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邪道甲子園  作者: 馬河童
28/48

『上野城の新怪物』

 準決勝までは中一日の休息日があった。毒を受けた剣蔵は完全休養で、家で横になっていた。剣蔵以外の選手もいつ襲われるかわからないので、あの襲撃以後、萬蔵が伊賀の精鋭を付けて登下校を監視させた。なお、幸太郎にはそれを言わず、道の端々に伊賀者が目を光らせて影から護衛したのだった。

 そんな中でも、剣蔵以外のナインは軽めの練習を行った。太陽が照り付ける中、全員、疲れない程度に動きを確認する感じで調整したのだった。

「よう」

 夕方になって剣蔵が練習に顔を出した。まだ少しふらついていたが、皆で録画された上野城の試合を見る事にしたのだ。この夏の大会、上野城は春を勝ち抜いた勢いもあり、圧勝で勝ち抜いており、投打共に絶好調であった。その中で、彼らの目を引いたのはやはりエース・榊と新戦力の比土弟だった。

「こいつが下手すると兄貴より凄い」

 とは比土弟の映像を見ながらの学の評だ。

「確かに顔つきからして生意気そうだ」

「剣蔵、顔は関係ないだろう。さすがに迫力はあるけどよ」

 と三つ子の一人が言った通り、比土弟の顔は岩のようなゴツさに、剥き出しの眼球からして、異様な迫力を醸し出していた。身体つきも兄のシャープな感じとは違い、肉付きが良く、野獣のようだった。ビデオでは、バットは小枝のように見え、彼に打たれたボールは簡単にフェンス外まで運ばれ、その驚異的なパワーを見せ付けていた。

「これは警戒が必要だぞ、服部」

「まあ、やってみりゃわかるだろ。こいつの兄貴や岩本レベルだと思って投げるぜ」

「剣蔵、体調は大丈夫だやか?」

「まあ百%ではないが、うまくペース配分するさ」

「頼むぞ」

 皆が剣蔵の肩を叩くと、

「任しとけって」

 彼は軽く拳を突き上げた。この日は学の解説で敵を分析し、作戦会議した後に各自帰宅した。


 迎えた準決勝、気温は三十八度まで上がり、太陽の照り付ける猛暑日となった。間違いなく先日の鈴鹿商戦よりも暑く、連戦を勝ち抜いて疲れも出始めている球児達にとっては厳しい一日になりそうで、特に病み上がりの剣蔵には堪えるかと思われた。この暑さにもかかわらず、両校の応援団に加えて高校野球ファンも多数集まり、スタンドは満員に近い人数で埋まった。

 先攻は上野城。剣蔵は毒が抜け切らない身体ながら、ペース配分を考えた投球で一・二・三番を抜いた球で上手く打ち取った。その投球術には辛口の幸太郎をして、(こいつ、こんな投球が出来るとは。さすがに成長しているな)と感心させる程であった。

 一方、上野城のエース榊はこの大会中にノーヒットノーランを達成しており絶好調。先頭打者の猿飛はキレの良い変化球を何とかバットに当てるも、セカンドゴロでアウト。

「さすが、速いし威力もある……当てるのが精一杯だや」

 戻って来た猿飛の述懐がこれだ。榊は続く学、山嵐も寄せ付けず、伊賀中央をあっさりと三者凡退に仕留めた。

 

「野郎、負けねえぞ」

 榊の好投を目の当たりにして、燃え上がる剣蔵。グラブを携えて、ベンチを飛び出す。

「その意気だ。頼むぞ」

 幸太郎が軽くその背中を叩く。

「おめえもな、幾ら俺が押さえても点取らねえと勝てねえからな」

「ああ。わかってるさ。とはいえ、次、警戒しろよ。比土さんの弟だぞ」

「そうだったな。まあ見てろ、奴を抑えて上野城を意気消沈させてやるぜ」

 剣蔵は幸太郎をサードに押し出して、マウンドに上がった。


 そして、四番・比土弟が打席に登場し、上野城側のスタンドが湧く。「筋肉獣」とでも呼べば良いのか、化け物じみた体格の男がバットを棒きれのように持ち少し前かがみ気味に構えている。目はぎらついたままじっと剣蔵を捉え、獲物を狙う肉食獣のようだ。

「確かに兄貴に負けない迫力だな。これで一年坊かよ」

 剣蔵は比土弟の発する威圧感に驚いた。

「まずは様子見っと……」

 初球、外角低めのボールになるストレート。剣蔵は試しに投げたつもりだったが、比土は体制を崩しながらもこれを打ちに来た。身体を柔らかく使い、常人では不可能に近い打ち方だ。

「何っ」

 強烈な打球がライト方向に延びる。守備の真正面に飛んだため、アウトとなったが、少しでもズレていたらそのままスタンドインしかねない勢いだった。打球の強さも半端なかったようで、捕球した松岡赤太はグラブを外して手を吹いていた。

「オイオイ、あれをあんなに飛ばすかよ。それも体制崩してあの打球。本来は打ちに来たところで内野ゴロの予定だぜ……」

 さすがの剣蔵も驚愕のパワーに驚く他ない。ただ、同時に笑みも見せていた。

「おもしれえじゃねえか。化け物相手は望むところだ」

 比土兄、岩本などの強打者に比肩する怪物の出現に、剣蔵は高揚感を覚えるのであった。これで気持ちが乗ったのか、後続の五番・六番を簡単に打ち取り、意気揚々とベンチに戻って行った。


 そして二回裏、この試合最初の幸太郎と榊のライバル対決を迎えた。両者共、気合いの入った表情で相手を睨む。お互いしばらく睨み合っていたが、程なく榊が投球動作に入った。初球、伸びのあるストレートが幸太郎の内角を抉る。

「ストライーク」

 二球目はベースをよぎる外角の変化球で、これも幸太郎は手を出さない。


「今の二球、風間といえども快打は出来ないな」

 学が言う。

「見送って正解だや。キレが違う」

「榊……、さすが俺が初めて感心したピッチャーだぜ。あの風間に真っ向から挑んで抑えようってんだからな」

「剣蔵、こいつが出てくると、妙に風間を立てるなぁ」

 学がニヤついてからかうと、

「違わい、俺以外の奴に風間の野郎が負けるのが気に食わんだけだ」

 剣蔵は赤くなって否定した。伊賀者はそれを見て微笑むのだった。


 三球目、やや真ん中低めの速球で、幸太郎はこれを打ちに行く。ボールはベース手前で急速に落ちる。フォークだったのだ。しかし、幸太郎は下半身でこれに付いていき、強烈な当たりが榊を襲う。破裂するような捕球音が響き、場内は榊がグローブでキャッチした事を悟った。スタンドからの榊コールがこのプレイを讃える。

 打席に背を向けベンチに戻る幸太郎。悪くない感触を得たようであった。その証拠にアウトにした榊の方が苦々しい表情をしていた。

 だが、これで闘志を燃やしたのも間違いないようで、榊は続く才之助、剣蔵を二者連続三振に仕留めた。浮き上がるようなストレート、緩急と角度のある変化球には、優秀な忍びの二人でも対応出来なかった。


 試合はこのまま投手戦に突入。打席に立つ者は次々に抑えられ、調子の良い両投手を打てそうなのは、双方の四番、幸太郎と比土弟しかいないとすら思われる展開であった。

 そして、両投手パーフェクトのまま迎えた五回表、剣蔵対比土弟の第二ラウンドを迎えた。日光が強烈に照り付けるマウンドは四十度以上あるのではないかと思われる。それでも颯爽と立つ剣蔵は、汗を拭う事無く投球動作に入る。初球は内角へのブラッシングボール。スピードも乗っており、一球脅かしてやろうという剣蔵の魂胆だ。

 ところが、これが脅しにならないのが比土弟の化け物たる所以であった。彼はこの危険球に踏み込んでいき、剣道の上段のような振りで打球を外野フェンスまで一直線に叩き飛ばしたのであった。

「何だとっ」

 またも予想を上回る打棒を見せ付けられ、唖然とする剣蔵。野獣はゴツい身体付きに反して豹のような走りで二塁まで進んでいた。上野城側のスタンドはこの打棒に拍手喝采を送り、盛り上がる。


「タイム」

 恐るべき一打の衝撃冷めやらぬまま、伊賀中央内野陣が集まる。

「危なかったな。まさに野獣だ」

 学が述懐する。

「剣を振り回したようなスイングであそこまで飛ばすとは、パワーも太並みにあるだや」

 猿飛が傍らの太を見ながら言う。

「少しこちらも様子見が過ぎたかな。次の打席は真っ向から勝負するぜ」

 剣蔵は不敵な表情で言い放つ。

「お前の勝負したい気持ちはわかるが、慎重に行けよ。あれは冗談抜きに化け物じみた打者だぞ。どこに投げても食いついてくる」

 幸太郎が忠告するが、

「お前がそう言うのもわかっているが、それで俺が止まらねえのもわかってるだろ。心配だったら、お前が打って点数入れてみやがれ」

 剣蔵は何処吹く風で言い返す。渋い顔をする幸太郎。

「よしよし、まあヒットで済んだんだ。こっから締めて行くぞ」

 学の掛け声で、皆が「おうっ」と応え、守備位置へ戻って行った。パーフェクトは途切れたが、剣蔵は動揺する事無く、五番を三振、六番をショートフライ、七番をキャッチャーフライに打ち取って、この回も0点に抑えた。


 替わって五回裏、今度は幸太郎の二打席目を迎え、伊賀中央側のスタンドが風間コールで後押しする。対するマウンドの榊はここまで完璧なピッチングで、前の回は三者連続三振を奪っていた。目の良い猿飛を掠らせもしない辺り、相当乗っている。

 初球、インコースへのストレート。手から離れた瞬間にミットに到達したような錯覚を覚える程速く、幸太郎は手を出せなかったのか見送ってワンストライク。

 二球目もインコースへのボール。初球と同じようなスピードであったが、幸太郎は今度は踏み込む。だが、これはツーシームのシュートだった。詰まらされて内野ゴロになると思いきや、幸太郎はバットを手から離した。ボールはバットに掠っただけで、後方へのファールになった。


「風間もやるな」

 ベンチで学が唸る。バットを手放さずに打っていれば、完全に詰まらされて打ち取られていただろう。

「しかし、あの風間がこんなに苦労するだやから、やはり榊は凄いだや。さっきも当たる気しなかったし……」

 猿飛が振り返る。前の打席、彼は全く手も足も出なかったのだった。

「見ものだな、こりゃ」

 楽し気に見つめる剣蔵。

「何を呑気な。風間が打たなきゃ勝ちはないんだぞ」

 学がなじるが、剣蔵は何処吹く風で、

「そりゃそうだが、こりゃ他人事ながら見てて燃える勝負じゃねえか。わかるだろ」

 と逆に問う始末。

「他人事じゃないだろ」

「お前、さっき風間に点入れろって言ったじゃないか」

 と皆が呆れ顔をするが、剣蔵は

「心配ないって。ここで風間が打ち取られようと、俺はあの弟にゃ打たせねえって」

 と胸を張って言い切った。


 幸太郎がバットを放した動作に対して、榊は苦々しい顔をしていた。自分の狙い通りにならない相手が気に食わないのだろう。その表情のまま、三球目を投じる。やや外角寄りの速球で、幸太郎は打ちに行く。これがまた変化してホームベース手前で外に逃げながら落ちる。直球とさほど速度の変わらない、高速スライダーのようなボールだ。

「くっ」

 バットを振りに出ていた幸太郎は打席で膝を落とし、これを上手く打った。快音が響いたが、ライト正面へのライナーに終わった。球場内にため息が漏れる。

 しかし、勝った榊も相変わらず不満げな表情であった。おそらく三振を狙っていたものと思われるが、容易にその通りにならない幸太郎に苛立っているのだった。その不機嫌さがより榊の活力源になったのか、五番の才之助、六番の剣蔵は掠りもせず、チェンジとなった。榊のパーフェクトは続く。


「くっそ~」

 悔し気な表情でベンチへ戻って来る剣蔵。しかし、闘志は剥き出しなままだ。

「野郎っ、こっちもやり返してやるぜ」

「その意気だ、剣蔵」

 守備に就く皆が剣蔵を囃し立て、意気揚々とポジションに散って行った。剣蔵は六回表、八番に四球を与えたものの、後続の九・一・二番をしっかり抑えて見せた。以前の上野城戦でも投じた、手裏剣投げを応用した手元で微妙に変化する球が凡打の山を築いたのだった。


 続く六回裏、伊賀中央は七番の松岡赤太からの下位打線。三つ子が続く打順だが、ここで彼らがイヤらしさを見せた。まず長男・赤太はバントの構えで榊を前後に揺さぶる。投手の習性として、これをされるとダッシュをしてしまう。勿論、榊のスタミナがそんな事で切れる筈もないし、彼はバントさせない球を放る自信もあっただろう。

 しかし、赤太もさすが忍者、ただでは転ばない。ツーストライクに追い込まれるまでバントの構えを続け、追い込まれた後はカットしてファールで粘り始めた。前に打つ気は全くないようで、ベースギリギリでバットに当てる事だけを心掛けているようであった。既に五球粘り、またも榊の顔をしかめ面にした。酷暑もあり、榊は何度も汗を拭く。

 カウントツーボールツーストライクで、榊は威嚇気味に内角へ放って来た。ストライクゾーンギリギリに入っているシュートだったが、赤太は打ちに行く動作に入っていた為、避け切れず脇腹にボールが命中した。赤太は腹を押さえながら呻き、悶絶する。この様子に場内が騒めく。

「君ぃ、大丈夫かね」

「だ、大丈夫……」

 蹲りながら返事をする赤太。それを見て審判はデッドボールを宣告し、赤太はよろめきながら一塁へ向かった。これで榊のパーフェクトは途切れ、伊賀中央ベンチは湧いた。

 これは完全に赤太の忍者ならではのファインプレイであった。榊としてはストライクを投げたつもりが、赤太が大袈裟に食らった為、審判が死球と言わざるを得ない状況を作り出したのであった。

 赤太はさらに榊及び上野城を出し抜いた。一塁に立っているのもやっとのような表情を見せていたかと思えば、次打者・青太への初球、いきなりスチールを敢行し、二塁を奪ったのであった。死球の痛みなどある筈がない。ボールにぶつかる直前、急所は外しており、蹲ったのも辛そうなのも全て演技であった。

 しかし、榊はさすが超高校級の投手だった。青太も兄と同じように粘ろうとするが、今度はバッドに触れさせもしなかった。彼自身、相手に応じて力を使い分けているようで、この勝負所は1点もやれないと見て全力を出してきた。速球とキレの良い変化球で、三つ子の二人を連続三振に仕留めた。

 そして迎えるバッターは先頭打者の猿飛。ツーアウトだがランナーが二塁にいる事で、榊はここも全力投球。遊び球はなく、あっという間にツーストライクに追い込まれた。三球目もストライクゾーンを通る外角への変化球、これを猿飛はファールした。さすが猿飛、伊賀者の中でも抜群に目や反射神経が良いだけあり、難しい球にも付いて行った。

「ふぅ~、キツいだや」

 猿飛は袖で汗を拭う。グラウンドは一切影がなく、選手達はフライパンで焦がされているかの如き暑さとなっていた。

 次の一球、その暑さの為、手汗で滑ったのか、すっぽ抜けたボールが来た。猿飛はしめたとばかりにこれを三塁方向にセーフティバント。サードが慌ててダッシュから捕球して投げるが一塁は余裕でセーフ。しかも、二塁ランナーの赤太は三塁に進塁した。これを見て伊賀中央応援団が盛り上がる。

 ツーアウトながら一塁三塁のチャンスを迎え、続くバッターは学。苦々しい表情をしている榊を睨み、「さあ来いっ」といつになく気合を入れて打席に臨む。対する榊は、今の失敗を教訓にしたのか、ズボンで手汗をよく拭き、ロージンバッグを丹念に塗し、投球動作に入った。

 初球、外角の直球に学は空振り。二球目も高速スライダーに手が出ず、あっという間に追い込まれた。

「タイム」

 ここで学は、ボックス内でキャッチャー寄りのベース寄りに立ち直した。少しでも速球に対応出来るようにするためと、内角の変化球にはあわよくば当たろうという魂胆だ。

 先程死球を与えている為か、学の対応を見た榊は嫌そうな顔をして、ストレートを外側中心に放ってくる。これに学は食らい付いた。快音は発しないが、鈍い音を立てて何度もバットに当て、五球連続ファールしてみせた。先程の赤太に続く再びの粘りに加え、暑さの影響もあり、これにはさすがの榊も汗だくになっていた。

 キャッチャーがタイムを取ってマウンドへ行く。そして何やら二人で話し込んだかと思うと、戻って来て立ち上がった。何と敬遠策であった。しつこい上に頭の切れる学を相手にするより、単純明快な太を仕留める方がラクと見たのであろう。

 学が一塁へ歩いてツーアウト満塁。コケにされた形となった太は、カッカしながら打席に入った。しかし、榊は落ち着き払っている。太が変化球に滅法弱い事がわかっているので、余裕があるようだ。

 初球、外へ逃げる変化球。これを太は大型扇風機の如き豪快な空振りをした。榊は薄笑いすら浮かべる。太はますます憤慨し、バットをベースに叩きつける。

「こらっ、やめなさい」

 アンパイアに注意されるも、それを睨み返す太。その迫力に、注意した方がたじろぎ黙ってしまった。

 うがぁっと吠える太に、榊の二球目は内角へ食い込む変化球。これも当たらずかと思いきや、何とバットとボールが正面衝突した。どういう原理か、太の目は全くボールを見ておらず、興奮して白目を剥いているのにバットに当たったのだ。ただ、さすがにめくら打法、バットの出が速過ぎて、ファールとなった。とはいえ、恐るべき打球は場外まで吹っ飛ばされていた。


「何だあれ、何か忍法か」

 ベンチでは太が苦手な変化球対応をした事に驚いていた。

「ありゃ、怒りで我を忘れての効果だろうな。目で見てねえから、当たるか当たらんか誰にも予測出来ん」

 剣蔵が解説する。

「ひょっとするとひょっとするぞ、これは……」

 ベンチの期待も高まる。


 榊も面食らったのか、目を見開いて驚きを表していた。しかし、気を取り直して再びキレのある外への変化球を放る。ところがこれに対してもバットが快音を発して、ボールをかっ飛ばし、スタンドギリギリで切れてファールとなった。

 さすがに榊の顔から余裕が消えた。この調子では、次に変化球を投じて無事で済むかは保証出来ない。学への敬遠がこんな怪物を目覚めさせてしまうとは、予想外の出来事に違いない。太は暑さの影響もあってか、顔を真っ赤にしてまだ打席で興奮している。

 榊は一度目を閉じた。そして深呼吸したかと思うと、カッと目を開き、ワインドアップで投球動作に入った。虚を突かれた三塁ランナーの赤太は動けなかった。

「うおお~っ」

 榊は雄叫びを上げて渾身のボールを投じる。勝負球は内角へのストレートだった。真っ直ぐには強い太は、興奮状態でもこれに付いて行く。バットにボールが命中する。

 しかし、勝ったのは榊だった。渾身の一球は破裂音を立てて丸太のような木製バットを粉砕し、ミットに収まった。榊は、パワーの怪物とも言うべき太を力でねじ伏せたのであった。そして彼にしては珍しく感情を露わにして、気合いの入った表情でガッツポーズを見せた。

「がああっ」

 対照的に悔しさから叫びを揚げる太。衝撃で痺れたのか、ベンチへ戻りながら両腕をぶらぶらと振っていた。伊賀中央はチャンスを作ったものの結局無得点に終わった。

「太が力で負けるなんて……」

 何人かはショックを受けていたが、

「しゃーない。締めて行くぜ」

 剣蔵は援護がなかった事に気落ちした様子もなく、マウンドに向かう。三番を簡単に打ち取り、比土弟との三度目の対決を迎えた。前の打席の衝撃もあってか、スタンド全体から一際大きな声援が飛ぶ。

 初球、剣蔵は渾身の外角低めを投じる。下手な小細工はせず、普通の打者を相手にするのと同様の攻めを意識したものだ。比土弟のリーチはこれに余裕で届き、快音を発した打球がライト方向に伸びる。

「ファール」

 わずかに線を切れた強烈な打球は外野フェンスを直撃した。

「危ねえ。わずかに変化させたのが救いだったか」

 剣蔵は先の回同様、今の球にも微妙な変化を付けており、それがジャストミートを避けられた要因のようであった。

「ならば、これはどうだっ」

 次のボールは比土兄を仕留めたカミソリシュート。ストライクゾーンをよぎりながらも相手の体を抉る、えげつないボールだ。比土弟はこれも打ちに来たが、強烈なボールの食い込みに確かに窮屈になったように見えた。ところが、野獣の野獣たる所以か、瞬時に肘がうまく折り畳まれ、ボールは真っ芯で捉えられた。

「何っ」

 驚く剣蔵。ただし、これも少し引っ張り過ぎた為、三塁側客席に飛び込むファールとなった。この一打で上野城側の比土コールがさらに高まる。

「初見だろうが……。一球で対応するかよ」

 暑さだけではない汗が剣蔵の身体を流れていた。追い込んだ訳で、剣蔵の思う壺と言えなくもない。ただ、決め球とも言うべきボールが会心の当たりをされている事が面白くないのだった。

「ならば、これだっ」

 剣蔵、勝負の一球は分身投法。三人の剣蔵から投じられるボールを、初めて見る打者が打つのは至難の業かと思われたが、

 比土弟はカッと目を見開き「ぬおりゃっ」と叫びを揚げると、刀を水平に振るかの如きスイングでこの幻惑球を完璧に捉えた。打球は猛烈な勢いで一直線に飛んで行き、バックスクリーンに突き刺さった。野獣は両腕突き上げてガッツポーズをし、ゴリラのように飛び跳ねながらベースを回る。

「マジか……よ」

 呆然自失の剣蔵。自慢の分身投法がまさか一球目にして打ち砕かれるとは、夢にも思わなかっただろう。

「久しぶりに新しい化け物が出て来たな」

 マウンドに学が寄って来た。

「まさか、分身を一発で見切るとはな」

 剣蔵は顔面を汗一杯にして呟く。

「打たれたものは仕方ない。この後引き摺るなよ」

「わかってら。悔しさ引き摺るより、今の俺は燃えてら。絶対やり返してやるからな」

 言葉通り、剣蔵の目はギラつき、汗が日光に反射して、輝いているように見えた。その意気込みは伊達ではなく、続く五番・六番を球のキレで簡単に仕留め、打たれたショックを感じさせなかった。とはいえ、1点リードされた事に変わりはなく、伊賀中央は好調の相手投手・榊を前に大きな負債を背負ってしまった。

 そして七回裏は四番の幸太郎からの打順。榊の調子を考えると、これがこの試合、幸太郎の最後の打席になる可能性もあり、大事な場面であった。

 マウンド上の榊は真剣な表情で睨んでくる。一方の幸太郎はわざとなのか、これに目を合わせようとせず、下を向いていた。


「風間の野郎、覇気がねえな」

 ベンチでボヤく剣蔵。この日の暑さが堪えるのか、タオルで汗を拭いながら、帽子で自らを扇いでいた。長髪が汗で濡れており、傍目に見ても暑苦しい感じだ。

「いや、これは風間なりの戦術かも知れん」

 学が顎に手を当てながら言う。

「戦術ぅ? 相手から目を逸らすのがかよ」

 呆れ顔で剣蔵が尋ねるが、

「うむ。相手の目を見る事で読みが深くなる事は少なからずある……と思う。威圧する効果もあるしな。剣蔵だってわかるだろ、そんな感覚」

 学は真剣に解説する。

「まあな」

「ああする事で榊の洞察力を封じようという一策ではないのか。確か一年の時も、気力なさそうな状態からホームラン打ったじゃないか」

「む。そう言えば……。ふん」

 剣蔵は鼻を鳴らして面白くなさそうな顔をした。


 ベンチだけでなくスタンドも注目の対決は、初球、直球が外角低めに決まった。下を向いていると相手の動きが見えにくい為、反応し辛い欠点があるのは間違いない。学の言う通り、榊の読みを逸らす目的は果たしているものの、諸刃の剣とも言える策のように映る。

 しかし、幸太郎はそのまま榊を見ようとしない。榊は榊で歯牙にもかけない様子で、二球目を投げ込んでくる。やや内角気味の食い込んでくる変化球で、幸太郎はこれを下を向いたまま打った。打球は三遊間を抜け、レフト前ヒットとなり、ようやく幸太郎に一本が出た。

「ちっ」

 湧き上がるベンチと対照的に舌打ちをする剣蔵。そして、タイムを掛けると、一塁の幸太郎の下まで走った。表面上は次々打者である剣蔵が、打った打者へアドバイスを聞きに行くように映ったであろう。

「やるじゃねえか」

「何だ、わざわざ何をしに来た」

「打った四番にコツを聞きに来たんだろうが。今の打ち方を解説しろよ」

 剣蔵は半ば嫌味ったらしい感じでニヤニヤする。

「何だ、薄気味悪いな。まあいい。相手投手を見ない事で、飛距離は出ないが、こちらも考え過ぎず、投げてくるボールに集中出来る。このまま榊を調子づかせず、まず一本と思ったんでな」

「なるほどな。学の言った通りか。さすがだな、あいつも」

「だが、今言った通り、球を点で捉える感じになるから、皆に薦める事は出来ん」

「俺には出来んってか」

「やれるものならやってみろ」

「やってやろうじゃねえか。見とけよ」

 強がる剣蔵。

「お前、そんな事を言いにわざわざタイムを取ったのか」

「お、そうだった。お前が挑発するからつい乗っちまった」

「挑発に来たのはお前だろうが……」

 幸太郎は呆れた顔をする。が、意に介さず剣蔵はまくし立てる。

「風間、てめえ、シングルヒットで満足してんなよ。1点ビハインドで、このままじゃ負けちまうだろ」

「俺は満足などしていない。それに、打たれたのはお前だろう」

「そうだよ。俺が打たれたさ。だからてめえが打たなきゃ取り返せないだろうが」

 剣蔵は開き直る。

「何だ。俺に打ってくれって言いたかったのか」

 幸太郎は駄々っ子のような剣蔵を見て微笑む。

「違うわ! 俺は絶対あの化け物抑えてやるから、てめえは打てよって事だ」

「同じ事じゃないか」

 幸太郎は涼しい顔をして、剣蔵の興奮する様を眺めている。

「風間、てめえ……」

「わかってるさ。俺は榊を打つ。この試合、俺が打って勝たなきゃならないんだ」

「打つったって、お前の次の打席が来るかわかんねえだろ」

 幸太郎の言葉に剣蔵は苛立って反駁する。しかし、幸太郎は表情を変えずに

「このままゲッツーを取られなければ最終回にもう一度打席は来る。ただ、その時にお前がもう一度打たれていたら逆転の目はないかもな」

 と言い切った。

「てっめえ、冷静に言いやがって……」

 と剣蔵が怒って言い返そうとするのを、幸太郎は遮った。そして自信満々の顔で言う。

「だがな、俺はお前達を信じている。必ず最後にチャンスを繋いでくれるとな」

「なっ、お前、何を心にもないような事を言いやがる」

「そして俺は、お前が比土弟を抑えるとも信じている。これは馴れ合いで言うんじゃない、純粋に実力で判断しての俺の物差しだ」

「風間……」

「いいから早く戻れ。こんな所で油を売っている暇があるなら、榊を打つ努力か、比土弟を抑える策でも考えるんだな」

 幸太郎は両手を振って剣蔵を追い払う。暑い中、立っている塁審も迷惑そうな顔で睨むので、剣蔵は渋々引き上げた。


「風間の野郎……バカげた事を言いやがって」

 剣蔵はベンチへ戻りながら、幸太郎の言葉を思い出していた。同じチームとはいえ、敵対しているにも等しい男にあんな発言をされては、どう反応して良いかわからない。

「チッ。しかし、言いてえ事はわかる。勝つには奴が打って俺が抑えるしかねえんだ」

 彼はバットケースからバットを引っこ抜き、右肩に担ぐと、ネクストバッターズサークルに入る。日差しが照り付けて気温も高い中、病み上がりの弱った身体にもかかわらず、剣蔵は何かに触発されたかのようにバットを振った。

 

 五番・才之助の初球、何と幸太郎が走った。単独スチールは見事に成功し、ノーアウトランナー二塁のチャンスを作る。

「あんにゃろう。ダブられなきゃなんて言ってた癖によ……。自分でそうならねえ状況作りやがって」

 剣蔵は幸太郎の快走に舌打ちする。実際、才之助はセカンドゴロに打ち取られ、幸太郎の走塁は功を奏したのであった。

「ほんじゃ俺がここで打って同点にしてやるぜ」

 次打者の剣蔵は気合いを入れて打席に向かう。彼は幸太郎とは対照的に榊をじぃっと見つめ、目を外さなかった。投げ合っている相手であるせいか、榊も負けじと睨み付けてくる。二人はしばらく目を外さない。程なく榊は投球動作に入ったが、暑さにでもやられたのか、急に眩暈でも起こしたように弱々しい様子で投げてきた。勿論、ボールにも勢いがない。

「ハマったな」

 ニヤリとする剣蔵。睨み合いで榊に催眠術を掛けたのだった。幻惑された榊の一投は身体機能が麻痺し、棒球となった。狙いすました剣蔵のバットが快音を発し、打球はライナーでレフトスタンドへ一直線に向かう。

 しかし、これを追う選手が一人いた。レフトを守る比土弟が俊敏な動きでダッシュし、グラブを外してスタンドによじ登り、打球に向かって大ジャンプ。何と素手でこのボールを掴み取ってしまった。猛ダッシュしてスタンドを駆け上がるスピード、そしてライナーを素手で掴み取るパワー、まさに怪物の面目躍如であった。スタートを切っていた幸太郎は、この様子を見て慌てて二塁へ戻った。この規格外の超ファインプレイに上野城側の応援団は比土コールで拍手喝采し、球場全体が異様な盛り上がりを見せる。

「あの野郎……」

 逆転の芽を摘まれ、剣蔵は歯軋りして悔しがった。起死回生の一発を狙っただけあって、それをふいにされたショックは大きかった。しかし、打った自分のバットを拾い、声援を受ける比土弟を睨み付けると、

「化け物め、どうあっても俺の前に立ち塞がる気のようだな。絶対に負けんぞ」

 と呟き、ベンチに戻って行った。この後、七番・松岡赤太は三振に倒れ、伊賀中央は結局チャンスを活かせなかった。


 八回表は気合いの乗った剣蔵が七・八・九番を三者凡退に切り捨てると、その裏は榊が快投を見せ、松岡青太・黄太・猿飛を三者連続三振に仕留めた。両投手の好投に両校の応援団が湧き上がり、猛暑にさらされた球場の熱をさらに上げていくようであった。


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