干振り遅れて流し打ちのような格好になった。ただ、バットの先っぽに当たったものの、何と一塁側の場外まで飛び出すファールとなった。
「何て力だよ、おい……」
剣蔵としてはボール球を打たせたつもりであったが、当たり損ないで球場の外まで飛ばす驚異のパワーに警戒を強めた。
「服部、一発に気を付けろよ」
心配した幸太郎が声を掛けてくるが、
「わかってるよ。絶対打たせねえ」
剣蔵は右手を上げ、それを制した。
「ほんじゃこれでも行ってみるか」
そう言って剣蔵が投じたボールは、何と先程甲賀誠児が場内を驚かせた三日月カーブだった。ファールグラウンドから緩やかな半円を描いたボールは、右打者の外側から入って来て確かにベースを掠めた。武者は見送ったのか手が出なかったのか、振ってこなかった。
「ストライーク」
アンパイアが激しいジェスチャーで手を挙げる。
「剣蔵、ナイスボールだ」
学が声を出すと、
「さすがだや、剣蔵」「もう一球行け」「見たか、甲賀」と守備陣が囃し立てる。相手のお株を奪う今の一球で、伊賀中央ナインが一気に盛り上がった。釣られたのか幸太郎までが
「いいぞ服部、その調子だ」
と声を掛ける。
「へっ、気分良くしてくれるじゃねえか。そんじゃ仕留めてやるぜ、猪武者さんよ」
薄笑いを浮かべながら、剣蔵は再び三日月カーブを投じる。武者は吠えながら強振したが、この球に掠る事も出来ず、尻餅を突いて三振となった。
「いいぞ剣蔵」
「一気に打ち取ろうぜ」
「甲賀め、自分の投げた球に打ち取られてザマぁないだや」
この三振で伊賀中央側はさらに沸き立った。対する甲陰の六番は打者・甲賀誠児。
「フザけた真似を……」
剣蔵の投球を見たせいか、苦り切った表情で打席に立つ。
「お前の必殺技だぜ。どう打つか、お手本を見せてもらおうじゃねえか」
剣蔵は挑発し、初球はまたも三日月カーブ。ストライクだったが、これを甲賀誠児は見送る。二球目も同様であったが、手を出さず、ツーストライクとなった。
「こいつ、打つ気ねえのか」
剣蔵、勝負の一球は内角高めのストレート。誠児はこれを打ちに来たが、食いこまれてピッチャーゴロ。ダブルプレーに仕留めた。
「よっしゃ」とグラブを叩いて、意気揚々と引き揚げる剣蔵。守備陣も皆、笑みを浮かべて軽快な足取りでベンチに戻った。




